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L’Arc~en~Cielのflowerについて語る

僕は普段音楽を聞く時にあまり歌詞を重視しない。自分で曲を作る時も伝えたい事とかよりも曲に乗るか否かを優先している。もちろん「いい歌詞だな」なんて思う曲もたくさんあるけれども、歌詞が好きだからこのアーティストが好き、ってくらいに歌詞にハマることはない。

なんで突然こんなことを言い出したかと言うと、先日友人から最近久しぶりにラルクを聞いている、という連絡がきた。彼はとにかく歌詞を重要視する男で、それこそ昔一緒にフォークデュオを組んでいた相方なんだけれども、当時から曲を作る時にもとにかくどれだけ心に刺さる歌詞を書けるか、という意識で作詞、作曲していたような男であった。

そんな彼とラルクの音楽性について語り合っているとflowerの歌詞はすごい、と言い出したのだ。
僕は中学生の頃にラルクと出会い、どっぷりとハマっていったまごうことなきラルオタであった(ドエルではなくラルオタである)。メンバーのプロフィールはもちろん音源の発売日から曲の収録時間まで得られる知識はすべて暗記し、L‘Arc~en~Cielに関してはなんでも答えられる、それが自分のアイデンティティだと信じて疑わないようなそれはもう痛いイタイファンであった。

そんな僕ではあるがhydeの書く詞は一般的に評価されるような歌詞ではないと思っていた。もちろん僕は好きである。当時絶賛中二病を発症していた身としてはhydeの書く現実世界とは一線を画したような幻想的な世界観の歌詞こそ至高だ、と。
当時のラルクと言えばGLAYとの比較が有名だったけど、GLAYの歌詞って見た目の割にむちゃくちゃ現実的な詞の世界なのね。「から回る仕事の息抜き」とか「コメンテーター」とかが出て来る歌詞。そんな現実的な歌詞はミスチルにでも任せなさいよ、と当時の僕は思っていたわけである。ロックバンド(当時の僕はフォークギターを使うミスチルとかスピッツはロックバンドではないと思い込んでいた)は幻想的で耽美な歌詞でないとダメなんだと。

これは余談だが、当時GLAY対ラルクという構図は2バンドの見た目から来ているものであって決して音楽性で対立していたわけではないのだ、と大人になってから気付いた。GLAYはそれこそフォークギターを使ってみんなと笑顔でシンガロングするような楽曲。どちらかと言えばミスチルなんかと同じジャンルに分類された方がしっくりくるよね。

さて話を戻そう。そうそう、その友人曰く、flowerの歌詞はすごいそうで。
「いらないところを削ぎ落とした叙情と退廃の絶妙なバランス。花が枯れる=ダメになるという普遍的な価値観の方程式を変えている」と評している。

おそらく彼は酔っぱらっていたと思うんだけど、それにしても本当に評論家のような文言で褒めている。彼は普段から大層な読書家でもあるんだけれども、さすがに本を読んでいるだけあって言葉の使い方には目を見張るものがある。
何かを褒める時に具体的に言葉ですごさを表現するのって難しいよね。「とにかくすごい」って言ってしまいそう。

そんなわけで詞が好きな僕の友人をそこまでうならせたflowerの歌詞と僕もしっかり向き合ってみようと思いこの記事を書きだしたってわけである。

まず前提として、この楽曲の歌詞はhydeの書く詞の中ではかなり現実的な世界を描いている。なので情景がとても想像しやすい。もしかすると別のテーマや隠されたメッセージがあるかもしれないが表面的には切ない片思いを歌っている歌詞である。とりあえず一度聞いて見よう。

flower/L‘Arc~en~Ciel

それでは一行目からガッツリ向き合っていこう。

「そう気付いていた午後の光にまだ僕は眠ってる」

これはそのままでいいと思う。窓から差し込む光がもうとっくに朝ではないことを教えてくれているが、どうにもまだ「僕」は起きる気にはならない。なんとなく気怠い様子がうかがえる。

