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ビルボード1位に加え、オスカー作品賞まで〜韓国と日本のエンタメの国際的立場がどこで逆転し差がついたかを考えたい

どうも。

いやあ、すごかったですね、昨日は。

プレゼンターのジェーン・フォンダが「パラサイト」と言った瞬間、こっち、深夜1時で僕以外家族全員寝てたんですけど、「よっしゃあっ!!!」って叫んで、こぶしあげて喜びましたからね。

どっちかと言うと、「パラサイトに勝ってほしかった」というより「1917の受賞を止めてほしかった」という方が本音としては近いし、さらに言えば、「せめて監督賞だけでも、ふさわしい人を」と思っていたので、スコセッシ1回にタランティーノ0回の監督賞にサム・メンデスみたいなカリスマ性に薄い監督に2度目の監督賞をとらせるよりは明らかに巨匠の風格がすでにあるポン・ジュノに獲ってほしかったし、そうであるならもちろん作品賞もいっそのこと狙ってほしかったですよ、やっぱり。いくら僕の今期で一番好きな作品とも、韓国映画やポン・ジュノの作品の中で一番好きな作品とも違いましたけど、それでも2000年代から続いていた韓国映画の充実や「パラサイト」には時代を象徴する勢いも力もあったから受賞にはふさわしいと思っていました。

それから、昨今ハリウッドで言及されやすかったポリコレに関してだって、仮に「1917」が勝っていたら「有色人種ゼロ、女性1人しか出ない映画」が勝つところだったんですよ。そういう映画よりは、やはりアメリカ資本ゼロのアジア人による映画がオスカーに勝つ方がダイバーシティを体現しているのは間違いないわけで、それこそ本当の意味でのアメリカン・ドリームですよ。

それに上の動画でももうすぐにわかりますけど、授賞式の客席にいた人たちが心の中で何に勝ってほしかったかはもう明らかじゃないですか!これ、もう明らかにみんなに祝福されての勝利でしたよ!もう、受賞スピーチが周囲からの多幸感に溢れてましたからね。オスカー見て、こんな気分に浸れたのは、10年の鑑賞歴くらいだと、ここまでのは記憶に無いですね。

いやあ、しかし、それにしてもですよ

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音楽ではBTSがビルボードのアルバム・チャートで1位という、音楽界にとってはグラミー賞受賞とかより重要(だってグラミーで勝ったってカッコいいイメージないもん)なことやってですよ

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オスカーでは、史上初の、外国語(英語じゃない)映画での作品賞と監督賞でのWですよ。そんなことやった非英語圏の国、韓国しかありませんよ!

いやあ、本当に、これ、世界のエンタメ史の観点で見ても、大快挙ですよ。一体、どうしたら、こういうことが可能になったのか、

ここでは、そのことについて

考える努力をしたいと思います!

ここでねえ、「韓国が世界のエンタメ界を制覇した秘訣は!?」なんてことを断定調に言えたりしたらかっこいいんですけど、お世辞にも僕はまだ「韓国カルチャー・ウォッチャー」としては素人です。なので、エラそうなことなど決して言えません。ただ、この成功に関して言えば、決して一過性のものでなく、この後もずっと語り継がれていくべき話だと思うし、他の国が学んで応用すべき話でもあると強く思っています。なので、僕自身も、この投稿から改めて考えていきたい。そんなつもりです。

ただ、そんな僕でも強く思うことがあります。それは

かつて日本に、今の韓国のようになるチャンスは本当になかったのか

僕はですね。これが、非常に悔やまれてならないんですよ!

日本にもBTSやポン・ジュノを先に生み出す下地。これは確実にあったと思います。それは

1960年代にはすでにきてました!

それがなにかというと

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今、僕が連載している「ロックと日本の65年」でも書いた、1963年、坂本九の「Sukiyaki」が全米シングル・チャートで3週連続1位になったこと。

そして

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1966年のオスカーで、勅使河原宏が「砂の女」で監督賞にノミネートされていたんですよ!

これ、すごいことだと思いません?

日本映画はこの一世代まえの1950年代に世界的なブームを巻き起こしておりまして、黒澤明が1951年のヴェネツィア映画祭でグランプリの金獅子賞、溝口健二もヴェネツィアで金獅子こそありませんが3作連続入賞、なんてことが起きて、日本映画が一躍国際的に注目されブームになっています。なお、日本人はもうひとりオスカーの監督賞ノミネートがありまして、それが1986年の黒澤明が「乱」で果たしています。

なんか、今回のポン・ジュノのオスカー受賞の流れに近いもの、感じません?韓国映画も2000sにポン・ジュノやチャク・パヌク、イ・チャンドン、キム・ギドクといった監督が次々出て、10年以上経った頃にオスカーの快挙が待っていた。日本も50年代に世界的なブームがあったあとに、60sにオスカーの監督賞というビッグタイトルのチャンスがあったわけです。

