人生はエモいモーメント作り
スピリチュアルでは、私たちは体験を通して学び、成長するという
そして、それと同じく私が最近思うのは、
人生、特にこの地球での人生や体験とは、
スピリットの思い出深いエピソード作りなのではないかということ
宇宙という視点から見ると、体験を通じて学び、気づき(学ばない、気づかないを含めて)、宇宙という巨大なデータベースが拡大するというシステムが確かにあるように思う
個々の魂(スピリット)という視点から見た場合、確かに体験を通じて学び、気づくというのはもちろんあるけれど、
ただエモいモーメントを楽しんだり、面白がっているのではないかと思ったりする
流行語に疎い私だけれど、先日セッションで
大変な時、苦しい時、ヘドロまみれだった時、もう終わりだと思った時
そんな頃のことを回顧すると、ぐっとくるじゃない?
という話をしていたら、クライアントの方が「エモい」という言葉を使っていて、
そうそう!それそれ!と思ったのだ 笑
感情が大きく揺さぶられるような出来事
人生のターニングポイントとなるような事件
再起不能、ゲームオーバーとしか思えないとき
肉体(ボディ)や精神(マインド)と違って、終わりがない魂(スピリット)にとっては、
そういう瞬間や体験は、ドラマの見どころ、ハイライトだ
まさにエモいモーメント
終わりがないスピリットにとって、物語はこの人生だけでは完結しない
これでもか、これでもかと
来る山場に向けて準備したまま、今生を終える人もいるだろう
それは、その脚本家であるスピリット次第だ
キツい、しんどいことがあった時、
学びや成長のために、この体験をしてると思うと
頑張って乗り越えなければと歯を食いしばったり
それでも思ったようにいかなければ、そんな自分にダメ出しをしてしまいそうになる
それを繰り返していてはつらくなる一方だ
そんな時もし、
あー、今せっせとエモいモーメントを作ってるんだなー
そんなふうに思えたら、
ふっと笑えてくるというか、少なくともなんとなく肩の力が抜けるのではないだろうか
もちろん、出来事によって示されているテーマはさまざまあるだろう
そして、それをうちなる気づきに変えていくことはとても大切だと思う
けれど、それはあくまでマインドの癒し
マインドの視点である
マインドの視点ばかりに偏ってしまうと、私たちの生き方はガチガチで、視野が狭く、融通がきかなくなる
そうなると、せっかくのホワイトキャンバスの人生が、ユーモアの乏しい、ただただキツいものになりがちだ
だからこそ、その先にあるスピリットの視点に意識を向けてみる
そうすると、
結局エモさか〜い
みたいな 笑
そんな、軽い感覚でいいんじゃないかな
真面目になり過ぎて、深刻になりがちな人は特にね
もちろん、それをやりたい人はとことんそれを楽しむのもアリだ
でも、そうじゃないやり方もあるということ
もっと軽くて、緩くていいんだよ
だって、それがスピリットの本来のあり方なのだから
肩の力、抜いていこう
RHEA
個人セッション・オンラインサロンやっています
https://www.theuniverself.com/
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