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喉は抑圧と絶望に押しつぶされる
喉を痛めてしまうのは、喉以外の理由があった
自分の声が好きじゃない。
そんな気持ち以前に、そもそも声を出せないほどに喉を痛めてしまう。
その理由を、以前の自分は不摂生のせいだと勘違いしていました。
いえ、決して不摂生がまったくなかったとまでは言いませんが
そこにはボディメンテナンス以前の大きな問題が隠れていたんです。
それは、『抑圧』
自分を出せない。言いたいことが言えない。本当のことが言えない。つらい。苦しい。自分らしくない。
まさかこんな感情の抑圧が、喉を痛める原因だなんて思えないですよね。
でも、考えてもみてください。
嫌だな~、行きたくないな~。すごく緊張する。
そんな強いプレッシャーを感じすぎると、お腹が痛くなったりしませんか?
気持ちや感情は目に見えない、と思われがちですが、実は如実に見えるものなのです。
見えないものが見える場所、それが身体です。
ただし、どのように身体に現れるかは人それぞれだったりします。
体の中に反応が現れる人、体の外や表面に現れる人、吹き出物として反応する人もいます。
「あの人は、他人がわかりやすいところにすぐ出るから得だよな~」
なんてこともあったりします。
それはそれで、その人にとってはかなり重いストレスになっているのですが、周囲からはそう思ってもらえないもどかしさもあるので、一概に決めつけるのはやめておきましょうね。
しかしながら、言葉にはしていないものの自分の中にある重いモヤのようなもの。それは、身体に「まさか」という形で現れることがあるのです。
ここぞという場面を前にして、いつも体調を崩してしまう。
いちばん大事な時なのに、病気でチャンスをふいにしてしまう。
絶対休めないのに、休まざるをえないほど体調を崩してしまった。
気をつけていたはずなのに、病気になった。
大なり小なり、こんな経験はありませんか?
自分自身のことは過小評価してしまいがちなので、いつものことだと流してしまっているかもしれませんね。
もしかしたら、あなたにとってはもはや些細な体調不良と片付けていることも、これに当てはまるかもしれませんよ。
なぜなら、体調不良にはちゃんと理由があるからです。
病気はメッセージ
そのことに気づいたのは、「病気はメッセージである」という考え方にであったからでした。
私は以前から、読書をする際にはモレスキンラージサイズのノートに要約しながら読み進めるというルーティンがあります。
読書って、読んでいる時はわかったつもりになっても、いざ読み終えて表紙を閉じると、何が大事だったかすっかり抜けてしまうと思いませんか?
「なんだがすごくタメになった!」
という満足感は残っているのに、具体的になにがどう素晴らしくて、それについてどう考えたからタメになったと満足している、といった詳細は日に日に薄れていきます。
感想文を書けば別かもしれませんが。
知るだけで満足していては、いつまでも足踏みで運動した気になっているのと変わらない。
そう思ったことから、読み取った情報を己の血肉にし、次の可能性に発展させるためには咀嚼が必要だと感じた私は、「書き読書」という自分のスタイルを始めるにことにしたのです。
そんなことを何冊も何冊も続けて「書き読書」している時にであった一冊の本にあったのが、「病気はメッセージである」という考え方でした。
もちろん、病気とは栄養が足りていないとか、循環が滞っているとか、体内のバランスの不和によるものが大半でしょう。
しかしながら、それだけとは言い切れないのも事実なのです。
喉を痛めた時に起こっていたこと
「病気はメッセージだ」と語るその文章を読み進めると、人生において気付き学びを得るために病気という形でメッセージが届けられるという考え方でした。
そこで、ここはひとつ私のケースに置き換えて思い返してみようと思ったのです。
思えば喉を痛め始めたのは、中学生ぐらいの時。
部活の合宿だったかな~、急に喉がひどくヒリついて、ガラガラ声になったんだったな~。
それから、高校の時も、合宿の時だった!
