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どこまでも這っておゆき、蛇苺

我が家には、小さな庭がある。

築40年を超える一軒家、それを借りることを最初、夫はひどく嫌がった。当たり前だ、彼の実家はまだ建てて20年も経っていない、いつ帰っても小綺麗な一軒家。その住み心地を知っている彼が、今更おんぼろな家に住みたいわけが無い。

しかし私は、生まれた時から借家生活、今も一応はある帰ってはいない実家も、それこそ築40年以上経っているアパートの一室だ。

どんなにボロ家でも私はこの、庭のある一軒家に心から憧れた。

一応、不動産屋さんの審査があったので、その間に近所の神社を見つけてお参りしておいた。「ここに住みたいです」と伝えたら、氏神様はどうやら許可してくだすったらしかった。

そうして引っ越してきて、今年で7年になる。

以前に住んでいた誰かの作った花壇が、庭の、ところどころ欠けたコンクリートの地面の上にどでんと居座っている。引っ越してきた当初は、盛られた土は細い丸太で囲われていた。紫の、根の深い花—検索したけれど名前が出てこないそれが、みっしりと生えていた。熊蜂が喜んで蜜を吸いに来て、当時は熊蜂の愛らしさに理解の無かった私は、それが怖くって雨の日にひたすらその紫の花を引っこ抜いたのだ。あれは惜しいことをした。

その花壇もとうに丸太が朽ち、私は玄関前にあった花壇をバラし、そこの囲いとなっていた大きな石をみんな運んできて、庭の丸太と交換した。玄関前の花壇跡地にはアイビーを植えたら、たちまち辺りを這った。昔から「蔓に覆われた家」に憧れがあったから、まあ良しとした。

引っ越してきた当初に庭に植えた金木犀は、一昨年くらいからのんびりと花を咲かせるようになった。

それこそ以前は、深谷の道の駅に行って、お安い花の詰め合わせみたいなものを買ってきて、ホクホクとして庭に植えたものだ。

けれどもコロナ禍が進み、しばらくは花を買いに行けても近所のホームセンターまでだった。しかし私、どうにも貧乏性で仕方なくって、ホームセンターでお花を買うのも大概、値引きされた枯れる直前みたいなものにしか手を出せない。これはもう、収入がグンと上がる日まではやめられない習慣であろう。

だもんで考えたのが、雑草の中から可愛いものを見つけて植えることだった。

特に夏場なんかは、暑くってとてもじゃあないけれど庭仕事に精は出せない。そうしてぐずぐずしていると、庭は綺麗に保ってやれない。けれど、緑が無いのは寂しい。

ので、埼玉っぽい言い回しをすれば「そこらへんの草」を抜いてきて植えてみた。

どうやら黄色い花をつける苺は「蛇苺」らしい。

この蛇苺、どんどこと花壇を侵食していく様子を見、きっと人に寄っちゃあ害草極まりない存在だと思う。

でもまあいっか、花壇が苺でいっぱいなさまも見てみたいし—そんな塩梅でゆるく見守ることにした私だ。

蛇苺の花言葉は「可憐」、「小悪魔のような魅力」。

そういえばけっこう昔は、ワイルドストロベリーを上手に育てられたなら、恋愛運が上がる—なんてジンクスもあったっけな。当時の私は、軒並み枯らしてばかりだったけれど。

そういえば先日も、散歩道の脇に生えていた野花を摘んできた。私有地でないところだったはずなので、花泥棒じゃあないはず、うん。

私はきっと、売り物の高い花みたいにはなれない存在だ、そう思う。

けれど、どこにでも実はひっそりと咲いておきながら、それでも目に留めてくれた人にとっては「摘んで帰ってしまいたい」とか「増やして庭にいっぱいにしたい」とか思わせる、そういう花みたいになれたらいいな、そう思う。

花壇に、蛇苺の実がいっぱいなるのが楽しみだ。

赤くて小さな実はけして美味しくはないらしい。でも「食べて美味しい」だけが魅力じゃあ無い。むしろ「美味しくない苺」だなんて、ひねくれていてサイコーだ。

いかにも私の庭に相応しい、そんな存在だ、そう思う。


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蛇苺って言葉、最初に知ったのは香奈ちゃんの曲で、でした。

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テレビ埼玉のCMに出演しています。良かったら是非ごらんくださいね!


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