「想いどおりにならないシナリオはとまどいばかりだけど」

特にモテない人、異性の人と話すことに慣れていない人の片思いあるあるだと思うんだけど「明日はこれについて話かけよう、で、彼女がこう返して来たらこっちの話題に膨らんで…」みたいに頭の中では好きなあの子との会話のシミュレーションはばっちりなんだけど、いざ本人を目の前にすると緊張やらなんやらでまったく思い通りに行かない、みたいな。
ここの部分はそういうやきもきする感情を表しているように思える。
「思い通り」ではなく「想いどおり」なのが気になる。君のことを「想う」がゆえに完成したシナリオなのにうまくいかないっていう意味の表れなのかな?

「今日も会えないからベッドの中目を閉じて 次の次の朝までもこの夢の君に見とれてるよ」

冒頭で午後になっても眠り続けていた僕だけど、その理由は君に会えないからのようである。で、次が僕が特に気になるポイント。「次の次の朝までも」の部分。ここ、メロディ的に「次の朝までも」で行けるんだけど、「次の」がわざわざ重ねられているのね。「次の朝まで」ではなく「次の次の朝まで」。
明日までじゃなくて明後日まで現実世界では君に会えないからせめて夢の中で君に会いたい、それまで僕は何もやる気が起きないってことなのかな。
つまりこれは週末を表しているのではなかろうか。今日は土曜日で休日。もちろん片思いの相手とは休日を一緒に過ごすなんて関係ではない。明日も休みだ。
あの子に会えるのは明後日の月曜日。それまではせめて夢の中に出て来る「君」と過ごしたい。ということなのかな、と解釈したんだけど、この曲が発売された1996年当時はまだ土曜日って半ドンの時代かな?
調べたところ学校では1992年から第二土曜日が休み、1995年から加えて第四土曜日も休み、その後完全に土曜日休みに移行していったそうなのでちょうど時代的には過渡期にあたる。会社はいつから週休二日制が定着した分からないけれども、休日は会えなくて月曜日には会えるってことは同じ職場に好きな人がいるって状況。全体的に漂う青くてプラトニックな詞の世界観的に職場内で片思いしているって言うよりかは、学生の片思いを描いてそうな雰囲気を感じる。
今では土曜日も登校するなんて嫌だと思うけれども、好きな人に会える、友達と会えると考えれば退屈な休日よりも学校があった方が嬉しいと思うことは全然ありえるな。

「いつでも君の笑顔に揺れて太陽のように強く咲いていたい」

サビ。数多の女性をノックアウトしてきたであろうこの文言。この曲の一番有名なフレーズ。
一見ストレートに君への思いを表現しているように見えるんだけれども、「君の笑顔に揺れて」という部分。この表現は一般的ではないよね。って思っていたんだけど、二番を読むとしっくり来たので、少し後回しに。
後半の「太陽のように強く咲いていたい」に関しては向日葵を連想させる。大きく育つ夏の向日葵のように咲いていたい。

「胸が痛くて痛くて壊れそうだからかなわぬ想いならせめて枯れたい!」

切ない。サビの後半部分。前半では咲いていたかったのに、後半では枯れたい。しかもこっちには「!」までついていてその想いを強調している。
片思い中はちょっとのことで一喜一憂したり、飯が喉を通らなくなるほど胸が締め付けられたりしてしまう。そんな君への想い、もし叶わないのであれば(恋人になれないのなら)枯れてしまいたい、と強く思っているわけである。ここで注目したいのが失恋でよく使われる表現として「散る」があるにも関わらず「枯れる」を使っているってこと。
「せめて散りたい」ではなく「せめて枯れたい」なのだ。もちろん音的に「枯れたい」の方が合うという理由も大きいとは思うが、ここでは少し考察してみたいと思う。
「散る」と「枯れる」の違いを考えてみよう。「散る」は花が風に吹かれたりして舞い落ちる様、「枯れる」は花がゆっくりと生命活動を終えていく様、というイメージではないか。
つまり主人公は叶わぬ想いを君に伝えてこの恋が終わることよりも、胸のうちに潜めたまま想いが風化するのを望んでいるのではなかろうか。これは二番の歌詞を読むと分かるんだけど、この主人公は控えめで受け身な性格として描かれている。自分から積極的に想いを伝えることは出来ずに遠くから好きな人を眺めることしかできないような。
それともう一つ。「散る」ことは自分の意思で出来るが「枯れる」は願ったとてすぐに叶えられるものでもないのだ。「叶わぬ想いならせめて枯れたい」と願っているが、その枯れたいという願いもまた叶わぬもの、と考えるとその悲痛な願いを表現するために「!」が付けられていることも納得だ。

