鬼滅の刃にハマれなかった理由

 先日鬼滅の刃の映画を見に行った。漫画は読んでないけどアニメは一応全話見たし続きが気になったのと、めちゃめちゃ評判が良いので楽しみにしていた。映画は普通に面白かったけど、個人的にはそこまで感があったのでこの違和感について考えてみた。

 こういう大ヒット映画は個人的には大好きだし、僕自身ハマりやすい傾向にあると思う。
 ただ、珍しく鬼滅の刃は見た後に素直に最高!と言えない違和感が残っていた。こんなにヒットして社会現象になったのになんで僕はすんなり受け入れられなかったのか考えてみた。
 鬼滅の刃はめちゃめちゃ面白いといわれている一方で、そこまででもないという人も一定数いると思っているし、何がダメで、もっとこうすべきだってことを評論家みたいに言及するわけではないんだけど、個人的に鬼滅の刃が”超絶”面白いアニメにならなかった部分について書いていきたい。

1.解説がしつこい

鬼滅の刃のどうしても受け入れられない8割はこれに尽きると思った。
「炭治郎の解説がしつこいくらい長い」
作戦会議、繰り出す必殺技、戦闘のシーンなどで詳しい説明があることは視聴者にとっても大事だし、なるほどこういう意図があったのか、とかこういう戦略で行くのか、と作品に引き込ませてくれる効果があると思う。
だけど鬼滅の刃の場合は、これがあまりにも多いし執拗に細かい気がした。
あまりにも解説が細かくて長くて盛り上がるはずのシーンでちょっと冷めてしまう。
鬼と戦うシーンなんかは
「鬼の首が弱点なんだ、腕ばっかり切ってても首を切らないと意味がない、くっそ攻撃を防げても首を切ってないから攻撃が止まらない、必殺技が首にあたってないから効果がない、うわっ!攻撃をくらってしまった、早く首を切らないと!、ああ!首を切ってないから仲間が(ry」

ちょっと大げさに書いたが映像と合わせるとこれくらいのしつこさがあって、いや見ればわかるわ。何度も説明しなくてもいいよ、今見てて熱くなってるからちょっと黙っててくれ、ってなってしまう。

2.感動の押し売り

これは解説がしつこいこととセットにはなるけれども、解説が話の内容の説明だけでなくこちらの考え方や感動の仕方まで決めつけてくるように感じてしまう。感動の強制というような、感じ方の正解を前面に出してくるあまり逆に感動しにくくなってしまったのは自分だけだろうか。
考察とまではいかないが少しも考えなくていいように、意味わからないといわれないように、懇切丁寧にリードしてくれている。

ほらここは泣けるシーンだよ泣いて。ここは白熱するから盛り上がってね。おっとここにちょっと閑話休題の(サムイ)ギャグ入れるから笑うんだよ。面白いよね。

学校の国語の授業で作者の考えを答える問題に答えているような気持ちにさせられる。

映画でぐっとくるシーンなんか人それぞれなのにどれにも感動しなければいけないような息苦しさがあるし、それが転じて巷で「キメハラ」なんて言葉で揶揄されるようになってしまっているのではなのかな。
鬼滅の刃は喜怒哀楽のすべてが盛り込まれている素晴らしい作品なのだが、逆に言えば盛り込みすぎて、さらにはすべての感情をギアMAXで提供してくるから、僕としては感動のフォアグラみたいな気持ちになってしまった。

画像2

3.主人公が悩まない

炭治郎がいいやつすぎて応援しにくい、、、
力や技とかそういうのはまだまだ修行中だから足りないのはわかるのだけど、志は柱顔負け。
君はすでに立派よ、炭治郎。家族を殺されて復習したい、禰豆子助けたいよな、そのためにたくさん修行しないとな、うんうん。
そんで調子はどうよ?おー頑張ってるね、

ってな感じで、なんか一歩引いてしまう。ちょっと人間味が薄いというか投影しにくいというか。
芦田愛菜が大人顔負けのコメントをするような。

それと炭治郎が志だけでなく行いも品行方正・清廉潔白でちょっと気味が悪い。

リレーをして完走したからみんな金メダル、男女平等だからちゃん呼び・くん呼びせずフルネームでさん呼び、家族さえいればお金なんて必要ない。。。

炭治郎は努力してるからきれいごとではないんだけど、だけどなぁ・・・なんでも卒なくこなすなぁ


なんだか炭治郎には挫折はあっても悩みはない。善と悪・陰と陽はっきりしすぎているのが不自然に感じてしまうし、この点に関してはむしろ鬼サイドのストーリーが面白いまである。

4.”深み”があんまりない

一般人のおまえに作品の深みなんでわかるのかよって感じですけど、正直鬼滅の刃は心揺さぶれるものが見つからなかった。
はじめにも書いた通り、僕は結構大ヒット王道ストーリーが好きだし、ハマる方。やはり王道には王道たるゆえんがあると思う派の人間。だからこそ鬼滅の刃にはそれが見つからなくて考えてしまった。他のジャンプ系漫画と大差なさそうなのに何がここまで人の心をつかんで、自分のは掴まれなかったのか?

それは物語に深みがないからだと思う。
深みは一言で表せる概念ではないが今まで書いた3点含め、どうも普遍的なテーマが薄い気がしてしまった。
ディズニーやジブリ作品は根幹に大きなテーマがあって、子供にも大人にも感動させるストーリーになっているから人気があると思っている。年代ごとで作品の見え方が変わって、いろいろな解釈ができて、また個々人の背景や生き方によっても感動するポイントが見つかる。そういう風に作っているからではなく普遍的なテーマが作品の奥底に構えているから人の持つ多面性に触れることができるのだと思う。
一方、鬼滅の刃は2.にも書いた通り、感動の仕方を決めてきているのでこの点でこの人の持つ不確実性の部分にミスマッチな気がした。しかも鬼退治とか動機が復讐とか内容は割と過激な方だし。
間違いない全てを合わせて怒涛の正論と直喩を提供してくる鬼滅の刃はどうも注意書きの多すぎる缶チューハイのように感じてしまった。

画像1

結論

個人的に鬼滅の刃は大ヒットしたというより商業的ヒットに成功した分類の作品にカテゴライズされる。
わかりやすい解説・わかりやすい感動・わかりやすい正義、大多数に評価される所以もうなずける。映画界隈でよくあるわかりにくいほどすごいみたいな風潮もどうかと思うが、映画を見て自己投影したり考えたりするのが好きな自分にはたまたま合わなかった作品だっただけかも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?