MUSICUS! 感想~あの日のエロゲの引力は万能で~

今でも思い出せる衝撃、皆さんにはありますか?

脳内がグラグラと揺さぶられ、目まいがして、なにがなんだかわからなくなってしまうのだけれど、胸の奥にグツグツと沸き立つ、あの感覚。

例えば、好きな人と付き合ったり別れたりした時。
例えば、初めてスタジオに入って、解放弦を「ジャーン」と鳴らした時。

例えば、そう、パソコンのディスプレイに張り付いて、長ったらしい文章を読みふけり、可愛らしい女の子たちが可愛らしい声で語りかけ、人生について考えてしまうようなゲームをプレイしている時。

そんな衝撃を、皆さんは覚えていますか?

正直、この『MUSICUS!』をプレイしたときは困惑してしまった。
だって、急に登場人物が自己卑下や絶望を口にし、あまつさえ自殺をしてしまうのだから。
これから始まる物語に彩りなど失われ、なんとも言えない感情と共にエンターキー(クリック)をしていなければならないからだ。

こんなクソッタレなところからなにを読めばいいのだ?
登場人物は「ロックなんて存在しない」「作られた背景に酔っているだけなのさ」とシニカルに絶望を吐いた段階で、これを読む僕はなにを信じればいいのか、皆目見当もつかなくなってしまっていた。

それでもと、心にすっぽりと空いた穴を埋めるように僕はこの作品をプレイし続けていたのだが、最初に抱いた違和感は終ぞぬぐえないまま、1ルートを終えてしまっていたのだ。

NIGHT SCHOOLERSのお話はあまりピンとこなかった。
音楽に生きるのを捨て、無難な生き方を選ぶ主人公にも共感できなかったし、今、自分が置かれている立場からしてみても、彼の語る虚無さはなんとも言えない説得力があったからだ。
夜間学校の面々となにかを残したい、ということでバンドを始めるのも、そこから煌びやかに学園生活をエンジョイする姿も、なにひとつ自分にとっては「絵空事」のように映ってしまっていた。
なぜか? それは多分、既にプロとして活動している自分にとっては過去のお話であり、そこまで優しい世界を受容できなくなっているからだ。
物語終盤、各々、好きな未来へと駆け出していく。日陰者たちの叛逆は成功し、これから未来に向かって邁進していくのだ。
素晴らしいし、素敵なことだ。 でも、僕にとっては「絵空事」に見える。

いやいや、それでも、まだ1ルート目だ。きっと次はそんなことはない。
絶望するのは早いと思っていたのだが、残念ながらもう一つのルートでも感じてしまったのだ。

恩師に音楽の素晴らしさを思い出して欲しいと切望する輪。
その気持ちも純粋だし、彼女のライブに対する並々ならない情熱は本物だったに違いないし、嘘っぽく見えなかった。
それでも、僕は彼女たちの物語を体験していても、どこか心の奥にトゲが引っかかっている気分がしてしまって、純粋に楽しめていない気がしたのだ。
まるで、花井是清の呪いにかかってしまったかのように。


「今、君が良い話だって思ってる物も、背景があって、それに踊らされてるだけなのさ。な、言っただろ?」


などと、シニカルに、それみたことかと言わんばかりな表情で語りかけて気がしている気がする。

困った、これは本当に困ってしまった。
折角、なけなしのお金をはたいてクラウドファンディングに参加し、この作品を先んじてプレイしているというのに、まったく気分が乗れていない。
これなら、酒をしこたま飲み、自室でケラケラと笑っていた方がマシだったのではないかと思えてしまうぐらいに、僕は参ってしまった。
もしかして、この作品を楽しめないのは、自己憐憫に酔いしれたのを自覚し続けている自分のせいではないのか、とすら思えてくる。
いいや、そんなことはない、決してないと、言い訳のように言い聞かせながら、最後のルートに入った。

しかし、そんな希望も空しく、このお話の最初も、同じ感想を抱いてしまっていたのだ。
主人公たちの話をダイジェストのような形式で見せられていく。
地方に行き、ライブを行い、銭は稼げないけど、活動は続けられて、ソコソコ幸せ。
あぁ、僕はこのお話に乗れなかったのか。
またも同じことを考えている最中だった。