「もう笑えないよ夢の中でさえも同じこと言うんだね」

一番でせめて夢の中の君に会いたいと願っていた僕であったが、夢の中という自分の思い通りに描ける世界の中でさえも君は現実世界と同じ台詞を言う。それはきっと「あなたのことが嫌い」とかそういう自分を傷つける言葉ではなく、もっと日常的な、それゆえに自分のことを恋愛対象として見ていないと伝わる何気ない一言なんだと思う。これは僕の勝手な想像だが。

「窓の向こう本当の君は今何をしているんだろう」

ここで初めて僕は夢の中ではないリアルな君に目を向けた。現実での僕と君の冴えない関係に嫌気が差して夢の中に逃げ込んだけれども、夢の中でも代わり映えのない二人の関係。それならば現実の君が今どこで何をしているか、の方に興味がうつるわけである。
お分かりいただけたであろうか?元々、現実では満たされないから夢の君に癒されたかったのに、それが無理だとなると現実の君に癒しを求める。矛盾した行動、これこそが片思い中の支離滅裂とした思考を的確に表現できているのではなかろうか。
そうそう、それとここの歌詞、実は時代を感じる部分で。インターネットを用いて簡単に他人とつながることができる現代では「あの人今何をしているんだろう」と思ったらメッセージを送って簡単に答えが分かってしまう。もちろん連絡先を聞けないゆえに何をしているか確かめられない、とか勇気が出なくてこちらから連絡を送ることが出来ない、とかは現代でもあるだろうけどね。ただ今の世の中、自分からTikTokとかで発信している可能性も全然あるというね。「あの人、今何しているんだろう。あ、TikTok更新されてる」みたいな。

「遠い日の昨日に空っぽの鳥かごを持って歩いてた僕はきっと君を探してたんだね」

「遠い日の昨日」は昔のことと解釈していいだろう。「僕」は昔、空っぽの鳥かごを持って歩いていたわけだ。「鳥かご」と言えば支配のメタファーのように感じるが、この歌詞の場合「幼い自分」を表しているんじゃないかな。鳥かごに君を閉じ込めたいのなら持って歩くではなく部屋に置いて鑑賞の方がしっくりくる。鳥かごを持って歩くのは無邪気な子供。
「きっと君を探していたんだね」の部分は「君」とはまだ出会っていなかったけれども、「君」と出会うための準備は出来ていたという感じかな。こう書くととても安っぽい解説なんだけど、恋愛していなくても満たされている時期ってあるでしょ。毎日友達と遊んで、それだけで楽しい。その気持ちに嘘はないんだけど、実は好きになる相手がまだ見つかっていなかっただけで、運命の人と出会えたならその人が入るスペースは実は既に心の中にしっかり用意されているのだ。

「彩やかな風に誘われても夢中で君を追いかけているよ」

二番のサビ。ここで後回しにすると言っていた一番のサビについての答えが出せた。一番のサビでは「君の笑顔に揺れて咲いていたい」というようなことが書かれていたんだけど、揺れるということは「君の笑顔」は風のようなもので、「自分という花」を揺らせてくれる。
それに対して「彩やかな風」、つまり君以外の魅力的な人や物がどれだけ自分を誘惑してきても僕は目もくれずただひたすら君のことだけを想っている、ということ。
一番では風と表現せず、二番で対立するものとして風を出す。これが文学的表現ってやつなのか。こうして読み込んでみるとなかなか細かく計算された歌詞だということが分かって来る。実に面白い。

