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嫉妬から生まれた夢を追い続ける。

#43ルックバック


はじめに

まず、ルックバックという作品を素晴らしい作品を作り上げた藤野タツキ先生。そしてこのような形で映像化された押山監督に感謝いたします。
そして何よも、素晴らしい作品を創り続けている全てのクリエイターの方々に感謝と尊敬の意を表したい。

圧巻の60分。たった60分で感情全て持っていかれる。
特に映画関係の人でもないただの一般人な私ですが、
"やられたぁぁぁぁぁぁぁああ"という気持ちになりました。笑



自分は特別ではないと気づいた時

個人的な話になりますが、私は幼い頃からなんから"センスがいいね”と言われたり、”これ描いて”と頼まれることが多かったりで勝手に自分には"才能"があり特別な人間だと思っていた。
で、美大を目指すようになり、東京の予備校に行き、初めて描いた絵が壁張り(優秀なものが選ばれ廊下に貼られること)。やはり自分に才能があると思ったが、壁張りはそれが最初で最後。
実際は私よりも、もっと才能がある者で溢れていて、
自分は特別でないことを知る。
でも何者かになりたくてとにかく描き続けた。
決死の思いでムサビに入学したが大学なんて言うまでもないが今までよりももっと才能がある人で溢れている。
でもとにかく何かを創る。創り続けた4年間。
この映画の藤野を見た時、その時のことを思い出し、胸がキューっと締め付けれた。

悔しくてもがく藤野


嫉妬という感情の使い方。

京本と藤野の関係は、互いに互いの才能に惚れ、嫉妬し、対抗心を燃やし、自分の才能を磨き上げる。
まさに尊い関係性。
クリエイティブの環境下に生きる者にとって、嫉妬心を抱く者がいて、
その嫉妬心から生まれるエネルギーは何より素晴らしい材料になるのではないだろうか。
嫉妬という感情の使い方の正解を見た気がした。

描き続ける藤野


自分の才能を相手の為に


この映画における”ルックバック”という意味は様々ですが、
お互いの背中を見て、学ぶ。
そして、知らない世界を互いから学ぶ。
知らない世界を知り、視野が広がり、自分の才能を伸ばす。
そうして、磨き上げた才能を個々のものとして利用するだけでなく、
二人のものとして使う。
こんな才能の使い方最高すぎる・・・・。
引きこもりだった京本が、藤野と出会い、外に出て、
やがて、もっと広い世界を見たい、もっと自分の才能を藤野のために磨く。
そうして美大に行きたいと思うようになる。
そんな姿を見て私は涙が溢れた。

外の世界を知る京本


憎悪に奪われた二人の夢


そんな中、起こってしまう残虐で無差別な事件。
どちらかが夢を諦めたわけでもなく、2人が絶縁するわけでもなく、いつか互いにスキルアップし、また一緒に素晴らしい作品を作ろう、とさえ思っていたであろう時に起こってしまう事件。
自分たちではなく、愚かな他者の手によって、二人の夢が断たれてしまった。
悔しくて涙が止まらなかった。

京本の部屋で悔やむ藤野

描き続けるということー

決して自分が悪いわけではないのに
あの時の自分を振り返って自分を恨む藤野。
どうせなら自分も死なせてくれよと思ったのではないだろうか。
そして振り返ると、”そんなことない。私の分まで書き続けてよ先生。”とでも
言わんとするかのように振り返ると出会った日に京本が来ていたあの、はんてん。
ルックバックだ。
ずっと、何故漫画を描いているのか分からなかった藤野。
京本が死んだ今、京本のために描き続ける。
漫画の中の世界で京本にまた命を吹き込む。
それが今自分にできることなのだと。使命なのだと。

ラストシーン

最後に

この作品ができるにあたり、京アニ事件をフラッシュバックするとい批判の声もあったようだが、私はこの作品であの描写を入れてくれた藤本先生の勇気に感謝したい。
一部PTSDに苦しむ方もいるだろうけど、
あの事件で、素晴らしいクリエイターの方々と、その作品が失われたということを忘れないためにも、新たな作品として残すことができたと思う。
この二人の背中を見て何を思うのか。
この作品では様々な形で彼らの背中が映されている。
様々なルックバックがある。
それを見てどう感じたが大切なのではないだろうか。


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