Dr.タイムマシン・ブルース

「あー、あー、現在2023年12月31日、20時54分」
私は壁にかかったデジタル時計を見ながらマイクに向かって語りかけた。もうあと数時間で年が変わる。街はカウントダウンに向けて盛り上がりを見せていることだろう。
そんな中、私は一人研究室でボイスレコーダーに自分の声を吹き込んでいる。もう何年も世間とはかけ離れた生活を送っていたので、今更淋しさを感じることはないが、それにしても今日はいつにも増して世間との乖離を感じるものだ。なんせあと数分後に私は長い眠りにつくのだから。

「今年は15年に渡る私の時間遡行研究もいよいよ大詰めになり、もう少しで人類の長い夢であるタイムマシンの開発理論が完成するという非常に大きな飛躍の年となった。しかしまさか私自身が病に侵されることになるとは。しかもこの病は現在の医療技術では治療は不可能と来た。無念である。今やっと長年の研究が実り始めたこのタイミングで。」

私は医師に余命宣告を受けた日のことを思い出していた。たんたんと説明する医師であった。思えばあれはショックを受ける患者に対して、自身が冷静にならなければいけないという責任感からくるものなのであろう。実際私は態度にこそ出さなかったが、大変ショックを受けたものだ。あの時、医師が感情的に優しく接してくれたらもしかしたら私はその場で研究を諦め、何もかも放り出していたかもしれない。医師が冷静に説明してくれたからこそ、私も自身の今後の身の振り方を考えることができたのだ。

「私が師、アルベルト博士と共同で始めた時間遡行研究。5年前に亡くなった師の意思は私の中に受け継がれている、と息巻いてここまで進めた研究。当然誰かに引き継ぐことも考えたが、正直適任者は見つからなかった。なんせ人類史上最高の頭脳を持ったアルベルト博士と、その博士が認めた私と、二人で始めたプロジェクトなのだ。並大抵の研究者ではいささか荷が重い」

言いながら私は「少し傲慢過ぎたかな」と思った。しかしこれは揺るぎない事実なのだ。アルベルト博士が人類史の中で一番の頭脳を持った人物だということは誰もが知っている。そしてその博士が「私の次に頭がいい」と認めたのがこの私なのだから。
誰もいない研究室の灯りをじっと見つめる。研究が始まった15年前は冷たい色の白色電球だったのが今では暖色のLEDライトになっている。そう考えると15年という年月の長さが改めて身に沁みる。

「そこで私はコールドスリープを利用することを決意した。この不治の病が不治ではなくなるその時まで、少々長い睡眠をとることにしたのだ。このボイス記録が終わったあと、私は眠りにつく。次に目が覚めるのは50年後かはたまた100年後か。」

時間遡行の研究をしている私が、コールドスリープで未来の世界へ行く。これもまたタイムトラベルのようなものだ、と自嘲した。もちろんコールドスリープは現在一般的に使われているものではない。が、私の研究成果を渇望している政府もそれが一番現実的な解決方法だということを理解したようで、私が長い眠りにつくことを承認した。私が未来で完成させる時間遡行の研究結果が対価である。
おそらくだが、世界各国でこうした形でコールドスリープは非公式で利用されているのではなかろうか。現代の医療では解決できない問題は未来に先送りにする。要人や私のような研究者が病で倒れることは国にとっての損失なのだ。

「私が眠りについている間のバイタルチェックなど、事故が起きないよう身の回りの世話は私が開発した人工知能、PP08号、通称ピピハチくんに任せておく。ピピハチくんは日々インターネットを通じて学習し、自身を常にアップデートさせる。おそらくわたしが目覚めるころにはより人間に近いアンドロイドになっていることであろう。成長したピピハチくんと会えるのもまた楽しみである」

そう言いながら私は隣にいるロボット、PP08号を見た。今は「スターウォーズ」に出て来るR2D2のような見た目のロボットであるPP08号は未来の世界で一体どんな姿になっているのであろうか。もしかすると人間と見分けがつかなくなっているかもしれない。

「少し長く喋り過ぎてしまった。現在20時58分、あと2分後にコールドスリープは開始される。それでは諸君、未来世界での再会を楽しみにしている」

私はボイスレコーダーのスイッチを切った。私も少々緊張しているようだ。計画に失敗はないはずだが、なんせコールドスリープは初めての体験なのだ。
シングルベッドよりも少しだけ窮屈なポッドに入り込んだ。中は意外と広く感じ、クッションも効いている。これなら長い睡眠でも耐えられそうだな、と思った。