しかもディベート合宿だったのに、議長だったのに、満足にできなくて悔しかったな~。
人に会う約束をした大事な日に喉を痛めたり、出演オファーをもらった時に喉を痛めたり。
極め付けは、アニバーサリーのタイミングでまったく声が出なくなったこと。
それまで時間をかけて準備をしてきたキャストのいちおしなのに、自分の言葉で伝えることができなかった。
どうしてそれを選んだのかとか、なぜこのタイミングでこのアイテムなのかとか、いっぱいいっぱい伝えたいことがあったのに、本当に悔しくて、伝えて欲しいと綴った言葉は何も採用されなかった。
そうやって感情とともに冷静に思い返してみたら、「表現できないことへの苦しみ」に気がつきました。
直接病気に関するアクシデントだけでなく、その頃の状況も含めて、自分を出せない、希望を言えない、そもそも自分がどうしたいかを尊重してもらえない状況。様々な「抑圧」がそこにはありました。
そこで、どうして喉だったんだろうと喉に視点を持っていってみると、不思議なことがありました。
喉とは、表現を司どる場所だったのです。
自分を表現する部位、喉。
喉はチャクラで言うと、第5チャクラ。
スロートチャクラとも呼ばれ、サンスクリット語ではヴィシュッダ・チャクラ。
首や甲状腺、喉を司るとされ、自己表現と関連していると言われているのが、このスロートチャクラです。
このチャクラが乱れてしまうと、本来の自分を中に閉じ込めてしまい、うまく表現できなくなってしまうのだそう。
逆にチャクラが正しく作用すれば、人間関係がスムーズになり、自分のことを正しく理解してもらえたり、甲状腺機能が正常化して、肩こりまでなくなっていくとか。
ホンマカイナ。
最初はそう思いました。
でも、思い当たることばかりでした。
本当は違うことがやりたかったの。
でも反対されて、もう一度やりたいと言うことができなかった。
ずっとずっと、希望を無碍にされてきたから、何度も食い下がるなんてことすら思いもつかなかった。
嘘をつくのがつらかった。
本当は嘘ってわけじゃないけど、自分に嘘をつかなくちゃいけなかった。
私じゃないのに、それは私がやりましたと言われければならなかった。
そう強要された。
そんなことが重なり、私はそもそも伝えるための器官である「喉」を痛めてしまったのでした。
状況的に仕方がなかったこともあります。
幼い子供は大人に逆らえば生きていくことはできません。
そんなことにはならないと今ではわかっても、子供には明日の自分を保証されないと思うほどの恐怖がありました。
他人は言ったことを覚えてないし、自分の事ばっかり押し付けてくるし、気軽に傷つけては悦に入ってるし。
抑圧された状況、周囲への絶望、しかもそれを発することもできない、そんな澱がたまってたまって、ふとしたきっかけで「喉」と「声」を奪う。
それが私にとっての、喉を痛める原因のひとつでした。
声を失うかもしれない恐怖の先に選んだ選択
自分の企画した商品を自分の言葉で売れない絶望は大きく、しかしそのおかげで思い切ることができたのは事実です。
実は、病気と困難は自分が気づかなければならない重要なメッセージほど大きく出現します。
ドラマや映画でいえば、物語の大きな転換期に当たるのです。
そこで悲観し、泣き濡れて人生を呪うのであれば、悲劇になるでしょう。
しかし、考えを大きく変え、それまで受け入れ難かったことを受け入れたり、勇気を出して踏み出すことを決めたのなら、物語はいくらでも魅力を増していきます。
良作は悲劇であると、高校時代の恩師は言いました。
そんなの、フィクションの中で十分です。
いいえ、たとえフィクションであったとしても、私はハッピーエンドが好きだし、みんなに幸せになって欲しい。
現実はもっとそう。
そのためには、自らが動くこと。
その後私は当時の職を辞すると決め、以降本当にのびのびと仕事をさせてもらいました。
仕事自体は好きでした。
いいものを伝えること、知ってもらうこと、それをどうしたら伝えられるのか勉強は欠かさなかったし、失敗したとしても挑戦を重ねてきました。
喉が自己表現の部位だから、喉を痛めるのはそのせいだ、と決めつけることは簡単です。
ただ、それがすべてではありません。
何を抑圧しているのか、どんな絶望を感じているのか、今の私ではまだ理解し切れていないこともあるでしょう。
それでも、現時点でわかることで、次のステージを見据えて踏み出すしかありません。
不思議と、あれ以来声が出なくなるほど喉を痛めることがなくなりました。
もちろん、喉のケアの仕方を自分なりに確立したこともあります。
何をすれば喉を痛めるか、理解したこともあります。
でも、健康はそれだけではないのです。
心の中のこと、自分では気づかない奥深くのこと、奥深いから出てこないのかと思いきや、これでもかと言うくらいに主張が強くて、関連してるとは思わないようなことで出現すること。
ああ、それでも、まったく喉の痛みに悩まされずいられた期間、確かに私は自分を思う通りに表現できていた時だったなあ。
なんだ、そう言うことが、と腑に落ちました。
大事なことは、あなた自身の腑に落ちることです。
今回お話ししたことを、そのままあなたに当てはめてくださいということではないのです。
あなたにはあなたの真実があり、あなたの感情があり、あなただけの物語があります。
人の話を聞くことは、あなたの内部ではっきりと拾えていないモヤを明確にする索引作りになります。
この話をきっかけに、何かあなたの中で変化の種が芽吹くことを期待しています。
そして、声は自己表現のひとつのわかりやすい物差しになります。
歌うことも、しゃべることも、声を使った様々な仕事をしてきた中で、私がやっぱり重視したいことは、普段の声。
地声ボイトレを伝えて、もっとたくさんの人になにかいいことを贈れたらいいなと思っています。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
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