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誰かの心の幼子へ

ポプラ社 こどもの本編集部さんの、「こんな学校あったらいいな 」の投稿ピックアップに、私の書いた「音楽室の、知らない先生」を選んでいただきました。ありがとうございます!

ピックアップは本選考とは関係ないとはいえ、本当に嬉しかったです。

というのも、私はたぶん小学生くらいからずっと「いつか自分の書いたものを書籍化したい」とか「書くことを仕事のひとつにしたい」とか考えてきて、それこそ小学生の頃とかは、町内とかそういう狭い範囲内での表彰はされたことがあったけれど、大人になってからはからっきし☆だったからです。

いったん重い鬱になって以来、あまり長い作品は書けなくなり、専らSNSでエッセイ的な文章を発表するばかりになっていましたが、noteを見つけてからはちょこちょこ小説なんかも書いてきました。一時期思うところがあって消してしまったものもあるけれど、今はまた「私の神様」シリーズとか書いています。

そういう中で、何となく曖昧なものに誤魔化してきた「いつか自分の書いたものを、出版社を通して本にしてみたい」という願望が、またふつふつと湧き上がりました。その中で挑戦してみたのが 「こんな学校あったらいいな」の企画で、久住さんの挿絵の卒業文集とか超欲しい!と思ってがぜんやる気が出たのでした。

ところで、ポプラ社一般書通信さんのこちらの記事に、ぐっときたところがありまして。

そこには「今を生きる人を癒すような小説を作りたいと願う」という主旨の、ポプラ社文芸編集部さんのお考えが書かれていました。

「あー私、いつかここから本を出せたらいいな。」…って思ったのをマジで記事にしようと企んでいたのですが、結局書いてませんw願望は表に出すといいよ、ともよく聞くので、そうしようと思っていたけど、まだやってませんでした。なのでこの記事でやっちゃいます(`・ω・´)シャキーン

そんな願望の達成に、今回のピックアップは、ちょっとだけ近づけたのかも知れません。編集部のかたのお目に留まっただけで本当に幸甚というものです。ネットの無い時代だったら、こんな気軽に応募できませんしね。重ね重ね、ありがとうございます。

いろいろやりたいことがあった中、高校時代には一時期、心理職に就きたいとも思っていたこともありました。自分自身が半ば不登校、教室に入れない時間を鱈腹過ごしたので、そういった子供の為になれる仕事がしたかったからです。

けれども心理職に就く為には、当時は私立の大学に受かる他無く、そんな金銭的余裕はまるで無かったゆえ、私はその夢を遠くに放り投げるしかありませんでした。

時は流れ、前職の学童指導員を体験し、子供に寄り添った仕事にやりがいを感じました。自分なりに物凄い努力を重ねました。大学も出ていないのによくもまあ、福祉や教職を学んでいる学生と肩を並べて働いたものです。でも、楽しかった。子供たちの成長をとても近くで見つめていられることは本当に、幸せそのものでした。

そうした時間を経て、私はやっぱり、人の心のそばにありたいと感じました。

正直、人見知りだし人と接するのは疲れるし、はっきり言って私は人が嫌いなところが強いです。それでも自分が「人の心のそばにありたい」と思うのは、自分自身もまた、人の存在によって癒され、人の優しさに救われているから。誰かに与えて貰ったものは、他の誰かに繋げていきたい。せき止めないで、循環させていきたいのです。

それが、自分が本職だと思っている音楽だったり、こうして好きで続けている書くことだったり、そういった私の得意分野(って言っちゃっても、いいかな?)で叶えていくことができたなら。それが、今の私のやりたいことのひとつです。心が、穏やかに動いている時の、ね…w

人はずっと、心に子供のままの自分を同居させたまま、肉体の年齢を重ねるのだと思います。

私もまた、両親からの愛情を充分に受け取ることのできなかった幼い私と、ずっと一緒に生きています。激しく、火のついた様に泣き喚く彼女を抱きしめながら、彼女のやりたいこと、願い事をひとつひとつ汲み上げ、両親の代わりにそれを叶えてやる日々です。

音楽室の、知らない先生」が今回のピックアップによって、誰かの心の子供にメッセージを伝えるきっかけになれたなら…なんておこがましいことを考えます。でもそれで誰かがちょっとでも安らかになれたならば、私もとても嬉しいです。


頂いたサポートはしばらくの間、 能登半島での震災支援に募金したいと思っております。 寄付のご報告は記事にしますので、ご確認いただけましたら幸いです。 そしてもしよろしければ、私の作っている音楽にも触れていただけると幸甚です。