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少年―カスパー・ハウザーによせて

目が覚めるとそこは、明るい場所だった。

明るい、という言葉の意味を初めて理解した。これが、この世界の白さが「明るい」なのか―僕はそのことに身震いした。当たり前に、気持ちが昂った。

僕を保護した老人は、なんてことのない児童公園のベンチで眠る僕を見、慌ててタクシーを呼び、運転手に僕を抱きかかえさせてまで家に運んだという。孫くらいの歳のがりがりに痩せた子供が、薄汚い格好で死んだ様に眠っていたら、そりゃあ心配にもなるだろう―と、彼は取材に来たメディアに語ったそうだ。それらは記者の手によってセンセーショナルに報道された。

何故なら僕は、いろんな運命の悪戯に懐柔された、とくだん哀れな子供だったからだ。

何を訊いても「わからない」としか応えない僕に、老人を経由して次に僕を引き取った児童相談所と、僕の身元を調べねばならぬ警察は、とにかく困り果てた。僕の体の成長が見るからに不十分であること、そして僕の五感が異様なほど研ぎ澄まされていることから、しかるべき判断者は僕を「どこかで長らく監禁されていた子供」で、「何かのきっかけで解放された」のであると推測した。

僕が診断テストで絵を見せられて、四つ足の動物のことだけはそのすべてを「お馬さん」と呼んだ時には、研究者の先生が憐れみから涙したほどだった。その先生は女性で、若くはないけれど小綺麗にした聡明そうな人だった。彼女は熱心に僕のことを理解しようとし、そして僕が少しでも世間に馴染めるようにと努めてくれた。彼女の名はコダマ先生といった。

僕が児童公園で見つかった時、僕のずたぼろな衣服のポケットには、二枚の紙が入っていたそうだ。一枚は「私にはもう、この子を育てられません。この子をよろしくお願いします。」という短い手紙、そしてもう一枚には僕の名前と生年月日らしきものが書かれていたそうだ。

僕も、僕の名を知っていた。僕はひゅうが。ひゅうがという名前なのだ。「わからない」「お馬さん」「ひゅうが」だけが、僕の発することのできる言葉だったのだ。

「あなたは、あなたの持っていた紙の通りならば、本当は16歳。けれどもあなたはとても、16歳には見えない、もっと幼い姿をしている。…あなたは失われた時間を少しずつ取り戻さなくてはいけないの。だから私と一緒に、少しずつ勉強していきましょう。ね?」

コダマ先生はとにかく優しかった。難しい言葉の羅列に「…わからない」とだけ応えた僕を、彼女はとても愛おしそうに撫でてくれたのだった。

僕の生まれたであろうとされる年というのは、実に世の中が混沌としていた時期だったそうだ。不況のどん底にあり、人々の表情は暗く、うんと若い世代が犯罪に走っては、時に残虐な殺人事件を犯したりした。そしてあろうことか、子供の誘拐事件がやけに多かったそうなのだ。

買い物に行ったデパートの中で、林間学校のざわめきの中で…いろんな場所で子供が連れ去られ、そのまま行方不明になった。見つかる子供は少なく、街のあちこちに捜索のビラが貼られた。赤子も多く誘拐された。僕はその中の一人なのではないかとされ、様々な人との鑑定をする為、血だったり何だったりを散々提出させられた。

それでも僕の身内は見つからなかった。僕はそんな日々の中、主にコダマ先生によって、一人の人間として生活する術を、知識を、みるみると吸収していった。

そんな僕に、世間は食い入るように注目していた。僕の顔が、とある有名芸能人の若い頃に瓜二つであると―下種な週刊誌が、すっぱ抜いたからだった。

出羽という名の、そろそろ三十半ばにもなる男性芸能人だった。彼は子役タレントから大物に上り詰めた存在で、恐ろしい程に人気があった。老若男女問わず、誰もが彼の屈託ない笑顔を愛していた。テレビを点ければ彼を見ない日は一切なく、本屋に並ぶ雑誌には、殆どどこかしらに出羽の姿が写っていた。出羽がCMに出た商品はバカみたいに売れ、出羽が歌えば必ず、その楽曲はランキングで一位になる。それくらい人々は出羽に熱狂していた。彼には、そんな異様な魅力があったのだ。

