「ノンバイナリー」を知ってますか?

昨日、「ノンバイナリー」という言葉を初めて知った。
性自認を男女に当てはめないこと、または当てはめない人のこと。
この記事では、私が知ったばかりの「ノンバイナリー」について書いてみたい。

1. ノンバイナリーとは

「ノンバイナリー」(nonbinary gender)とは、

性自認を男性・女性といった二元論に当てはめないこと。また当てはめたくない人のこと
出典:https://genxy-net.com/post_theme04/626121ll/

を指すらしい。
私が知ったきっかけは、歌手の宇多田ヒカルさんのカミングアウトを伝える記事だった。

あぁ、それだ!
ワタシはノンバイナリーなのだ!!
そう思ったら楽になった。

男性的なファッションがなじまないから、女性雑誌を参考にする。低い声がしっくりこなくて、女性声を作るボイスレッスンに通っている。
でも、女の子を目指しているわけではない。だから、人に聞かれたら説明に困るなぁ…とどこかで思ってきた。

でも、「ワタシ、男女に捉われてない子なんだ。この髪型の方が自分らしいと思って。ノンバイナリーって知ってる?」って言えたら、それで解決する気がする。

2. Xジェンダーとノンバイナリーの違い

近い言葉に、「Xジェンダー」という概念がある。

Xジェンダーは

自身の性自認を男性/女性に定めないセクシュアリティ
出典:https://jobrainbow.jp/magazine/what-is-lgbt

とされる。

もう少し細かく見ると、中性や両性(男女両方の側面がある)、無性(男女どちらの要素も持たない)、不定性(その時々で、自分の中の男女の要素の割合に幅がある)など、男女に区分できない性自認を持つジェンダーを指す。

さて、Xジェンダーとノンバイナリーは何が違うかと私なりに考えてみる。
そうすると、Xジェンダーは男女に当てはまらないこと(男女でない性を定義づける)を指していて、ノンバイナリーは性をフレーミングしない点(性を定義づけない)に重きを置いているように思う。

セクシュアリティはグラデーションだと言われるけれど、グラデーションの究極は個人個人になる。
自分に「性」を当てはめることに乗れなかった私にとっては、ノンバイナリーという、性を当てはめることそのものから自由になっている感じがイイ。

もう少し、なぜ私がXジェンダーに落ち着かなかったのか、話をしてみたい。

3. 私とLGBTとの出会い

そもそも私がLGBTという言葉と出会ったのは、高校生の時だった。
当時つき合っていた人から、「Xジェンダーなんだ。だから別れよう」と言われ、「 (゚Д゚!?」と驚いたのが最初だ。
その人は、オンナなのに男性的な趣味がある、女の子っぽく振る舞いたくない、など、いくつかXジェンダーを自認する理由を教えてくれた。

それまでも、カラダの性に違和感があったり、カラダと同性を好きになる人がいることは知っていたけれど、リアルな実感を持ったことはなかった。

私が驚いたのは、相手がXジェンダーであることそのものではない。それをXジェンダーと呼ぶ(つまり、1つの概念として成立している)ことに、衝撃を受けたのだ。男性的な趣味がある女性、女の子っぽく振る舞いたくない女の子は、私の中に普通に存在したからだ。

さらに、男女を入れ替えれば、それは私のことだ。

そんな私の前に提示された「Xジェンダー」にはインパクトがあった。
いわゆる「男女」に当てはまらない部分に注目して、名前をつける。
なんだか、じぶんをも特別な存在として扱わないといけないような気がして、混乱したのを覚えている。それから、私の大事な人が知人・親族から否定された話を通じて、じぶんが否定されたような気分になって、理不尽を攻撃する気持ちが出てしまった。

カミングアウトに対する私の返答は、褒められたものではなかった。自分ゴトにしすぎるくらい、揺さぶられてしまったのだ(大変なのは相手なのにね…)。

4. セクシュアリティ ・名前をつけること

もし、私があと10年遅く生まれていたら、じぶんをXジェンダーだと自認・公言していただろう。
でも、私が生まれたのは、20世紀がもう少しで終わる頃。
からかわれたり、カラダが変わったりして悶々とした小学校時代は2000年代に過ごし、性別はM(Male, 男性)として生きていた。ただ、「オトコだからこうしなきゃ」という方向に自分を曲げたことは(あんまり)ない。

男女にふり分けられる社会で、名前のない「せまむ」という立ち位置を、友だちやコミュニティの中で何とか必死に作って日々を過ごしていた。
「私は男性である」「だったら、男性ってこういうのもアリだよね」と考えれば良いと思っていたし、他の人にも考えてほしかった。
(実際には、自分のことをすっとわかってもらえたら気持ち良いだろうと思う反面、変なプライドが邪魔をしたのかもしれない)

MFLGBTQAX…、MtF, FtM, MtX, FtX…
そんな私は、日々増えていくジェンダーに「そんなに分けなくても良いんじゃないかなぁ」と思ってきた(ひねくれているのだ)。

とはいえ、それからセクシャルマイノリティーを支援する団体にも少し関わり、生身の「当時者」と出会った。だんだんと、セクシャリティに名前をつけることの意味を自分なりに捉えられるようになった。

セクシュアルマイノリティの概念を、自分の性を示すために使うかどうかは自由だし、当てはめるかどうかは人それぞれだと思う。
でも、自分のあり方や立ち位置、好きになる人の傾向を伝えるときに、言い表わせる言葉があるのはとても便利で尊いことなのだ。

万が一相手が知らなくても、そのワードで検索すれば自分のことをわかってもらえる。
それに、ついこの前で(いや、国や捉え方によっては今でも)、同性愛者が迫害されたり、性別違和が強制手術の対象だったりしたことを思えば、L・G・B・T…という「カテゴリーの獲得」がどれだけ切実な願いだったかは想像に難くない。

5. 分類しないこと、新しい分類を作ること

あ、話が堅くなっちゃった。
簡単に言うと、私はLGBT…という言葉に自分を当てはめることはなかった。
でも、ノンバイナリーという言葉を聞いて、しっくりきたんだ。私にとっては「分類しない」というが響いて、「私はノンバイナリーなんだ」って思った(この感覚って不思議)。

そっか、それで良いんだって思うと、いくつかのモヤモヤがすっと静まった気がする。
言葉の力って、すごいね(笑)

(備忘録)
「私はこういうセクシュアリティの人だ。でも、当てはまるジェンダーがない!」って思ったら、作っちゃえば良いんだ。
企業が新しいサービスを作ったら、名前をつけて、宣伝して知ってもらう。同じように、新しいジェンダーが必要なら、名前をつけて、拡散して、さも存在したかのように公言すれば良い。作っちゃえばよかったね。
ノンバイナリーを最初に名乗った人すごい(笑)

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