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スーパースターに頼らず「ユニークなパス回し」で勝負する


昨日は、

感情をシェアするために、
あえて不完全で不都合な「場」を設定してみよう、

という文脈で
まとめてみましたが、

こういった細かい施策(部分)は、

結局のところ、誰に何を売るのか

という戦略(全体)
構想されていることが大前提です。

静止画がたくさんあって、
続けてパラパラめくると動画になるように、

静止画と静止画の間が
すべて相互に作用して、

全体としてひとつの物語になるような
「全体構想」があっての「部分」

ということを忘れてはなりません。

意外と抜けがちで、

部分合理性のワナ
にはまることはよくあります。

ひとつひとつの部分を見ると
合理的じゃないように見えても、

全体として合理的であれば
よりいい(マネされにくい)

戦わずして勝てる
希少性、差別化が図れている

ということです。


■「バカな⁈」と「なるほど」


ひとつひとつの取り組みを見ると、

「なぜそんなことを!?」

と思われるような、
たとえば

「J1に昇格しなくてもいい」とか
「ファンに経営を可視化する」

といった
業界的には非常識で非合理的
思考や行動でも、

「隔週で地域のお祭りを開いて、
町中の老若男女が集まるコミュニティづくり」

というビジョンを掲げていれば、

すべての構成要素が論理的に連動し
美しいひとつのストーリーとなって

合理的に(収益も確保)
ということは十分に想像できます。

たとえば、、、

社長もしくはGMが
オンラインサロンを展開し、

ビジョンをどのように実現するか、
自身の想いを「毎日」欠かさず発信

(※毎日やるから「熱量」が伝わる)

メンバー(ファン・サポーター)が
コメントしたり、

もしくは専門性をいかして
クラブの経営や運営に参画したり、

サロンの収益は

サポートしてくれる方々に
ギャラとしてお支払いしつつ、

クラブ運営のすべてを
常に可視化しておけば、

有事?のとき
(連敗が続いたときとか)に

鬱積した不満をぶつけられて、
スタジアムで公開説教をされることもありません。

少し話が飛びますが、

おそらくああいった抗議の居残りは、
サポーター自身も

「いちいちやりたくない」

のが本音ではないでしょうか。

暑いし、寒いし、疲れてるし、
早く帰りたいし。

でもクラブ側が
情報公開や説明責任を果たさないから

不満、というか心配で心配で仕方なく、
本当に「しゃーなし」で

社長を呼び出している
と推察しています。

すべてをさらし、
日々意見をつのり、

もちろんビジョンからブレることなく返答し、
粛々と実践する姿勢を繰り返していると、

ビジョンに賛同できなければ
お客さんは離脱しますし、

賛同できれば
ついてきてくれるし、

おまけに試合の結果に左右されることなく、
課金収入が得られて「合理的」です。


■リーダー次第で組織は変わる

クラブリーダーの
こういった仕事のあり方は、

クラブハウスにおける業務においても
誠実に反映されるはず。

スタッフに対して

フォーマルな形であれ、
インフォーマルな形であれ、

とつとつと、しつこく繰り返し、
明るく語りかけてビジョンを共有
します。

ビジョンというストーリーを

誰よりも信じて、
誰よりもワクワクしているのはほかならぬリーダー

スタッフはひとりひとりが、
ビジョンの実現に向けて、

自分が今、どこで何をして、
そしてそれが全体としてどのように機能し貢献し、
どんな成果につながるのか。

根拠をもって、モチベーション高く
仕事に取り組むことができます。


クラブの業務は激務ですが、

「ストーリー」という道筋が描かれた地図を持ち、
明確な意志をもって前に進めるのであれば、

同じ疲れるにしても、
明るく疲れられるものです。

リーダーのビジョンに共感し、
必要とされていることを実感しながら、

いつしかスタッフ自身も
ビジョンを念仏のように唱え、

共犯者意識をもって
仕事に向き合うようになるでしょう。

そんな組織から
成果が出ないはずはありません。

どれだけ
デジタルマーケティングが論理的であろうとも、

どれだけ
イベントの企画が魅力的であっても、

全体構想が抜け落ちていれば
それは砂上の楼閣。

ビジョンという固い地盤がないのに
美しい建物をつくっても意味がありません


千葉に行くのか、北海道に行くのか、
韓国に行くのか、イングランドに行くのか、

行き先が決まっていないのに
新幹線の予約をしている
ようなもの。

新幹線はすばらしく速いですが、
海を渡ることはできませんし、
千葉にいくにはハイスペック過ぎます


「誰に何を」

という根源的なビジョンなしに、

「どのように」

ばかり考えても
全体の合理性は担保できません


■データを過信しない

来場者データや、
アンケートも同様。

とあるクラブがデータを収集して
集客に大成功をおさめた、

というベストプラクティス
ウェブサイトから拾ってきて、

「じゃあ俺たちもデータだ」

と盲目的に飛びついて、

「あれ?でもこれってどう使うんだっけ?」

となって途方に暮れるケースは
少なくありません。

データに意味がない、
というつもりはありませんが、

大枠や大局なき方針のもと
細やかな計画を立てることはできません

もう少し踏み込んで言うと、

データそのものに
あまり頼りすぎないほうがいい。

お客さんの嗜好や声は、
一定の参考
にはなりますが、

それ以上でもそれ以下でもありません。


スターバックスには

「The third place」

というコンセプトがあり、

家(first place)でもない、
会社(second place)でもない、

「第三の場所を提供する」
というビジョンがありますが、

「あー第三の場所があればいいのに」

というお客さんの「具体的」な声
がビジョンのもとになったわけではありません。

人間の本性をとらえるような、

喜怒哀楽や欲求、
必要不必要、忌避を前提に、

うれしさや不便、怒りや悲しみ、
疑問などを観察し、考え抜き、

何をすれば喜ばれるのか

という洞察から導き出された
鮮明な動画イメージが

「The third place」

という概念につながったということ。
答えはビジネスサイドの頭の中にしか存在しません。


■無責任な数値目標は悪

数値目標がビジョン、
という誤った解釈も多々見られます。

端的に言ってそれは
ぱさぱさに乾いた目標であり、
瑞々しさを伴った目的にはなり得ません

数値をかかげて

「いってこい!」

と背中を押すだけで、
道筋を示すことができないリーダーは

仕事をしているとは言えません。

「なんとかなる」

ではなく

「なんともならない」

のが経営です。

もちろん不確実性がつきものの
現代社会において、

はじめからストーリーのなにもかもが
完璧に駆動するとは限りません。

というか絶対に
齟齬が発生します。

ただし、
そんな齟齬や失敗は、

ストーリーという全体像があるから、
「それは失敗」だと判断できる

つまり、

失敗の正体がつかみやすい
ということです。

反対に成功したときも、

「なぜそれがうまくいったのか」

を説明することができますが

それも全体がイメージできていなければ
原理的にありえません。

小さな問題点を
早くちいさくはっきり

掴んではつぶして、
繰り返し試行錯誤して、

次第に美しい「ストーリー」が動き出し
成果に近づいていくのです。

ひとりひとりにスーパースターはいませんが
パスがどのようにつながって
ゴールに近づき、シュートが打てるのか。

ユニークなパス回しで勝負
というイメージでしょうか。


※本稿は以下文献を参考にしました。
ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件
(楠木建)




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