残念ながら、日本にその後、こうした経験がいかされたどころか、こうした事実があったことさえ、果たして知られているのかさえ疑問です。これだけ、世界的にも誇れるくらい先進的だったのに。

決して、退化したとは思いません。音楽にせよ、映画にせよ、日本はその後も面白いものを出してきているとは思います。しかし、その実力が世界のシーンにおいて発揮されているかといえばやはり疑問です。現に世界的なインパクトでは、韓国に遠く及ばない現状は否定できないのは事実ですから。

だって、その昔、日本と比べて韓国と言ったら

https://namu.wiki/w/한국%20대중음악%20100대%20명반

これは、韓国のメディアが選んだオールタイム・アルバムのリストで、これを元に僕もいろいろ過去の音源調べたんですけど、いわゆるK-Pop前の韓国のポップ・ミュージックで日本より進んだものは、申し訳ないですけど、ないです。中にはいいものもあるんですけど、一部のアーティストが海外にも知られ熱心なファンがついていることが続いている60〜90sの日本のそれに比べたら、申し訳ないですけど、雲泥の差です。

それから映画にしても、80sくらいまで韓国で世界的に知られている映画といえば1960年に制作された「下女」という映画くらいのものです。歴史ひもといても、いわゆるカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンといった世界3大映画祭で韓国映画が受賞をはじめるのは2000年代に入って以降に過ぎないんです。

そんな、日本に比べたら、申し訳ないですけど、随分遅れた印象も否めなかった韓国のポップ・カルチャーがなぜ今、このような全盛を見ているのか。それを、僕なりに解析してみようかと思います。

1.「ポップ・カルチャーを輸出すること」に高い価値を見出した

日本との最大の決定的な差はここだと思います。日本は、音楽にせよ映画にせよ、ややもすると保守的な大人たちが「消費物」と考えて芸術的な価値を置こうとしていませんでした。あたかも「古典ばかりが芸術」と勘違いして振興することに力を入れてこようとしませんでした。だから、映画の作品や音楽アーティストの海外進出が、一個人と関係者の努力でまかなわれなければならなかったのではないかと。

昨今、2000年代に入った頃くらいですからかね。韓国のポップ・カルチャーの国際進出、目立っていたじゃないですか。それは2000s前半の「冬のソナタ」を筆頭とした韓流ドラマ・ブームとか、まだあの頃は日本だと東方神起とかでしたけど、K-Popブームの初期段階もあった。あれがはじまりだったと思うんですけど、あれも明らかにアーティストや事務所だけの力を超えた、なにか大きな力が働いていたのは素人目にもわかったものでした。

よく、「韓国のポップ・カルチャーの進出は国策」という人がいますけど、それに関しては僕も伝聞レベルでしか聞かないのですが、国より企業のバックアップが大きいと聞きます。そこでなんとなくピンとくるのは、たとえばブラジルでも電化製品の売り場でサムソンとかLGの売り場にいけば、確かにK-Popがかかってたんですよ。あれでサブリミナル効果的にK-Pop耳にした人、多いはずなんですよ。「企業からの後押し」って、そういうところにあったんだと思うんですよね。もし、これが仮に、日本の電化製品の売り場で日本の音楽がかかっていたりしたら同様に気にされたかもしれなかったんですが、残念ながらそんな光景は見たことも聞いたこともありません。

2.業界内での効果的なプロモーションのノウハウを知っている

そして、2番め。ここも大きいかと思います。韓国の人たち、プロモーションがすごくうまいんですよ。

だって、思い返しても、初期のKPopとか韓流ドラマって、たとえばエイベックスとか、NHKとかフジテレビとか、かなり日本の大手とガッツリ組んでやってませんでした?そこなんですよね。しかも、「現地のスタッフに丸投げにした」印象、全然なかったでしょ?そこ、なんですよ!

あと、これは僕が2011年にブログですでに書いてあることなんですけど、この頃、KPopの特集記事をですね、ビルボードだけじゃなく、ピッチフォークとかSPINみたいなメディアにまで書かせてるんですよ!あの当時、「なんで音楽のジャンル関係ないところにまでこんなプロモーションが?」と思っていたんですが、こうやって影響力の強いところに種まいた結果、2018年にはBTS、全米アルバム・チャート制覇ですよ!