「それではピピハチくん、あとのことは任せたよ」
ポッドの隣にたたずむアンドロイドに話しかけた。
「カシコマリマシタ、ソレデハコールドスリープヲカイシイマス」
無機質なPP08号の声が返ってきた。私はそっと目を閉じ、病気を完治し再び研究に没頭する未来を想像した。
「スリープカイシマデ5、4、3、2…」
だんだんPP08号の声が段々と遠ざかる。私は心地よい眠りに落ちて行った。




ブシューという空気が抜けるような音で目が覚めた。目の前ではポッドのドアが上にスライドしている。どうやらコールドスリープが終わったようだ。当たり前のことだが、長時間眠っていた実感はない。目覚めた時はもう少し意思混濁があるものと予想していたが、まったくそんなことはなかった。自分がなぜ今ここにいるのかもはっきりと理解している。普段の睡眠と同じ感覚であった。夢は見ていたのだろうか。思い出せないが、それもまた普段の睡眠と変わらない。

「おはようございます」

突然話しかけられた。声の方を見ると見覚えのない男が立っていた。年は20代半ばくらいだろうか。スラっとしたやせ型で、髪の毛は前髪をぱっつりと揃えて丸みを帯びている。いわゆるマッシュルームカットという髪型だ。深い二重の瞼と対称に唇は薄く、清潔な印象が持てる美青年であった。
唯一見覚えのあるものと言えば彼が来ている白衣だけである。その白衣はおそらくこの研究所に置いてあった新品のものであろうと思われた。年齢から考えるに大学院生だろうか。
なぜ見知らぬ院生がこの研究所にいるのだろう。そして彼はいつからいるのだろう。

「おはよう。ぶしつけで申し訳ないのだが、君は誰だったかな。思い出せない、というかどこかで会ったことはあったかな」
「わたしは博士が作った人工知能搭載型アンドロイド、PP08号、通称ピピハチくんです」

彼の言っていることが一瞬理解できなかった。どこからどう見ても人間である彼は、いや彼と呼んでいいものなのかも難しいところではあるが、私が開発したPP08号だと自称している。
確かに目覚めるころにはPP08号が人間と見分けがつかなくなっているかもしれない、と自分でも言っていたことだが、それにしてもここまで進化しているとは。

「なんと、君はピピハチくんなのか。こんなに立派な姿になるとは。一体私は何100年寝ていたのだろうか。いや、ちょっと待ってくれ、少し世間の様子を見させてほしい。ピピハチくんがこんなに進化しているということは世界も大きく飛躍しているのではないか?」

そう言いながら私は研究室のカーテンを開いた。すると目の前には私が眠りにつく前とはまったく別の世界が広がっていた。

「おお!車が空を飛んでいる‼」

私の目は少年のようにキラキラと輝いていたと思う。小さい頃に本で見た「未来の世界」のような光景に胸が高鳴った。頂上が見えない超高層ビルが群生し、どんな技術が使われているのか、何もない空に映像が映し出されていた。この変化は10年、20年、いや、50年でも不可能な技術改革であろう。

「ピピハチくんよ、今は私が眠りについてから100年以上経っているな。2130年くらいか?」
「いいえ、違います博士」

なるほど、この人工知能は私が今何年か当てたいと考えていることを汲み取ってくれているようだ。無機質に答えを教えることもしない。このあたりも私が眠りに就く前からは考えられない人類の機微を読み取っていることがうかがえた。

「100年ではさすがにこの進化は無理だな。そうか2200年代だ、そうだな?」
「いいえ、全然違います。ヒントを出しましょうか?」

ピピハチくんはにやりと笑いながら私にそう言った。機会に翻弄されているという苛立ちはまったく起きなかった。それよりもこの機械とは思えないアンドロイドとの会話がとても楽しかったのだ。