その出羽の子役時代の姿に、僕はあまりにも似すぎていた。特に、身なりを小綺麗にし、最初は体が受け付けなかった様な食べ物にすら少しずつ慣れ、ようやく体が骨と皮だけでないくらいに肉付き良くなってきてからは、あのコダマ先生までも、僕が出羽と似通っていることを認め、時に険しい顔をした。

「先生、あの人たちは、僕が出羽の隠し子だと、そう思っているんでしょう?」

僕が教育を受けている機関の玄関で、警備員に放り出されているどこぞの記者を見、僕が口にしたその言葉に、コダマ先生は驚きを隠さなかった。

「…あなたはもう、そんな難しい言葉を使いこなせるようになったのね。」「先生、あなたに出逢ってから二年経ちます。」「そうね、二年…あなたはたった二年で、ここまで人間らしく成長した。そしてもうすぐ、私の息子になる。」

コダマ先生は、僕を養子にすることが決まっていた。誰もがそれを祝福してくれた。コダマ先生なら何の心配も要らない、と皆が皆、手放しで喜んだ。

僕だって、それがとても嬉しかった。僕にとってコダマ先生は、母親同然だった。ずっと独身を貫いてきたコダマ先生だ、おそらく僕が最初で最後の子供となる。僕はもっと立派になって、コダマ先生に恩返ししながら生きていきたいと、そう、強く思った。

「あなたに出逢えたのは、神様からの最大の贈り物だわ。」

庭の百日紅の花を眺めながら、とても幸せそうに、コダマ先生が呟く。

「先生、僕にはどうしても神様ってものがわからない。そんなヒトがいるなら、どうして僕は、長い暗闇に閉じ込められ、いきなり外へ出されたんだろう。」「そうね…でもきっと神様もあなたに、この世界の美しさを見せたかったのよ。」

愛らしい百日紅の花の向こうに、青空が雲を乗せて輝いている。古いけれど縁側の心地よいこの家は、コダマ先生の亡くなった両親が遺したものなんだそうだ。コダマ先生は早期退職をしてまで、僕を育てることに専念すると決めてくれた。そして僕は特別な学校に籍を用意され、最終的な目標として高卒認定試験を受けるべく、毎日勉強を重ねた。

記者に付け回されては、道行く人に出羽を連想され、ぎょっとされる毎日だった。出羽のしていない眼鏡を着けてさえもそうだった。だから僕はけして公共の乗り物には乗れず、コダマ先生の運転する古いビートルでだけ、移動が叶った。出羽も出羽で隠し子の存在を記者にしつこく訊かれ、その度に何度も否定しているらしかった。

「それでも、他人の空似と言うには、あなたは出羽トオルに似すぎているのよ…。」「コダマ先生も、僕を出羽の隠し子だと思っているの?」

くだらないワイドショーが茶の間に流れ、コダマ先生はそれを遠い目で見ていた。僕は、自分が出羽の子供かどうかなんてどうでも良かった。僕は僕が誰だっていい、ただ僕は立派になって、コダマ先生との暮らしを守っていきたいだけだった。

「…あなたは、出羽トオルがまだ子役だった頃、学校が舞台の大ヒットドラマに出ていた時の…あの姿に、あまりにも似ていてね。」

僕はコダマ先生から、そんな言葉を聞きたくはなかった。

妙に腹が立ち、僕はそのまま茶の間を出た。昔はコダマ先生の部屋だったという、箪笥なんかの家具すらも先生が使っていたままにされている、今は僕の自室である六畳間に飛び込む。躍起になって襖を力強くばたんと閉め、その勢いで何かが落ちてきたことに気付いた僕は、それが襖の上、長押と呼ばれる場所にこっそり隠されていたであろうモノだったことを悟った。

