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#xDiversity は一旦区切りを迎えたんだなと自覚した話

一応,報告のとこれまでの経緯を少し振り返ってみようかなと思い,筆をとることにした.(もうかなり経っているが)

xDiversity,本来は今年3月をもって,JST CRESTとして終わりを迎えたはずだったが,諸々とあって2023年度まで延長となった.
しかし,もうほぼJST CRESTとしては終わりが見えており,本格的に社団法人へ舵を切り替えていかねばならない1年間になったと個人的には思っている.

参考記事:「一般社団法人xDiversity」設立のお知らせ
https://xdiversity.org/news/311

ただ,そこに私はどのように動いていけば良いのかいまだにピンときていない.多分,しばらく今後の自分を探していくのだろう.
2年前の秋ぐらいに突然首元にできた青痣も今になって薄くなってきたのに合わせてなのかわからないのが,これまで言語化できていなかった鎖や楔から少しずつ解放されつつあるとは感じた.
(一方,最近は頭部に小さな10円玉ハゲが2つぐらいできているのに気づき,もう禿げちゃっていいかって開き直っている)

そんなタイミングもあってなのか,周囲の人々が「日本科学未来館の人達と振り返る会をxTalkでやりましょう.あ,設楽はマストで」って話題にあがり,開催してきた.(これがきっかけで手話で語り合う会を開催することになったのはいうまでもない…)

あ,今更ですが,書籍の章1つを執筆しました.
あまり大したことを書けていないし,もう少しちゃんと書けばよかったなと後悔しているものの,その時の私の文章から伝わってくる何かが後になって改めて言語化できたりもう少し説得力を増すようになるかなと思って開き直っている部分もある.


そして,漸くといって良いかわからないけれど,ElsevierのInternational Journal of Human-Computer Studies(略名:IJHCS)という学術雑誌(ジャーナル)に採択されたものの,もう既に次の一手を打つべく動いている.
採択の連絡が来たときは,これでやっとか….まだ沢山言語化しないといけないことがあるというのを改めて実感し,まだ言語化されていないのをどうやって形化していくか考えたりしていた.

下記のarXivにて公開されているURLからアクセスすれば,最終受理版を読めるようになっています.
https://arxiv.org/abs/2311.03793

また,あまり表には言及できていなかったのですが,実は特許と認定していただきました.

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-7258341/8A08EA7A35037CB5BAD400C20B9F6FAE626667518C69746848619F32ED5391C0/15/ja

白石優旗,設楽明寿,生田目美紀,スタート信号伝達装置およびスタート信号伝達方法(触覚刺激を用いたスタート信号伝達装置),特許第7258341号

いずれにせよ,修士論文を執筆し終わってからもそのまま続けてきたものの,Universal Design(ユニバーサルデザイン)に対する違和感をうまく言語化できないのもあってなかなか形にはできなかったのですが,xDiviersityを通しての言語化,当初からポジティブなコメントをしてくださった査読者達にはかなり救われてきたのはいうまでもない.

それもあってなのか,xDiversityと日本科学未来館と一緒にろう学校の校外学習に対応していたときや,xDiversity のスピンオフシンポジウム企画 xTalk の手話会を2回を開催してきたときはもうだいぶ言語化できていたと思う.



そもそも,なんでこのHaptStarterを表に出していくのが懸念し続けてきたのかのも含めて,ここまでの経緯を振り返ってみたいと思う.

上記2件のnote記事からでもわかる通り,HaptStarterを表に出していき,実用化を進めていく未来を妄想した際に,「私はある意味ろう者がスポーツに参加しやすくなったとしても,副作用でデフスポーツに関するコミュニティやデフリンピックの意義を自らの手で潰してしまわないだろうか?」と懸念を己の中ではっきりと突き出されたからである.

それに加えて,乙武義足プロジェクトを傍らで眺めてきて思ってきたことも少しずつ言語化されてきたのもある.

ろう・難聴者だとマイノリティとしての生き方が可能とするような選択肢があまりにもマジョリティに合わせる生き方を可能とする選択肢と比べて少ないのではないかと思っていたのと同様に,乙武さんと同様な立場の人からするとマイノリティとしての生き方を可能とするような選択肢よりもマジョリティに合わせる生き方を可能とする選択肢がそもそも少ないのではないかと思うようになってきた経緯でもある.

そんな経緯もあり,HaptStarterの論文が採択されたきっかけで,一旦デフスポーツの現状を整理してみようと話があったことから,一気に(無理矢理?)と言語化してきた.

白石優旗,設楽明寿, デフスポーツにおける支援技術~競技特性・ルールと技術との関係~
(日本音響学会第151回研究発表会 講演論文集:https://tsukuba-tech.repo.nii.ac.jp/records/2000113


そして,最近なのかいつから意識するようにしていたのかはわからないけれど,何かある度に,己の中にある「当事者による当事者への差別意識」を自戒し,心にナイフを刺すように己に問いかけ直すようにしていることに気づいた.多分,これまでの私が無意識でそうしてしまったかもしれないと度々と思い出したり自覚し直したりしているのもあって,敢えて口に出さないで一旦己の心にナイフを刺すというのを繰り返しているからだと思う.そうでもしないと,今みたいにどこかで今後の私にツケとして戻ってくる,返ってくる.
そんなのしていたら,心を壊すよって突っ込みたいかもしれないが,だったらあなたはその背景にある社会構造とかちゃんと向かい合いましたか?って言い返したくなってしまうぐらい私は捻くれて言い返したくなってしまうので,あまり心配されたくはないっていうのが本音ではある.
こう言ってしまうと,マジョリティとマイノリティとの対立構造みたいになるのもそうだけれど,それだけではなく,マイノリティ内で生じるマジョリティとマイノリティとの対立構造もそれはそれで厄介だと思う.コミュニティによってはヒエラルキーやパワーバランス等が変わってしまうわけであって.
だから,私はそこをどこまでわかった上で意識できているかが本当に重要だと思うわけで.といっても,あーこーだとなんだかでニュアンスがちゃんと伝わるかはもう諦めてしまっている部分はある.

ただ,何かをいうというよりもまずは己で変えられるところは変える努力,変えるのをやめない.変えることを変えない意思.

これだけは失ってはいけないと己の中で度々と誓い直そう.永遠に.

未来の私へ送る.

2024年4月の私より


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