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ぜんぶ、愛だった



思い出すと、さっと心に影がさす

ふとした時に感じる、いつまでも抜けない棘のような

そんな出来事や人、記憶


きっと誰にでもあるのではないだろうか





私も例外ではなくて

私の尊厳(と思っていたもの)がズタズタに傷つき、とても悲しい思いをしたことがあった

当然、怒りだって半端なくて

ショックで、悔しかった





時間が経つにつれて、思い出すこともほとんどなくなった

悲しみや怒りは薄れ、表立って主張することはなくなっても、

心の中にそれはずっと存在し続けた



その傷を感じ、それが疼くたびに

私はそれを癒そう、手放そうとした


けれど、それはなかなかしぶとく、決して完全に無くなることはなかった




瞑想していた時、その傷に触れ、感じた

私はこう言った




好きなだけここにいていいよ









もしあなたが、住む場所を失い、行くあてもないとき

唯一頼りにできそうな人が一人だけいたとする


その人が、

大丈夫、好きなだけここにいていいよ

そう言ってくれたら、どれだけほっとするだろう





早くちゃんとあなたの行くべきところに行かないと


仮にそう言われたとしたら

親身に善意で言ってくれているのはわかるけれど、


ああ、私はあまりここにいるべきではないんだな


場合によってはそう感じるかもしれない




好きなだけここにいたらいいよ

あなたの好きなようにしていいからさ




苦しくて藁をもすがるような時

心から救われる言葉って、こういうことなのかも




あるがままを認め、受け入れるって、そういうことなんじゃないかな




私たちは、傷を早く癒したいと思う


それは私たちの本能だ



傷がぱっくりと開き、血を流していては死んでしまう

だから、一刻も早く癒さなければいけない



本能とは生命維持のためのサバイバル機能

つまり、マインドの領域だ

そしてそれは、オートマチックな「反応」だ






あるがままを否定さえしなければ、傷は癒える時に癒える

自力でシャカリキになって癒そうとしなくても


自然治癒力という言葉がある


人智を超えた大きな力


自然の摂理にあるがまま明け渡す

それが、サレンダー

身を委ねるということなのではないかと思う




そんなことを感じていたら、

かつて私を否定した人たちの切なる思いを感じた



私を愛してよ

認めてよ

そのまんま受け入れてよ




そうか、ただ愛されたかったんだね


それだけ、だったんだ


そのまっすぐな望み、心の叫びに触れた瞬間



どんなものも、全ては、愛だったんだと


どんな言動も行為も突き詰めるとそこから生じ、そこに辿り着く


ただ愛されたい

そのまんまの自分を受け入れてほしい



ただただ、それだけ


そしてそれは、他の誰でもない私自身の叫びだった


愛し愛されたい

ありのままの私を認め、受け入れてほしい


それを映し出してくれていたんだね


それは私たち全ての、原初の思い


だれもが共有している

みーんな同じ



こんなふうに同じ思いを分かち合っている私たち

なんていじらしい

好きとか嫌いとかを超えた、なんとも言えない愛おしい感じ


これが慈愛というものなのだろうか、と



消えない痛みは、いつの間にか

ともに分かち合う絆へと変わった

生きとし生けるもの全てが共に有する火花



それが腑に落ちると、

私たちを分離していた傷さえも、つながりを照らす灯火へと変わる



RHEA



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