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他人の時間を侵害する行為について

命という灯火を照らしながら生きている私たち。火が灯っている間、じわじわと短くなる蝋(ろう)は、失われると二度と取り戻すことができない「時間」に喩えられます。私たちは限られた時間を使って、命を全うします。命(灯)がなくなれば時間(蝋)は止まり、時間(蝋)がなくなれば、命(灯)が失われるのは自明の理。

だからこそ、日々の生活においてどのように時間を使うか、良質なタイムマネジメントは豊かな人生を送る決定的な要因となります。朝起きてから夜寝るまで。いや、睡眠ひとつ取ってみても、同じ時間でいかに深い眠りに落ちて心身の疲労回復を図れるか否かは、次の日、もしくは長期的にみて健康的な活動に影響を及ぼします。そのことが意識下にあれば決して疎かにはできません。「この時間があれば何ができるか?」その、適切な取捨選択が人生を方向づけます。

そうやって自分の時間を大切にする一方、知らず知らずのうちに、他人の時間を奪う行為を見逃している。そんな気づきを得た今日。ひるがえって自分の行いを反省するばかりでした。メールひとつとっても、ダラダラと長文を書いたり、理解に苦しむ表現を使ってみたり。メールでできることを端折って突然電話をかけてみたり、百歩譲って電話が必要だとしても、長電話して自己満足に浸ったりもあります。他者がそのとき何をしていたか?本を読んでいたかもしれない。寝てたかもしれない。ゆっくり友だちとお話ししていたかもしれない。クライアントを前にして大勝負をかけていたかもしれません。そこに土足で割って入る行為は罪に値すると思っています。

無為に不機嫌な態度をして、周りの気を遣わせる。これも他者の時間を奪う行為に他なりません。誰かに気を遣う間、あなたの仕事、集中を要する考えこと、書くこと、読むこと、意思決定することが惑わされます。私のように歳をとると、年下の同僚が増えて、いまだ年功序列の文化が根強い日本では、何もしなくても気を遣われます。その上、怒ってみたり、大きな声を出してみたり、または泣いてみたり、悲しんでみたり。人間だから感情が揺れること自体、否定されるものではありませんが、その行為によって他人の時間を強奪していいわけがありません。感情が不安定なとき、いかにしてその状態を乗り越えるのか?周囲の助けが必要なときも当然あり得ますが、まずは自分で対処する術は日ごろから身につけるべく勉強するなり努力をしなければなりません。

「時間」は、みなに平等に分け与えられた大切な資産。その資産をどのように使うかはその人次第です。誰がどのように時間を使うかを指示されたり、強要されたりする言われは全くありません。そして他人の時間を侵害する行為は無意識であっても許されることではなく、だからこそ意識して自分の行いを正していく必要があります。

そんな自省する早秋の夜更け。仕事終わりのルーチンは自分を躾けるための大切な時間です。また明日も、より良いタイムマネジメントができるように。日々是修行です。

久保大輔




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