初めての物語分岐。
主人公たちの選択によって、彼らの運命が大きく変わる瞬間。
僕は最初、「あからさま」な選択肢を避け、なんとなく幸せの匂いがする選択をした。
しかし、結局、お話に乗れず、選択を引き返し、「あからさま」な選択をとることにした。

最悪だった。
どこかで是清がふふと言って微笑を浮かべているような気がしてならなかった。

もう一つのルート(仮にno titleとする)で描かれるのは、主人公の対馬馨が転がり落ちていき、どうしようもなくなり、最終的になにもかも失ってしまうお話だった。
音楽も恋人も新しい命も知人も、大切な「思い出」も。
徹頭徹尾、このルートで描かれているのは、自己否定、そして「不信」だった。
なにもかも信じられなくなっていく馨の、内面のドロドロとした部分を、隠すことなく描いている。

一目でわかった。
これはいけない。こんなの、今の僕が読んではいけないのだ。
だって、これは僕の話なんだ。
いつまでも売れないライターなんかをし、親にも迷惑をかけ、知人にも縁を切られ、金もなくなり、情熱も消え失せ、なにもかも取りこぼしていく。
馨の気持ちはわかっちゃいけないけど、わかってしまった。
彼のように名前は売れていないし、作品も残していない。おこがましい、自己陶酔なのはわかっている。それでも、このお話は間違いなく僕、そして僕のような生物のお話なんだ。

プレイし終えると、なんとも言えない感情が胸の奥から込みあがってきて、吐き気がした。
自己憐憫、陶酔、そんなような感情が一気に襲ってくるようで、嫌な気分になる。
そして、お決まりのように脳内で囁かれる。

「ほら、言っただろ?」

あぁ、やっぱり是清の言うとおり、すべて作られたでっちあげだったのかもしれない。
僕は、いや僕らは物語をこんな風に消費して、生きながらえることしかできないのか。嫌だなぁ、無様だなぁ、みっともないなぁ。
そんなことを考えて、しばらく気分が落ち込んでいたけれども、まだ1ルートだけ残っていることを思い出した。
煌びやかな幸せなルートだ。

どうせ気分が乗れないまま、この話もため息交じりに終わるんだろうなと思っていた。
思っていたのだが、違って見えたのだ。

なぜ、この企画は成立したんだろうか?
この作品でなにを言いたかったのか、伝えたかったのだろうか?

ふと、頭の中にそんな疑問のランプが点灯したような気がした。
OVERDRIVE最終作品と銘打ち、ライターが十年ぶりに復帰し、色んな人たちが関わってできたこの作品。
果たして、そんな軽いものなのだろうか。

三日月は才能を授かった人間だった。
是清も、馨も、彼女の才能を誰よりも認め、信じ、そして惚れこんでいた。
この構図、キラ☆キラでも見た気がする。きらりだ。
彼女も才能を授かった人間で、それをいかんなく発揮している。
じゃあ、これは、才能を授かった人を見つめる、キラキラした世界を見つめるお話なのか?

ここで、はっきりと、僕はこの作品の意図している物がわかった気がした。
これはキラ☆キラで、煌びやかな世界へと羽ばたいてしまった続きのお話なんだ。
だから、同じことを語ろうとしているんじゃない。キラキラした世界の中で生きる人たちのお話なのだ。
そして、僕はようやくこのお話に入り込めた気がした。
自分が輝いているから、とかそういう話じゃない。
だって、これはキラキラしている人々の生きざまのお話なんだ。
綺麗事に映ってしまう世界かもしれない。
花井是清が嘲笑う「まやかし」なのかもしれない。
だったとしても、彼らの生きざまを見届けたくなっていたし、no titleなんかで終われない気持ちだったのだ。
あんなもの、僕は見たくない。知っているんだ。惨めさも辛さも苦しさも。

物語はとんとん拍子で進んでいく。その流れに追いつけた、移入できたかと言われればできない。サクセスストーリーを見ている気分になる。
だけど、この話を読み進めていれば、馨や三日月、金田や輪、風雅、八木原――MUSICUS――の人生を見ていれば、きっとなにか答えが見つかるんじゃないか、そんな気持ちになっていたのだ。

