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父親としての自分の居場所

先日第一子が生まれた。元気な男の子だ。

退院後約一週間時点での気持ちを整理するため書き起こす。


婚約してから住み続けている2LDK。

これまで私と妻の二人だったリビングには、新たな家族の家具日用品がところ狭しと並べられている。

一室は私の書斎だが例外ではなく、おむつやウエットシート在庫、ベビーバスの空き箱が投げ込まれている。


コロナ渦中、出産立ち会いができない影響もあり、我が子を抱いたのは生後6日を数える頃だった。

初日は小さな命に感動したことを覚えている。

私は平日昼間仕事にでているため、妻の母親が世話の手伝いに来てくれている。ありがたい限りだ。


【夜】

赤ん坊は胃袋が小さく、2~3時間もすると胃のなかが空になり泣いてミルクを欲しがる。

私、妻、赤子の順に川の字で眠る。

私は眠りが深く、夜中に子供が目覚め泣き出しても気付けず朝を迎えてしまう。

「よく寝ていられるね、逆にすごいわ」

申し訳なく思う。

起きてオムツを替えたい。

起きてミルクを与えたい。

気持ちはあるが記憶がないのだ。

朝、これまで通りの「いってらっしゃい」の声はなく、ベッドに沈む妻を見て一抹の罪悪感とともに出勤する。


家に帰ってからはオムツ替え、哺乳瓶の消毒、ミルクをあげ、夜中用の白湯準備、沐浴、寝かしつけを行う。

夜中は記憶をなくしてしまうので、せめて意識があるうちは出来る限りのことをしたい。


だが、やはり夜の罪悪感は消えない。

自分の家だがどこか遠慮がある。

家のなかでの居心地の悪さを感じはじめている。


そうして休日の今日。寝入った二人を起こさぬよう、私と妻二人分の昼食を用意しながら、一人この文章を書いている。


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