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素晴らしいからといって「芸術」と呼ぶのは違う気がする。

「○○は芸術だ」みたいな主張は皆さんも時々目にされると思います。
確かに20世紀以降「えっ、これも芸術?」というような表現も多くなり、芸術の幅も広がった反面、正直言って芸術がわかりにくくなった点は否めないと思います。

そのうち芸術が一部の“通”だけのものになるのを嫌気する動きも現れてきて芸術をポップな方法で表現しようとしたり、逆にポップな文化の中から特定のジャンルを『芸術』の仲間に引き入れようとする動きが出てきます。
それが「○○は芸術だ」に繋がっていくような気がします。

表現の仕方にはいろいろあって、それぞれがとても素晴らしいのです。
でも、いかに素晴らしくてもそれで『芸術』と呼んでしまうと、私はどうしても違和感を感じてしまいます。
今回はそのモヤッとした気持ちを頑張って解説してみましょう。


人間の創造活動をジャンル分けしてみる

『芸術』は英語で言うと“アート(複数形はアーツ)”です。
ですがこの“アート”は本来広いジャンルの意味を含むものでした。

まず“アート”とは「人工のもの」という意味、つまり“技術”の意味です。
ここから実用的なもの“サイエンス”と教養的なもの“リベラル・アーツ”に分かれます。
さらにリベラル・アーツからいわゆる『芸術』の意味での“ファイン・アート”が分かれます。
そして20世紀に入り大衆が経済力を持つようになると、そこを市場とする“ポップ・アート”が生まれるわけです。

つまり日本語では『芸術』という言葉で表されるものは、実は多くのジャンルの文化を含むということなのです。
ですが明治時代に“アート”(実際には“リベラル・アーツ”)を『芸術』と訳して西洋芸術を必死で輸入していた日本には、やがて『芸術』は「高尚である」というイメージができてしまったのでしょう。

『芸術』の意味合いを広げる必要はない

私が感じる「○○は芸術だ」に対する違和感は、私自身がこのイメージに影響されたものなのでしょう。「高尚なもの」という芸術のイメージからはみ出すものを排除しようとしている自覚は確かにあります。
それでは『芸術』のイメージをリセットして、芸術の幅を広げるべきでしょうか?

私はやはり強烈な違和感を感じます。
例えば上記「リベラル・アーツとファイン・アート」のジャンル分けは後者が前者に含まれるのに対して、「ファイン・アートとポップ・アート」は並列する関係のように思えるのが一つの理由です。
ポップ・アートはファイン・アートの存在を前提としなくても存在し得る。
つまり両社は全く別モノとして扱っても支障は無く、それが双方の価値を下げることにはならないと私は考えます。

それなのに素晴らしいものをつい『芸術』と呼んでしまう理由にはファイン・アートとポップ・アートに適切な日本語が付けられていないことがあると思います。
“純粋芸術”と“応用(または大衆)芸術”とかいう言葉はあるのですが、何だか意味が伝わりにくくて一般に浸透しなさそうです。
ですから私は“ファイン・アート”は『芸術』、“ポップ・アート”を含む創造的活動の全般を『アート』と呼ぶようにしようと思います。
そこにはっきりとした線引きはしづらいのですが、例えば漫画やフィギュアは『アート』と呼ぶべきでしょう。

「そこに“高尚さ”はあるんか??」

すみません。アイフルさんのCMです💦

さて、日本語の『芸術』に高尚なイメージがある以上、芸術ではないのなら高尚ではないのでしょうか?
私はあえて「はい」と答えます。

ものすごく怒られそうですが、よく考えてください。
「○○は芸術だ」という時、○○を無理やり高尚なものにしようとはしていないでしょうか?
ですが愛するものや素晴らしいものは高尚でなければいけませんか?
例えば親や友人が素晴らしい人で何ものにも代え難かったとしても、彼らを釈迦やキリストと比較する必要はあるでしょうか?ある人にとっては親の方が釈迦やキリストより偉大に思えたとしても…

今は上手く言えないのですが、『芸術』が高尚である理由は存在します。
『芸術』と『アート』の違い、それは“高尚さ”の有無と仮に考えておきます。
ただし『アート』であったものが『芸術』と考えられるようになるというのも事実ですし、“高尚さ”には時代の感性も関係しているのかもしれません。

ただしその点はまだ十分に考え切れていないので、ここで下手に語るのはやめておきます。
考えがまとまったらまたここで発表させていただきますね。

『セレマ学院』で学ぶアート感覚とは?

私は誰もが『芸術』を崇めなければならないなんてことは全く考えていません。そもそも『セレマ学院』は「アート感覚の学び舎」ですからね。
私は皆さんには『アート』全体を好きになっていただけたらいいと考えています。

ただ正直言って私は前衛芸術やポップ・アートが大変苦手ですので、話題はほぼ『芸術』関連になるでしょう。
代わりに私から見た『アート』、つまり旅行や食道楽、もしかしたらサイエンスや人文学的なことにも話題は広がるかもしれません。
やらないとは思いますが、旅動画なんかやるようになれば私と嫁さんとの夫婦漫才を披露できるでしょう。

とりあえず当面は大好きな芸術関連のウンチクを語ることになりますが、私が伝えたいのは芸術の知識ではなく、イメージとイメージをどう繋げていくかのプロセスです。
人は別のイメージが繋がったとき心が動きます。そして「面白いな」「楽しいな」と思うのです。
ですから芸術は一つのきっかけだとも言えます。
「高尚に思える」芸術が異質なもの、ポップなもの、日常的なものと結びついていくところに面白さが生まれると思います。
ですから『芸術』にはその特性として「とりあえず高尚」ではあってほしいし、『ポップ・アート』とは別モノと考えたい、というのが私の思いなのです。

 

今回はここまでです。
多様な感性をいろいろと結びつけて、あらゆる場面でアートできるのが『アート感覚』なのですが、その学び方については下記にも書いています。
まだお読みになられていない方はぜひこちらもご覧ください。
それではまた!


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