見出し画像

働く母について考えてみた

1月下旬第3子の保育園内定の通知が届いた。
突然ものすごい寂しさに襲われるが、働くことが嫌いかと言われるとそんなこともない。
ただ、まだ子供といたい、子育てをたっぷりしていたいという気持ちが寂しさを募らせる。
そんな中で仕事に復帰する前に今私ができることは何かを考えてみた。
結果、私は図書館へ行って役に立ちそうな本を読み合わせることにした。

「働く母」の子育て 「お金・時間・責任のプレッシャー」」という本を読む中で、子育てについて自分はこれまでたくさん悩んできたけれど、こんなにも色々な考え方があったのかと思わされた。
その中で感じたことを少し書いてみる。

私は子供達になるべくできることを増やしてほしい。人よりたくさんのことができる子になってほしいという思いをいつも抱えてきた。
仕事をしながら(育休前は)家庭のことをしながら子供のことを一生懸命考えてきた。

だけど、それは誰のためだったんだろう。
うちの長女は子供らしい子供で、長女としてしっかり者でもあるがふざけたり遊ぶことが大好き。
彼女を見ていると私はいつも何に焦っているのかなという気持ちともっとしっかり育てなければというプレッシャーっていっぱいになる。

だけど本当に子供に必要なのは小さい頃からの教育ではなく、親に愛されていると感じられることや、日々の家庭での生活の中で自分は生活の役に立っているんだ」と感じられる瞬間を作ってあげること。この2つ。

親がこどもを当てにして、こどもが親から当てにされていることを喜べるようになれば、そこに十分に「共同の質」が確保されるはずです。

「働く母」の子育て 「お金・時間・責任のプレッシャー」

また、私が抱えていたような競争させる気持ちを煽っていたのは、資本主義だということにもとても驚いた。
ごく少数が上昇するための能力主義のために日々競争について考えてしまっていたのだなと気がついた。
本来社会が目指すべきは一人一人が安心して生活できる社会だと私も思う。
今のように教育においても、人の競争心を逆手に取って行うようなビジネスが、身の回りに溢れている中で、本来の社会のあるべき姿を改めて感じることができたのは、とても幸いだった。

現実には人はさまざまに助けあいながら共同的に生きています。自分ができなくてもだれかができて、その能力を分かちもてば生きやすい社会になるし「迷惑」という個人主義の考え方も生まれません。実際の私たちのくらしは「依存」だらけで回っています。
 ところが、ひとりで稼いで賄うという資本主義のくらし方が広がり、能力の原理が世の中を覆ってしまいました。たとえば、教育の世界では、機会をあたえられて競争する「機会の平等」が大事ということになってしまいました。ほんとうは全ての人が安心して暮らせる自由で平等な社会を目指さなければいけないのです。

「働く母」の子育て 「お金・時間・責任のプレッシャー」

こんな感じで日々思うこと、本を読んで考えが改まったことをつらつらと書いていこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?