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温故知新。お寺を開く可能性

今回、皆様と一緒に味わいたい言葉は、「温故知新」(おんこちしん)という言葉です。言わずと知れた有名な言葉ですね。

「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」「昔のことを尋ね求めたり、調べたりして、そこから新しい見解を得ること」という意味の言葉です。

この言葉は、孔子の言葉が記されているとされる『論語』に出てくる言葉です。「温故知新」の姿勢は、仕事をする上でも、また日々を歩んでいく上でも、とても大切な姿勢ではないかと思います。

「こういう時はどうしたら良いのだろうか」と迷うことも、私たちにはありますね。その時に、故きを温ねることで、「こうしたら良いのではないか」という新しい気付きが得られたり、視界が開けてくることがあります。

お寺は歴史が古いということもあり、この「温故知新」に関しては、私も色々と実感することがあります。今回は、お寺での事例を通して、「温故知新」について共有をさせていただき、それぞれに、ご自分の仕事や生活に引き寄せて考えるようなご縁となれば幸いです。

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さて、お寺の方の中には、「もっと今の若い方にも、仏教やお寺とご縁をもっていただきたい」という思いを持つ方や、「仏様やお寺とのご縁が、日々を安らかに過ごすような一助となれば嬉しい」という思いで、日々の法務や取り組みをされている方もおられるかと思います。

その時に、「現代ではどういうことが求められているのか」という求めを知ることは大事です。昔から続けられていることをそのまま行っているだけでは、今の人にとって、眼の前のその人にとって、それがどういう価値や意味があるのかが分かりづらいからです。

例えば、浄土真宗で通称「お朝事」(おあさじ)と言われる、朝にお経をとなえ、法話を聞く会があります。朝に事という漢字を書きますが、ご本山の西本願寺では昔からおこなわれ、今でも毎朝おこなわれています。また、各お寺でおこなわれていることもあります。

この「お朝事」がどういう内容で、どういう意味を持ち、そこに参加することで自分にとってどういう良さがあるのかということが分かれば、足を運んでみようという思いもわいてくるかもしれません。しかし、それらが分からなければ、中々関心を持てなかったり、足を運ぶまでには至らないのではないでしょうか。ですから、初めての方でも参加したくなるように、その方々の求めを知り、参加しやすいように工夫することは大事です。

しかし、では現代の求めに応じようとするばかりでいいのかというと、またそうでもないですよね。例えば、「お朝事」は求めがないからといって「お朝事」をやめて、今はカードゲーム大会が人気があるから、それを「お朝事」の代わりにやろうという案では、本末転倒になってしまいます。

「なぜそれをお寺でやる意味があるのか」「お寺とはどういう場所なのか」「お寺とは何のためにあるのか」。そうしたことを検討することなしに、現代の求めばかりを見てしまうと、お寺の本質を見失ってしまいます。

このように、現代の求めに目を向けることは大事でありながら、それだけでは本質的な価値を見失ったり、価値を毀損してしまうということがあります。その時に、「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)という姿勢が、大事になってきます。

「故きを温ねる」という言葉の「温(たず)ねる」とは、冷たくなったものを温かくするという意味があるそうです。古いものは、一見価値がなくなっているように見えます。その冷たくなってしまった、価値がないように見えるものを温めるという意味が、「故きを温ねる」という言葉にはあるようです。

ですから、昔から伝わっていることをそのままやればいいということでもなくて、昔から行われていることの本質的な価値や意味を再検討して、そこから、現代に通じる価値や意味合いを見出していく姿勢が大事なのでしょうね。

そして、何でもかんでも新しくすれば良いわけでもなく、本質的な価値を失わないように、変えるべきところは変え、変えるべきではないところは変えないということが大事なのでしょうね。

そこの見極めが難しいところではありますが、過去から今に至る経緯を知ることで、故きを温ねることで、本質的な価値を残したまま、再構築していくことが可能になるのでしょうね。

私事で恐縮ですが、信行寺では「朝参り」という取り組みを始めました。これは、浄土真宗で伝統的におこなわれてきた「お朝事」をリニューアルしたものです。

行っている内容は、皆さんとお経をとなえ、ストレッチで身体をほぐし、短めの法話をするというものです。

内容にストレッチを加えましたが、それ以外はほぼ「お朝事」と同じ内容です。読経や法話という部分は、お寺や浄土真宗の本質的なところだと思って、変えていません。

しかし、「お朝事」から「朝参り」という名前に変えました。「お朝事」という名前からは、何がおこなわれるのか、どのようなものなのかが、分かりづらいと感じていました。そこで、「朝参り」という名前に変えたことで、「朝にお寺にお参りをする」ということが、名前だけで想像できるようになったかと思います。

また、なぜ「朝参り」という名前にしたのか、他にも理由があります。それは、「お寺にお参りをする」という営み自体に、お寺の本質的な価値があると感じている方も多いのではないかと思うからです。

例えば、お寺にお参りすることで、清々しさを感じたり、心が洗われる感覚や、心が整うような感覚になることはないでしょうか。気持ちを新たに日々を歩んでいこうとするご縁となることはないでしょうか。

これは、浄土真宗というよりは、もう少し広くお寺の本質を考えてみた時に、見えてくるお寺の特性です。また、お寺だけではなく、神社にも通じる特性でしょう。

日本人が神社仏閣に参拝するという営みは、今に始まったことではなく、古くから行われています。そして、明治時代より前は、お寺と神社は一体になっていました。お寺や神社にお参りをする。それ自体が、日本人の宗教性の表れの一つだと、過去の事象から捉えることができます。

そこで、「お朝事」を「朝参り」という名前にし、文章で「一日・一カ月を、お寺から清々しくスタートしませんか」という価値訴求をおこないました。そして、その内容に合うように、行う日は月初めの日曜日の朝に設定しました。さらに、「お一人でも、ご家族連れでも、気軽にお参りください」というように、どなたも参加しやすいように打ち出しています。

それによって、「朝参り」には、いつも来られる常連さんも、いつもは来られないお子さんやご家族連れの方も、またYoutubeを見てお越しになる方も、色々な方がお参りをくださるような場となりました。

「朝参り」が成功なのか、「お朝事」という名前を変えて良かったのかは、もう少し時間を経過してから判断する必要があるでしょう。言いたかったことは、こうした「朝参り」のような発想や工夫も、「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)という姿勢があったからこそ生まれてきたものでした。

昔から行われていることの本質的な価値や意味を再検討し、そこから、現代に通じる価値や意味合いを見出していく。そして、本質的な価値を失わないように、変えるべきではないところは変えずに、変えるべきところは変えていく。過去から今に至る経緯を知ることで、故きを温ねることで、本質的な価値を残したまま、再構築していくことが可能になるのではないでしょうか。

「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)という姿勢が、このように本質を見据えながらも、物事を革新していく時の参考になるかと思います。おられる業界などによっても違いはあるでしょうが、きっとそれぞれのお仕事や日々の生活においても、言えることではないかと思います。

お寺での事例を紹介しながら、お話をさせていただきました。

いかがだったでしょうか。

今回は、「温故知新」という言葉を、ご一緒に味わわさせていただきました。皆様、どのようなことを感じられたでしょうか。是非、ご感想もお聞かせください。

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