それ以前にも2012年に、一発屋でしたけどPSYの「江南スタイル」ってあったじゃないですか。あれ、全米でかなりながいこと2位を記録して坂本九の記録に迫りそうになったんですけど、あの当時彼、ジャスティン・ビーバーと同じ事務所でしたからね!そういうところでも、しっかり根回しがされてあったんですよね。

あと、今回のオスカーでも同様です。いかに、あの映画がカンヌでパルムドールとったからといって、オスカーって、配給会社にとっては、ものすごくお金積む大イベントなんですよ。新参者が入ってすぐに受け入れられるものじゃないんです。なのに、それが可能になったというのは、すでにハリウッドの中で、オスカーのキャンペーンをしっかりプロモできるだけのパイプと人脈が出来上がっていたはずなんですよね。音楽同様、何を具体的にやったかはもう少し詳しく調べる必要があるんですが、間違いなく、人を張り巡らせた何かをやったはずです。

日本だと、こういうプロモーションの戦略がこれまでの海外戦略になかったんですよね。「メジャーと契約して、プロモーションする約束したから、それでいいだろ」みたいな済ませ方しているように、少なくとも僕には見えてましたね。そのために、「アメリカ風にサウンドを変えてみた」とか、そういうのも見てます。その結果、日本と印象が変わって、日本での人気さえ微妙になった例さえあります。ところが、韓国の音楽とか映画ってどうです?アメリカに進出するからって、何かを特別に変えてます?たしかに、そんなことしなくても、元から「アメリカでのはやりを自分たちなりに咀嚼したもの」を表現として出してきていたとは思いますが、「アメリカに行くから」といって急によそゆきになったりはしてないでしょ?そこも大きいんですよね。そこのところの意識の違いも大きいような気がします。

3.表現者ハングリー精神が違う

ここもすごく大きかった気がしてます。

「韓国の社会が変革された」のは軍事政権が終わった1987年以降、という話を聞きます。そこで、これまで不自由だった社会に変革を求めた世代、というのが、世の中を前向きに変えてきたわけです。それを韓国では「386世代」というようですね。「80年代の民主化運動に参加した、1960年代生まれの90年代当時に30代だった人たち」が、世の変革に貢献してきた、という話を聞きます。

そして、その運動に参加した人たちが望んだ政権というのが、2002年に誕生した盧武鉉(のむひょん)政権のようですね。偶然かもしれませんが、この頃に韓流とKPopの進出はじまってますからね。より、リベラルになった政権のもとで、ポップ・カルチャーの進出が同時にはじまってますね。

あと、386世代以降に牽引される文化って、やっぱり「自由を求めて戦って来た」分、反体制で進歩的なのは当たり前なんですよね。それって、ポン・ジュノとかパクチャヌクの映画見てもわかりますよね。社会批判なんてしても当たり前。そういう姿勢で作ってるから表現もどんどん自由になります。

そんな彼らでも、2010sに入ってからの、パク・ウネの保守政権のときはブラックリストに載せられたりして苦労してたらしいですね。結局、パク・ウネが汚職で逮捕されて政権が左派の「共に民主党」に戻ってからは、また、ポン・ジュノみたいな人が表現しやすいものに戻ったようですけど。

それと比べて、日本の場合、いわゆる70s安保の終わった後のしらけ世代に、80sのバブルでしょ。「社会の現実と対峙して、何かを訴える」ということが希薄になってたんですよね。ここのところは、映画とか、文学の世界においてはきわめて大きなダメージだったと思います。考えを強く促すところがないですからね。

あと、こうした、言い方悪いと「のほほん」で、「一番豊かになった日本」という国でくらして、自分の国の中だけのカルチャーで満たされて外見ようとしなくなった社会で、人々のものを見る鑑賞眼とかが劣化したとしても、それは無理ないようなきはが僕もするんですよね。そうなると、「日本でしか通用しない表現」が当たり前になり、どんどん世界の現実からは遠く離れた芸術表現にも陥り・・・。悪循環が生まれてもしょうがなかったのでは、と思います。

・・・といったところでしょうか。

僕も、90sの後半に、「当時の日本のロックに絡む仕事していて、あれだけ充実したものがなんでもっと外に出ていかないのか」と、期待と苛立ちの中で仕事していたので、こういう話にはすごく興味があるんですよ。あの時期、海の外で渋谷系が評価されたりして、ボアダムズがロラパルーザ出てたりして、国内シーンもフジロックでブランキーとミッシェルがヘッドライナーやっても文句言われないような実力があったとか、そんなじだいだっらたでしょ。そういう流れが、ナンバーガールがデイヴ・フリッドマン迎えてアルバム作った、くらいまではあったんですけど、そこから後に急に、アーティストが外を向く時代が終わって、せっかく先進的なとこまでが内向き消費に利用されるだけのものになっちゃって。そうしたら、横目で韓国が花咲いたわけですから、くやしいんですよね。「才能がある人」がいても、その人たちを海の外へ送り出すのにバックアップする力がないとダメ、というのは痛感しているだけに、今回のポン・ジュノの偉業に関しては思うところがかなりあるわけですよ。













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