「そうだな。さすがに漠然とし過ぎていて難しいからな。ヒントを頼む」
「わかりました。それではヒントです。現在は博士が思っているよりも断然、近未来です」
驚いた。私が眠りに就いてから100年も経っていないのだ。一体どんな化学革命が起きたのであろう。確実に産業革命を上回る勢いで世界は変遷していたのだ。
「まさか100年も経たずにこんなに世界が進化するとは思ってもいなかったよ。2023年の年末に私が眠りに就いてから一体何が起こったのか。50年ほど経ったということかな。2070年ってところか」
「いいえ、博士。もっともっと近いです」
「50年も経っていないだと!ええい、もう答えを教えてくれ!一体今は西暦何年なんだ!」
「それではお答えしましょう。現在は西暦…」

ピピハチくんはクイズ番組の正解発表の時のように間を作り始めた。私もそれにつられてドキドキしてきた。

「ジャジャン!2024年10月1日でした!」

彼は何を言っているだろう。未来の人工知能はこんなところでくだらない冗談まで言うようになっているのか。

「ピピハチくん、もうお手上げなんだ。今は一体何年か、教えてくれないか」
「博士。気を確かにお持ちください。私は今何も冗談を言ってはおりません。信じられないでしょうが、実際に現在は西暦2024年10月1日でございます。つまり博士が眠りに就いてから10カ月経過した世界です。博士のことを知っている人物はまだまだたくさん健在しております」
「そんなバカな!たった10カ月で世界がこんなに進化するわけないだろう!」
「残念ながら事実なのです。博士が眠っている10カ月で世界は大きく変わりました」
「一体何があったと言うのだ!どうすればたった10カ月でピピハチくんが人間と見分けがつかないほどのアンドロイドになり、車が空を飛べるようになるというのだ」

そう言いながらも私はまだこの世界が2024年だということをまったく信じていなかった。いや、信じろというほうが無理なのだ。明らかにこの世界のテクノロジーは100年以上経過しなければ実践できないのだ。おかしい。やはり人工知能も完璧ではなかったというのだろうか。

「それでは説明しましょう。博士がコールドスリープに就いた翌日、太陽フレアがノムクランジーし、それにより人類はフィクロメンシスになったのです。それからエンコリオーンがビクラデに対しフィフネント…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!さっきからまったく知らない言葉ばかりで一切理解できない!すまんがもっとわかりやすい説明を頼む」
「モノリスですよ、分かりやすく言えば」
「モノリスというとあれか?2001年宇宙の旅か?」
「そうです。映画に出てきたモノリスはある生物を劇的に進化させるという設定がありましたね。あんな感じですよ。人類のステージが突然飛躍的に上がったのです」
「そんなことが起きるなんて…」
「もっとわかりやすく説明しましょう。モノリスによって人類は圧倒的に知能が発達しました。博士が人類史上最高の頭脳と呼び尊敬していた故アルベルト博士、彼の知能指数は200を超えておりましたが、今の人類は最低でも故アルベルト博士と同等の知能を有しております。当時の指数で言えば今、一番頭のいい人物は知能指数1000を超えております」

人類がみなアルベルト博士並み?いや、違う、今の言い方だと人類がみなアルベルト博士よりも優秀な頭脳を持っているということになる。

「し、信じられない。もしそれが事実だとしたらアルベルト博士の次に優秀だと言われていた私は…」
「はい、大変言いにくいことですが現在の人類において博士は一番頭が悪い人物、ということになります」

目の前が真っ暗になった。この機械は何を言っているのだろう。私が人類で一番頭が悪い?

「おかしいじゃないか!その言い方だと生まれたての赤ん坊でさえ私よりも頭がいいことになる!それに寝たきりの老人なんかはどうなるんだ?」
「モノリスは通常の生命活動を送るすべての人物の知能を引き上げました。もちろんそれは寝たきりの老人と言えども例外です。はっきり言って今の世界にはアルツハイマーなどの病気は存在しません。それに生まれたての赤ん坊でさえ博士の知っているような数学の定理などはすぐに答えられます。というか今私は博士に分かるように日本語で話しておりますが、人類はみなありとあらゆる言語を話せており、さらに言えば全世界共通言語も使用しております」
「それならなぜ私はモノリスの恩恵を受けていないのだ」
「さきほど申し上げました通り、モノリスは通常の生命活動を行っている人類すべてに影響を及ぼしました。が、あの瞬間コールドスリープにより生命活動を停止していた博士は言うなれば死体と同じ、と判断されました。いかにモノリスと言えども生命活動を終えた死体には影響が届かなかったのです」
「そ、そんな‼それじゃあ私はただ一人、コールドスリープなんて使ってバカみたいじゃないか!」
「はい、だから博士は今世界で一番頭が悪い人物だ、とさきほどもお伝えしました」
「うまいこと言わんでええねん!」