それは—あまりに僕にそっくりな、若かりし日の出羽の写真の切り抜きだった。

おそらく雑誌の一部を切り取ったであろうそれは、笑ってしまうくらいにぴったりと、長押の隙間に隠せるサイズになっていた。もう古ぼけて紙の劣化が始まっている。一瞬、僕だか出羽なのか判断のつかないくらい、写真の彼は僕にそっくりで、僕はもう、何も言えなかった。

―私の両親はとても厳しくてね、いい大人になった娘にすら、たとえば芸能人にうつつを抜かすことでさえ許さなかったの。部屋にも勝手に入って来るし、机の引き出しも開けられてしまう。私はね、それが…とても窮屈だった。

いつかコダマ先生が僕に言った言葉が、僕の中で勝手に再生される。

コダマ先生は—僕が、出羽に似ているから―だから僕を引き取ったのか?

先生が、この切り抜きを愛おしそうに見つめ、わざわざ長押に隠す姿を想像し、僕は吐き気を催した。そんなに好きだった癖に、どうしてこの切り抜きの存在を忘れてしまうんだよ。…本当に神様なんてヒトがいるとしたら、なんでこのタイミングで、僕にこの切り抜きを見つけさせる?おかしいよ。どうして僕だけが、こんな思いをしなくちゃあいけないんだよ。

案の定、外には記者が一人張り付いていた。飽きもせずにずっと僕を追いかけている、週刊誌の記者の、さもベテランそうなおっさんだ。コダマ先生に見つからないようこっそり出た自宅の、ほんの少し先の外灯の下におっさんは居た。僕が出てきたことに気付き、彼は一瞬身構えた。が、僕が確実におっさんに何かを伝えんが如く歩み寄ってきていることに、彼はすぐに気づいた。そして、自分から口を開いた。

「…俺は、週刊〇〇の記者の比毛だ。どうしたんだい、いつもならもう、君は眠っている時間だろう。」「…そんなことまで知っているんですね。」「当たり前だ、俺は君が保護されてすぐから、ウチの編集長に君を追い回すよう命じられてきた。俺はある意味、誰よりも君を見つめてきた人間だ。」

僕はその皮肉があまりにもおかしくって、笑った。比毛とやらもつられて笑う。ああ、このおっさんになら話してやるのにちょうどいいかも知れない。僕は、僕を繋ぎとめていた何かがすっかり千切れてしまったことに気付いていた。そしてもうきっと、コダマ先生の元には帰れないということも。

「場所を変えましょう、比毛さん。あなたにプレゼントをあげます。あなたはきっと、世間を狂わす記事を書くことになる。誰よりも僕を見つめてきたというあなたにならふさわしい、そんな仕事です。」

僕を産んだのは、まだ学生だったあどけない少女だった。当時流行っていた誘拐によって悪い男どもに攫われ、そこで僕を孕まされた。命からがら自宅に戻ることのできた彼女はそのことを誰にも言えず、痩せ型だった彼女の腹が僕で膨らんでいくことにやっと気づけたのは、彼女の優しい母親ただ一人だけだった。

既に堕胎のできない時期まできていた。母親は、普段は放置されたままの自宅敷地内の倉庫で、ひっそりと娘の出産を手伝った。そこは地主の家で、倉庫のある場所も母屋からは少し距離があり、いくら赤ん坊が泣き叫んでも、誰も気づかずいられたのだ。地主の家、というのも、彼女の出産を隠すほかない理由の一つだった。

倉庫の奥、絶対に誰にも見つからないような場所で、僕はそのままひっそりと育てられた。光はほぼ入らず、少なくとも物心ついた頃には、一日一度の冷めた食事を僕の産みの母が運んでくる以外の刺激は、僕には殆ど与えられなかった。せいぜい外で小鳥が鳴いているとか、雨が降っているのが聴こえるとか、その程度だ。

