サイコロを振る話

 先日、昔からの友人と久々にご飯を食べる機会があった。単に自分が久しぶりに近況を話し合いたいという思いだったのだが、先方からするといきなり連絡が来たものだから少し驚いたらしい。面白いことに、もしかしたら情報商材など売りつけられたらどうしよう……と頭の片隅で考えていたようだ。ともあれ私たちはイタリアンを食べに行った後にスタバでカフェラテを飲み、都合3時間ほど話した。アルコールもなく極めて健全で良い時間であった。
 それから3日経ったある日、突然向こうからLINEが来た。曰くコロナに罹ってしまったとのことだ。濃厚接触者になりうるのが2日以内にあった人というので私は該当しないとのことであるが、長時間話し込んだので心配になったから、連絡してみたというのである。これには大層驚いてしまった(当然「お大事に」と返事をした)。同時に自分の体調が不安になったがその時点では熱もなかったし、数日経った後も何事もなくコンディションは普段どおりだった。結局罹ってはいなかったのだ。
 まずあったのは命拾いをしたという安堵の心情だ。数週間前に身内が罹ったときも旅行中で難を逃れたこともあり、二回目のピンチも何事もなく済んで何と悪運が強いのだろうと呆れつつもほっとした。
 同時に友人に対する申し訳なさというか、罪悪感というか……ダークなもやもやとした心情もあった。仕事終わりに久々の夕食に誘わなければ友人はきっと罹っていなかったのだろう。わざわざ自分のために来てくれた真心により、回り回ってつらい思いをしているというのは気が晴れないものだ。そんな事で恨んだりはしない人だという確信も、より自分の心に針となって刺さりもする。
 数日間考えた結果、今回の件で一番私の心に引っかかっている点は他人のそうした未来の分岐点を図らずもちょっとした行動で左右してしまったことだと私は結論付けた。悪意だろうが善意だろうが日常の所作だろうが、あらゆるトリガーで予想もしない分岐点を動かして、自他の行く末を左右してしまうかもしれない……冷静になれば至極当たり前のことなのだが、語ってきた出来事を経るとひどく恐ろしいことのように思われた。

 その週末に見たのは『鎌倉殿の13人』の最終回だった。見終わったあとの形容しがたい脱力感は独特のものであり、一年間見続けてきた「ご褒美」としては今までにないものであったが、それについてはまたの機会に話したい。
 血で血を洗う坂東武者たちのパワーゲームがドラマの全体像なのだが、この物語の発端は、何よりも主人公の姉、北条政子が頼朝と伊豆でくっついたことを忘れてはいけない。(実際の歴史ではそこにも様々な力学が働いているのだろうが)この二人が恋中になったことを理由の一つとして頼朝は蜂起せざるをえなくなる。その結果主人公の北条義時は反乱軍の幹部となり兄を亡くし、義兄のもとで政治的実績を積み、すったもんだあって武家政権の実質的トップに上り詰めるのである。姉が頼朝と結ばれさえしなければ兄も健在で反乱に参加することもなかく、歴史に埋もれていた可能性が大きいだろう。とかく思いもがけぬことで周りを無情に巻き込み人生は動いてしまう、ということを考えさせられた。それで幸せになることもあるが不幸になることもある。果たしてドラマに登場した政子と義時の二人はどちらだっただろうか……。

 つくづく自分がどうにかできる範囲外で自分の人生、選択肢が決められてしまうのは恐ろしい。いわゆる配属ガチャのようなものが良い例だ。しかし自分もまた無自覚に誰かの選択肢のサイコロを振っているのかもしれぬと、しみじみと考えさせられるこの頃であった。他人を動かしてしまう意味でも、自分が動かされてしまう意味でもコントロールが利かない分、それもまた恐ろしくもある。もっともそうした作用が予め知覚できてしまう世界も不健全極まりないのだけれど。

 とりあえず友人が快癒していることを願って……

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