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保育所は「意欲」を身につける場

子ども期に投資された10000円の投資効果は、
大人になって投資された同じ10000円の投資効果より高い

OECDが報告しています。年齢があがってから修復するには費用もかかって、効果も薄くなる可能性を指摘しました。確かに。自分の身に置き換えて考えるとそう思わざるをえません。

日本独特な詰込み式教育にどっぷりハマり、応用編になるとからっきしだった私。大学も暗記でなんとか滑り込みました。できるだけラクをして、必要に応じてがんばってその場しのぎ。この傾向は大人になっても続きました。

英国留学、そして今は早稲田大学で学んでいます。言うまでもなく安くない費用負担はけっこうしんどい。

冒頭の一文を書籍で読んだとき「若いときもっとちゃんとやってたら留学なんてしなくてよかったのかな?」なんて思ったり。周りを見わたしたら留学経験ありの人は当然少数派で、大多数は留学なんてしなくてもちゃんと仕事で成果を上げています。

人間のさまざまな能力は、最も獲得されやすい敏感な時期があって、それが子ども期に集中していることが分かっています。柔軟で可塑性が高い時期であり、だからこそ逆に、環境によって悪影響を受けやすい脆い時期でもあるわけです。子ども期は学びの基礎をつくる時期。この時期によりよい環境で育つと認知能力や社会性が高まり、その後の学習への取り組みに影響が出るらしい。

よりよい環境として見直されているのが「保育所」。私も保育所に通っていました。(親は決して口にしませんが)おそらく私の幼少期は世帯収入がそんなに高くなかったかもしれず、共働きで私の面倒をみる時間が相対的に少なかった親にとって、ソーシャルワークを自然と覚えつつ、学習前の準備ができたという点ですぐれたコミュニティでした。

貧困の子どもの成長にはやくから公的に介入し、福祉的な性格をもつ保育所は、「貧困の防波堤」といわれている。知能、学力、高校卒業率、大学進学率、20歳時点での勤労収入などが高く、犯罪率などネガティブな要素は低下するのは子ども期に保育所にいた人たちだ。

私は大人になるまで、学ぶことの楽しさや、そもそも学び方を含めて無知なところがあって、だからこそ?留学したり今も大学院で勉強したり、毎日本を読んだり、それこそけっこうなお金をかけて学んでいる。でもこの「意欲」はどこで培われたのかと考えれば、幼少期の「保育所」ではなかったか。最近そんな気がしている。

裕福ではなかったであろう時代に、けっして安くない保育料をねん出して保育所で学ばせてくれた両親に今さらながら感謝の念がわきあがってきました。期せずして、娘2人には保育所に通わせることができ、今さらながらホッとしている。もちろん未来は何が起きるか分からないので安心するのもおかしな話だが。

社会的相続(貧困の世代間連鎖)の大幅な減少が、普遍的で良質な保育施策の導入によって達成された可能性がいろんな研究によって示唆されている。待機児童問題による無認可保育園の登場は、単なる「量」の確保という疑問など問題の多い日本。見て見ぬふりをせず、当事者意識をもって立ち向かいたい。

スポーツで何ができるのか?スポーツが果たせる役割とは?「意欲」「希望」「努力」を伝える場が求められています。

久保大輔




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