![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132604947/rectangle_large_type_2_04f176f2fe41c323d0d684714d2e88fd.png?width=1200)
LEMON CLUB FOREVER
「絶対に楽なバイトを探すぞ!」
という雇う側からしたら最悪すぎる決意を胸に
大学生の僕は街を彷徨っていた。
学生街の求人はどうやら50倍くらいになるらしく正攻法で求職は諦め、暇そうな店を見つけるためにひたすら歩き続けた。アホである。
当然そんな店はバイトを募集することはないので、求人は見つかることもなく、途方に暮れて立ち止まった時、電飾の看板が目に入った。
駅前の聞いたことのないカラオケの看板。
ここに望みをかけるしかない、
と古びたエレベーターに乗り込み3階の受付へ。
「いらっしゃい。何時間?」
と尋ねる初老の男性に
「すみません、バイト募集してますか?」
と会話にならない馬の骨。
「、、、一応連絡先教えて」
後日電話が来て働くことになった。
大学1年生の暮れの話である。
その個人経営のカラオケで
不意に現れた馬の骨を雇った男性こそが「店長」
ゆうたろうに似ていた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132605397/picture_pc_6a34e516dab75746fd2c7a0a7c6ea557.png)
金、土の夜にシフトがあり
20時までは高校生がフリータイムを楽しみ
それ以降はサラリーマンがちらほら。
稀に団体が複数訪れて満室になることがあった。
19時にシフトに入ると店長は休憩に入り、
時々電話がかかってくる。
「お客さんは?」
「◯◯号室だけです」
「ああ、そう、よろしく」
大体そんな感じ。
断固たる決意が嗅覚を研ぎ澄ませたのか、
探し求めた楽なバイト先だったのである。
先にいたアルバイト2人は辞めてしまい
軽音サークルの友達を2人紹介。
案の定面接無しで採用が決まり最強のシフトが完成したのだった。
それからは最高のバイトライフを過ごした。
当時破格の時給900円。客足が減ったらシフト終わり。チャーハン、ピラフ、ドライカレーいずれかの賄いあり。
「暇な時はマンガでも読んでて」
という店長の言葉に全力で甘え
バイト前にブックオフに寄るルーティンができる始末。
本棚代わりのプラスチックの靴棚は「MONSTER」「20世紀少年」の重さに耐えられず斜塔なみに傾いた。
全員怠惰な大学生なので店長とのメールのやり取りは基本的に全て「遅れます」。時々当日欠勤もあった。
勿論店長には内緒だが
友達が「童貞の友達を◯ープに連れて行ったから」という理由で遅れてきたことがあった。
行く前と後でインタビュー動画を撮っていて
それには腹が捩れるほど笑ってしまった。
無愛想に見えるし口数の少ない店長だが、そんな僕らをクビにしないどころか、ものすごく優しい人だった。
賄い以外に、時々近くのマクドナルドを差し入れてくれた。何故かハンバーガー2個、などの謎のチョイスだったので、「(セット食いてえな)」と思ってはいたが、その不器用な優しさもなんだか良かった。
休みの日、友達が宴会の後、わざわざカラオケに出向き
「給料を前借りさせてください!」と頼みに行った。
「ダメだよ〜無理無理。給料日まで待ってよ!」
と少し強めに断っていたが
「どうしても、お願いします!金ないんすよ、、!」
と押されると1分後くらいには
「、、5000円でいい?」と折れていた。店長は押しに弱い。
それからはタガが外れてしまい
店長からバイト全員に「前借り大丈夫?」
と聞いてくれるようになった。
友達はほぼ日雇いで給料をもらい
給料日にはほとんど空の封筒を受け取って
「全然入ってねえよ!」と文句を垂れていたが、いやそりゃそうだよ。
ある日のシフトでは友達の彼女が別のバイトを終え帰りにカラオケに迎えにきた。
「おお〜◯◯くんの彼女?
◯◯くん、上がっていいよ!」
友達は「じゃ笑」と言い残し彼女と帰った。
「じゃ笑」じゃねえよ、と思いながら、彼女のいない僕は残された皿を洗いながら泣いた。
彼女が迎えに来るとシフトを上がれるシステムが出来た。
他にもエピソードは数え切れない。
「友達が幽霊に取り憑かれちゃったんです泣」
と女子高生に言われ救急車を呼んだり
町田の風俗店と間違えて予約の電話がかかってきたり
そんな日々を過ごし3年もアルバイトは続いた。
ある日友達3人同時の最強シフトが組まれた。
出勤すると、
「近くにお店予約してるから、今日はみんなで飲んできなよ。お会計も済んでるから」
店長はもうすぐ卒業する僕のお祝いとして
店を用意してくれていた。
※友達は2人とも留年が決まっていた。
この粋な計らいはあまりの優しさに
クソ大学生3人とも後ろめたさを覚えるほどの出来事だった。
後日、僕の最後のシフトは
年金手帳の受け取りやなんやで1時間ほど遅れてしまい
客足も悪く2時間で終了した。
「今までありがとうございました。」
帰り際の僕に店長は
「これからも頑張ってね」
と泣きながら5000円をくれた。
この日は時給2500円になってしまった。
僕の卒業以降、欠員は代々軽音サークルのメンバーが補充されることになった。
時給は1200円程度にまで上昇し、
後輩の中には
「店継がない?継いでくれるなら愛車(アウディ)あげるよ」
とまで言われる者も現れた。
店長は2020年の年末ごろ、突然亡くなってしまった。詳しくは知らないが、お店で倒れてしまったと聞いた。
コロナ禍の真っ只中で、僕は奥さんの出産間近で帰省してしまっていた。そんな状況で顔を出しに行くことも叶わず、結局3年が過ぎて今日である。
訃報を聞いた頃、そういえば、店長の名前を知らないなと思った。
衛生責任者として名前が載っている札を見ていたけれど、本人からは聞いたことがない。ずっと店長と呼んでいたから。
娘さんがいることだけ、聞いたことがあった。他にどんな家族がいて、どんな人生を生きてきたのか、
思えば何も聞いたことがなかった。
あと知っているのはミステリー雑誌ムーの愛読者ということだけ。ミステリアスすぎる。
なんとなく、口数も少なく無愛想に見える店長に、そんな話を自分から聞くのを遠慮していた気がする。
大人になった今なら、笑いながら話をできる気がするのに、あの頃はそれが出来なかった。
昨年、お店に行ってみたけれどお店は閉まっていて、もしご家族にでも会えたらと思っているけど今更な気もして少し迷ってしまっている。でも行きたいよな。
店長、一度僕を迎えにきてくれたあの彼女と結婚したんですよ。僕も娘が生まれました。なんて、今更だけど伝えたいなと思う。
就活で金のなさそうな僕に、
全く入れる必要のない昼間のシフトを組んでくれたり、本当に優しい人だった。
毎年、年末が近くなるとこの話を想い出す。
ちゃんと文章にしたいと思って、毎年年末に書き出していたけれど、うまく書けなくて途中で辞めてしまい
結局書き終えるのに3年以上かかってしまった。
大事な想い出なので、誰かに伝えられたらいいなと思って、書いてみたのでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?