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「体系的に教える力」が無い

それなりの年齢になってきたこともあってか、周辺で「教鞭をとる」人が増えてきた。仕事の性質上、「社会人向けに知識やノウハウを伝える人」がまわりに多いという傾向がそもそもあるので、昔から、割と多かったということなのかもしれない。

そんなわけで、グロービスで教えるとか、○○の客員教授・特任教授になったとか、BBTの講座を持つとか、そういうお話をよく耳にする。

そんなお話を頻繁に耳にする中で、僕自身も、ときどきお声掛けいただくことがあり、とても光栄だなとは思うものの、僕には向いていないなと感じている。
セミナー登壇とか、講演とか、研修講師とか、そういう単発に近いものでも極力お断りしているので、「連続的に何かを教える」ということができる気がしない。

教えるという行為ができる皆さん、ほんとうにすごいなぁ・・・と素直に思う一方で、僕はどうしてそんな感じなのだろうかと考えてみたところ、ひとつの答えらしきものを見つけました。

僕は、どうも「体系的に学んだ経験」が無いみたいなんですよね。

小中高大と、学校をサボることもなく、宿題は(ほぼ)すべてやり、なんなら自習や予習もして、試験の点は悪くない。典型的な優等生として過ごしてきたので、勉強をしたことが無いということではないと思うんです。
しかし、「体系的に学ぶ」ということをやってきていない。

授業を聞いていないわけではない。先生が言うことも理解していたと思う。
しかし、体系的に学問を追及する、というような姿勢が身につかないまま大人になってしまった。

振返ってみると、僕が他の人より秀でていると思われるのは、ただ一点「情報の整理・構造化力」、これに尽きるんじゃないかと思うんです。
整理されていないばらばらの情報を受け取りさえすれば、よしなに構造化して自分なりの理論に組み立ててしまう。足りない部分は、想像で補いつつ、必要に応じて訊いたり調べたりして、後から補完する。これが極めて得意

このスキルであらゆることを乗り切ってしまってきたので、「体系的にちゃんと学ぶ」というスキルが低いままなんじゃないか、と思うわけです。

教えてくれた人の問題ではなく、受け取る僕の方の問題だったと思われる。

「ちゃんと順序立てて教えてもらうのを、黙って受け取る(つまり、ある意味では、我慢して聞き続ける)」ことができなかった可能性が高いなと。
教えてくれる人に対して、失礼な話ですよね。

どこかでも書いたかもしれないが、子供のころ、ゲームも漫画も禁止されていて、テレビもかなり制限されていた。(その一方で、本だけは無尽蔵に買い与えてもらっていたんですけれども。)
そのため、喫茶店やレストラン、友達の家などでジャンプやマガジンを見かけると嬉しくてめちゃ読んだ。ただ、当然ながら、毎週読めるわけではないので、お話が飛びまくる。ひどいときには1年ぶりとかになる。あるいは、コミックスが置いてある場合は、これまで読んだ話よりも過去の話を読むことになったりする。
そうすると、知らない登場人物がバンバンでてきて活躍している。敵だったはずのキャラクターが、どう見ても味方のポジションに居座ってたりする。反対に、最新話でボコボコにされている奴が、コミックスでは最強キャラとして君臨していたりする。
これらの断片的な情報を、整合性を保った状態にするために、想像力を駆使する。いくつかのオプション(この二人は兄弟、もしかしたら双子なんじゃないか。あるいは、クローンか。必殺技が効かない設定っぽいが、同じ血筋だから的なロジックが過去に説明されているんじゃないか。ただ、新キャラの方の攻撃は効いているから、やはり、双子の兄か、強化版クローンか、、、いや、未来から来た子孫パターンもあるな)を出して、そのどれかが正解であろうという「仮説」を複数保持して、話を読み進めていく。
そして、どこか別の機会に得た情報で不整合がでてくれば、新しい仮説を追加したり(これは、師匠が同じ、というパターンか?)、特定の選択肢を消したり(クローンは無いな)していく、という風に考えていた。

我ながら、かわいそうな子供だなと思うけれど、好意的に考えれば、唯一、無制限にアクセス可能な活字を読みまくる中で、情景や音などを想像する力が養われ、それを漫画に対する飢餓感に適用することで、特殊能力にまで昇華させた、という風に捉えることができなくもない気がしなくもないですね。

ちなみに、この特殊能力は、映画とかを見ていても、複数の設定オプションを並行して維持しながら筋を読むことができるので、重宝していると言えば、重宝している。
おかげさまで、マトリックスとか、テネットとか、ああいう系も、初見でだいたい飲みこめる。
ケガの功名感が凄い。

で、話を戻そう。体系的に学んでいない、って話。
コンサルに転職した時も、この、体系的に学ぶスキルが低いことで、とても苦労した。
乱雑な情報群を構造化していくことはできるのだけど、そもそも、フレームワークや経営理論などを学んでいない、というか、学び方が分からない。

マイケル・ポーターとか、ジェイ・B・バーニーとか読んでも、「なるほど」と思うのだけど、なんというか「体系的に入ってこない」。単発の情報として、部分部分を吸い上げてしまう。

結果、車輪の再発明を繰り返すことになる。とても効率が悪い。いや、ほんとに。人生は有限なのにね。

もちろん、これも好意的に解釈すれば、車輪の再発明をしたことで、自分なりの理論として染み込んでいるのでいるので、自由に使えるという風に捉えることもできなくはないような気もしたりする。

僕個人の生き方の話であれば、これはこれで仕方ないよねとも思うのだが、ここで気になってくるのは「とはいえ、おまえ、いい年なんだから、後進を育てるべきなんじゃないのか」ってことである。

そして冒頭に戻る。「体系的に教える能力が無いぞ」と。ぐぬぬ。

先ほども書いた通り、僕なりの理論(と呼べるほどのものではないけれど)は存在するんですね。ノウハウというべきか。それはそれで、役に立つと思うんです。

ただ、やはり、誰かに「教える」ということのイメージがつかない。
できるのは ”僕なりの考えややり方を「伝える」” こと。これはできる。

そういう意味で、僕は、書籍やブログというフォーマットを好んでいるんじゃないかという気がするんですよね。講師とかじゃなくて。
あ、あと、動画も無理。いくら編集の手を入れられると言っても、そのコミュニケーションスタイルは向いてない。並列的に物事を捉えて考えていく際に、時系列で話していることの整合性がとれているかどうかは甚だ疑問です。あとで振り返ってチェックしないとダメ。構造を作り替える必要がある。
動画コンテンツに向いているのは、思考が直線的(もちろん曲線でもいいけど)に、一本道を通す感じで進んでいく人だと思いますね。個人的には。

そんなわけで、また、本を書きます。来月、2冊出るみたいです。という宣伝でした。【PR】

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