思わず関西弁でつっこんでしまった。なんだこれは、なぜこんなことになっているのだ。モノリスだかなんだか知らないが、私がとんでもなくタイミングの悪い男みたいじゃないか。

「病気は?私の病気は治るのか?」
「もちろんですよ、博士。治るからこそ目覚めたわけですから。というか本来ならもっと早くに治療できる病気になったんですがね。コールドスリープの設計上最低でも10カ月は扉が開かないようになっていたもので。現在の人類は病気で亡くなることはありません」
「そんな世の中になってるの?というか世界が変わっていく様子、むっちゃ見たかったんですけど?」
「見ますか?時間遡行も現在なら簡単に行えますよ?」
「時間遡行?それは私が研究していたテーマじゃないか!え、もしかして研究もう完成しているの?」
「もちろんです。博士とはまったく違うアプローチから完成した理論ですが、博士には理解できない内容なので割愛します」
「それじゃあ私は一体なんのためにコールドスリープしたと言うのだ!タイムマシーンを完成させるために一大決心したというのに。これじゃあ本当の本当にバカみたいじゃないか!」
「ですから!博士は今人類で一番頭が悪い、バカなんですって!」
「やかましい!」

なんで起き抜けに機械相手に漫才をしているのだ、私は。

「そう言えば博士、高齢者向けのクレイド講座が受けられますが受けますか?博士はこれから少しずつ現在の世界について勉強する必要があるかと思われますが」
「クレイド講座って何?」
「はー、そうか。そんなことすら分からないんですよね、心中お察しします。博士の知識で言うと高齢者向けスマホ講座のようなものですかね。今はデバイスを必要としませんが」
「デバイスがないってことは頭の中だけで他人と通信できるということか?」
「簡単に言うとそうですね。一旦講座の様子を見てみましょう」

そう言うとピピハチくんは研究室の壁に何かを映し出した。これだけでも私にとっては理解できないテクノロジーである。

「先ほども申し上げた通り今はデバイスを必要としないので本来教室のようなところに集まる必要もないのですが、こうした教室で講師と面と向かって授業を受けると言う形は一周回って人気になっております」

高校の教室のような部屋では講師と思われる男性が参加者に向かって何やら話していた。

「皆さん、基本的なデゥアルデは理解できましたね。次にインジェリについてですが何か質問ある方いらっしゃいますか?」

すると真っ白な頭の老人が老人と思えない元気な声で発言した。

「先生。デゥアルデはもちろん分かるのですが、ソリアネーションのキプセルがどうにもうまく行きません。原因はハイロバかもしくはセッテングかと思うのですが」

また聞いたことのない言葉の羅列だ。頭が痛くなって来る。

「ピピハチくん、もういい。私はもっともっと基礎的なことから学ばなければならないようだ。じっくりとピピハチくんが教えてくれないか?」
「かしこまりました。博士、少しずつ覚えて行きましょう。リハビリのようなものと思えばよいかと思います」

アンドロイドに慰められている。未来の世界では人間が機械に慰められることもあるのだな。

「うん、よろしく頼むよ、ピピハチくん」
「博士!私に任せてください!」

そう言うとピピハチくんは右手で自身の胸をドンと叩いた。本当に人間のようである。

「は!しまった、私としたことが。博士が目覚めたら政府にまず報告しなければならないのでした。すみません、まず博士のコールドスリープ完了レポートを政府に送らせていただきます」

慌てた様子でピピハチくんは私のデスクからなにやらプリントされた紙の束を取り出した。見るとそこには見慣れない文字が印刷されていた。どうやら今の一瞬の間にピピハチくんの思考からプリントが完成したようだ。もはやこれくらいでは驚かなくなった。

「それでは政府にレポートを送ります。えーFAX番号は…」

ピピハチくんは私も使っていたレーザープリント式のコピー複合機を操作しだした。

「おいおい、こんな時代になったのになんでFAXなんかいまだに使っているんだい?」
「博士、公的機関への連絡はFAXが基本。これは今後100年経っても変わらない日本の在り方ですよ」

そう言ってピピハチくんは笑った。
私もつられて笑った。

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

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