母は毎日、呪いの様に僕に囁いた。

「私を犯したやつがテレビに出ているの。何にも悪い事なんかしていない、僕は聖人ですって顔して。それがあなたの父親よ。」

母の気が向いた時には、そうして今までの経緯をつらつらと、あまりにも深い憎しみを込めて、彼女は語った。「お馬さんみたいに四つん這いになって、あいつは、私を…。」僕はそうして「お馬さん」は「四つん這い」になるのだと学習した。四つん這い、というのがいまいちわからなかったけれど、ある時母が狂気に落ちて「お馬さんみたいに四つん這いになったあいつ」を再現する動きをした時に、僕はなるほど、とバカみたいに納得した。

どれだけ時間が経ったろう。ある朝、母の代わりに違う女が現れた。「あんたの母親は昨日の晩、自殺したよ…。」、そう呟いたのが母の母、つまり僕にとっての祖母であることは明確だった。

「いいかい、これからあんたを外へ出す。あんたはここで育ったことを、誰にも言っちゃあいけないよ。誰に何を訊かれても『わからない』とだけ返事なさい。いいね?」

そして僕は祖母に何かを飲まされた。すぐに重い眠気が僕を襲う。きれぎれの意識の中、祖母の声が聴こえた気がした。

「…あんたに、最後にこれだけは与えてあげよう。あんたの名前はひゅうが。あのコが…あんたの母親が唯一、あんたの為に遺したものさ。」

ひゅうが―それは、出羽が子役時代にドラマで演じた役で使われた名前だった。

―あなたは、出羽トオルがまだ子役だった頃、学校が舞台の大ヒットドラマに出ていた時の…あの姿に、あまりにも似ていてね。

コダマ先生が言っていた、まさに、そのドラマでの役名こそ「ひゅうが」だったのだ。

明日、比毛のおっさんの書いた記事は世の中を震撼させるだろう。場合によっては、出羽のファンがショックで自殺するなんてこともあるかもしれない。比毛は「それでも、君が望むなら俺は書くよ。」と言ってくれた。

「ずっと君を付け回し、君を苦しめてきた俺にできることは、誰かが悲しむことよりも、君の望みを優先することだ…なーんて、こんな下種な仕事の野郎に言われたところで、な。」

比毛はそう言って苦笑いしたけれど、僕は嬉しかった。

「ありがとう、案外、比毛さんの方がよっぽど、僕にとって優しい人だったのかもしれない。」

僕は比毛の編集部によって用意されたホテルで、コダマ先生から逃れ、そうして少しの時間を過ごしていた。明日記事が出る―これでもう、思い残すことは何もない。

僕はいつかのあの日、コダマ先生と見た百日紅の花を思い出しながら、ひっそりと涙を零した。そして握っていたナイフを、思いっきり自分の腹に突き刺した。

ねえ、先生。いっそあなたに出逢わなければ、否、ずっとずっとあの蔵の奥から出されなければ、僕は、こんな苦しみを感じずに済んだのにね。

先生、それでも僕は—もしも神様がいたとして、神様を信じていればいつか救われるというのならば、生まれ変わった時こそ、あなたの息子として、出羽の身代わりじゃなくあなたの息子として、あなたの傍にいたいと、神様に祈ろうと思うんだ。


カスパー・ハウザー(Kaspar Hauser、1812年4月30日? - 1833年12月17日)は、ドイツの孤児。16歳頃に保護されるまで長期にわたり地下の牢獄(座敷牢)に閉じ込められていたとされ、その生い立ちからしばしば野生児に分類される。発見後に教育を施され言葉を話せるようになり自らの過去などを少しずつ語り出すようになったが、詳細が明らかになる前に何者かによって暗殺されたため、その正体と出生から保護に至るまでの正確な経緯は現在も不明なままである。特異なまでの鋭敏な五感を持っていたことでも有名。数奇な生涯は専門の研究書から文学、楽曲など様々なジャンルで取り上げられ、殺害現場となったアンスバッハでは現在、祭礼が2年ごとに行われている。—Wikipediaより

参考資料


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