「空は今にも今にも降りそそぐような青さで見上げた僕を包んだ」

ここは正直しっくりくる考察が出来ていない部分。空の青さは晴れ晴れとした気持ちのよさを表す表現。君と出会うまではうつむいていたから知らなかったけど、君と出会って僕は顔を上げることができた、という解釈もできるんだけど、ここだけそんなにポジティブな表現になるのも違和感がある。
よく晴れた気持ちのいい空は花の成長にも必要不可欠なものだけれども、それは自分だけのものではなく万人にとって等しく頭上に広がるもの。そんな切なさを感じる。

「like a flower」「flowers bloom in sunlight and I live close to you」

この曲で唯一英語が出て来るパート。訳すと「花のように」「花は日の光を浴びて咲く、そして僕は君のそばで生きる」といった具合か。花にとって太陽の光が必要なことと同じように僕にとって君の存在は大切。君のそばにいることで僕という花は開く、君なしの僕など考えられない。

「いくつもの種をあの丘へ浮かべてきれいな花を敷きつめてあげる」

今まで「花」という単語は出てきていなかったがここに来て初めて花が登場。とは言え「咲いていたい」という部分からも分かるように自分を花に例えてはいた。が、ここに出て来る花は今までの花とは少し違って、「君のためならどんなことだって出来る」という強い気持ちのアピールとしての花。「たくさんの僕(花)を見せてあげる」ではない。
君に関するどんなに小さな気持ちや欲求もすべて拾って叶えてあげる、君のためならそんな奇跡みたいなことだって僕には出来るんだよ。控えめな僕なりの精いっぱいのアピール。

「早く見つけて見つけてここにいるから起こされるのを待ってるのに」

先ほどは精いっぱいアピールした僕であったが、やはり受け身、控えめな男。ここで言う「起こされる」は冒頭でずっと寝ている僕を起こして、って意味ではないだろう。君のためならなんだって出来る僕の存在に気付いてくれるのを待っているということだ。
「咲いていたい」「枯れたい」などもそうだがこの曲は片思いがテーマのため全体的に願望の表現多いな。

「いつでも君の笑顔に揺れて太陽のように強く咲いていたい 胸が痛くて痛くて壊れそうだからかなわぬ想いならせめて枯れたい!」

一番のサビと同じ歌詞。ここまで読んできたあなたならより一層この歌詞が切なく感じるでのはないでしょうか。

同級生の君に絶賛片思い中の僕は頭の中では「こんな話題を振ってみよう」とか色々考えているのに全然うまくいかず君とは結局あいさつ程度の言葉しか交わせない。学校が休みの土曜日。本当は君とデートなんかしたりしたいけれども、もちろんそんな予定もない。何をする気も起きないので僕は夢の中で妄想の君とこの土日を過ごす。
情けないことにそんな夢の中でさえ君との仲は変わらない。はぁ、君は一体どこで何をしているんだろう…
僕は他にどんな人が誘ってきてもただひたすら一途に君を想っている。君のためならなんだって出来ると思っている。でも自分からこの想いを伝えるなんて無理だから早く君に気付いてほしい。もちろんそんな都合いい展開なんてないんだけど。
どうせ叶わないこの想いならいっそのこと早く忘れてしまいたい。


こんなストーリーが出来上がってしまったわけだ。そしてこの曲が多くの支持を得ている理由に「こんな気持ちを味わったことがある」という人が多いからじゃないかな、と思えてきた。

というわけで初めて歌詞というものに真剣にぶつかってみた今回の記事。
思ったよりも楽しくすらすら書けたのでぜひまた別の曲でも挑戦してみたいと思ったのであった。

flower(live)/L‘Arc~en~Ciel




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