そして、答えは見つかる。

是清は言った。


「……おれはね、世の中には本当は凄い音楽なんかないのかなって思いはじめてるんだ」

自分が聞いていたら泣いていたミュージシャンの来日ライブに行っても、彼は感動せず、背景の情報に酔いしれていただけなのかもしれないと言い放った。


「きみはどう思う? 音楽は価値があるものかい?」


初ライブ後、感動した馨に対しても言う。


「騙された気分はどうだい?」

そんな是清の「呪い」に対する答えが、拙く脆い、「勇気」だった。
三日月の才能をもってしても馨は覆せなかった「呪い」
しかし、STAR GENERATIONのライブがきっかけになる。
是清の亡霊が馨に語りかける。

「音楽はただの音の振動だよ。音楽の感動はまやかしだ。おれたちミュージシャンのやっていることなんか全てクソだ」
「……でも、だからなんだって言うんだろうね?」
「それが何であろうと、俺たちには音楽が必要なんだ。他の何よりも必要だったんだ。どうしておれはそれを信じられなかったんだろう? 自分にとって一番大切なものを、どうして台無しにしようとしてしまったんだろう?」

「ロックンロールという言葉はね、きみが勇気をもって暗闇で顔をあげるとき、いつもそこにあるものの名前なのさ」

きっと、僕はこの言葉を、この台詞を聞きたくて、このゲームをプレイしていたんだ。
初期衝動にまみれ、自分を天才と思ってはじめたことを思い出した。
こんなセカイがあったんだ。表の世界で書けないような悲しみ、喜び、苦しみ、幸せ、まるでいろんな感情が見えないチューブにつながって、みんなの元へと注がれていく、いかがわしくて、でもきっと自由な、そんなセカイが広がっていたことを思い出した。
親に何を言われても、自分で選び取った道に後悔はないと思っていた。
それがいつから信じられなくなっていただろう?
擦れていき、なにもかもなくなったと思っていた僕に、なにか一筋の光のようなものが降り注いだ気がした。
信じられなくなっていても、綺麗事だったとしても、決して失っちゃいけなかったもの。
なによりも大切な物を手放さずにいられる「勇気」

この話は、僕のお話だったんだ。

長々と語ってしまったけれども、なんでこんな文章を書こうと思ったのか、わからない。
プレイ後、なにかしなければならないと思って、気が付けばこんな感想みたいなエッセイみたいなオナニー文章を書いてしまっていた。
誰に向けて書いているんだ? 制作陣? お客さん? まったくもってわからない。
誰に伝えたいのかもわからない文章を、僕はこうして書きなぐってしまったのだ。
でもほんの少しだけわかった気がする。

「エロゲーは終わった」と良く言われる。
売り上げは縮小し、かつてのユーザーも離れ、今や滅びの一途をたどっていると揶揄される。

でも、そんなもの、知ったことか。

はじめて出会ったあの世界は確かにあったのだ。
この『MUSICUS!』の中にあったのだ。
味わったはずのあの衝撃、忘れちゃいけない大切な思い出。
それをこの作品は、登場人物たちの生きざまで、見事描き切ってみせたのだ。

などと書くと、「読み込みが甘い」だの「オナニー」だの「雑魚い感想」だの言われるのだろう。マウントをとられ、晒され、殴られるのだろう。

知ったことか。

僕はこの作品を信じたくなったんだ。
『音楽の神様』がいるかなんて、怯える必要なんてなかったんだ。
ただ信じるだけなんだ。
あの日、このセカイと出会った時の、あの衝撃を信じる。
思い出が色あせ、すり減って、思い出せなくなるかもしれない。
でも、それでも、僕は信じたいんだと思った。
それはきっと、昔エロゲをやっていた、かつての「僕」にも言えることなんだと思っている。

あの日のエロゲの引力は万能なんだ。

技術的にはなにも変わり映えもないのかもしれない。
見たことのないお話じゃないのかもしれない。
でも、なにが一番大切なのか、僕らは忘れてしまっていたんじゃないか?
それは、きっと普遍的で、誰もが感じ得る、最高の衝撃。

新しいも古いも関係ないセカイが広がっているんだってこと。

ロックンロールってなんだか知ってますか?

それはね、ディストーションギターをやたらめったらうるさくかき鳴らすことでも、滅茶苦茶早いテンポを刻むことでも自由気ままに振る舞うことでもないんだ。

それはね。

ロックンロールは、目の前の人が生きてきた生き様のことを指すんだよ。

その生き様に泣いたり笑ったり悲しんだり苦しんだり、感動するんだ。





今でも思い出せる衝撃、皆さんにはありますか?

僕は、この作品に出会えて、思い出せました。


伝野てつ


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