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ブログを6日書いてみて感じていること

3日坊主の壁は超えた、6日目の記事です。今日は、「ブログを書く」という行為に対して、所詮6日目の身ですがリアルに感じていることを書いていきたいと思います。

一言で言うと「楽しさ」と「重さ」の共存です。まだサラッとは書き上げ切れないアンコンフォート感にいるんですが、そんな「重さ」も含んだこの感覚もなんだか心地いい、その理由を言語化していきます。

まず、「楽しさ」について
文字を紡いで1記事を生み出し、自分の思考が記事としてストックされていく感覚って、すごく快感です。思い返すと高校生時代、お風呂の中で約30分かけて毎日ブログを書く時間が、夜の喜びの時間でした。好きすぎて、テスト期間中はあえてブログにアクセスできないようにし、更新を強引にストップさせていたほど。

日常で生まれる自分の「思考」って、「なんとなくどまり」のものがたくさん存在すると思うんです。イメージでいうと、土の中を掘り下げたレベルが3割どまりだとか、6割どまりだとか、要するに終着点の10まで辿り着けていない状態で、点がふわふわと散らばっている感覚です。

その感覚を文字で拾っていくという行為が、「で、だからなんなの?」と、思考をあと一歩推し進める促進剤になる。すると3割が6割になったり、8割が10割になったり、点と点同士が繋ぎ合わさったり。この行為って、なんだかひとつずつ物事を丁寧に整理している気がして、ホッとするんですよね。まずはそんな部分に、ブログの楽しさを感じてます。

一方で、「重さ」について
「ネタ探し」問題と「書き出したはいいけどどこに着地させるの?」問題が質量としてまだ重く感じる点です。

まず、「ネタ探し」問題については「毎日ネタが尽きないような人生を!」とか安直に考えがちですが、毎日毎日4.5000文字の記事を世に生み出している、かの西野亮廣さんがおっしゃってたことが衝撃的でした。

「僕にだって毎日ネタなんてない」

確かに昔読んだ本にもこう書いてありました。「テーマがあるから書くのではなく、書くからテーマが見つかるんだ」と。「書く」とは「無意識へのアクセス」なんですよね。だから、ネタに悩みながらもまず書き出す。この行為に価値を感じている最中です。あとは、今日書いてる最中に芋づる式に「明日はこれについて書こ!」と掘り起こされることも。どちらにしろ、やってみることですね。

次に、「書き出したはいいけどどこに着地させるの?」問題に対して。これも西野亮廣さん。記事の設計図は事前に作らず一筆書きで執筆しているんだとか。でも、この「着地点どこ?」問題に毎日ぶち当たるからこそ、うまく落とし込んでいるように見せる「ごまかし力」がついてくると。たしかに!この力を私も付けたくて、今は頭を捻りながら着地点探ってます。

良質転化です。

昨夜、人の記事を読んでいて、やっぱり長文って魅力的だなぁ、とふと感じました。体力がない人でも短文はサラッと書けてしまうけど、長文って、その人の胆力とか真摯さとか執念みたいなのがこもっててパワーを感じたんです。

そして新しい目標もできました。stand.fm(ラジオ)をスタートしてみること。文字だけじゃなく言葉でも自分を発信できる自分にとても憧れます。これはもう少し、理想の形を探ってみて、ピンときてからはじめたいと思っています。

皆さんの継続や挑戦、積み重ねが私を鼓舞してくれます。そして今日も読んでくださった方、ありがとうございました。

週末は、プロフィール欄を埋めたり、自己紹介っぽい記事を書けたらなと思っています。

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