「これ」を我慢すれば他に何ができるか?
よくないと分かっていてもやめられない。そんな悩みを持つ人は少なくありません。お酒を飲んだあとのラーメン。夜のソシャゲ、夜更かし、翌朝の二度寝。歩いていけるのに車で買い物…人によってはあれやこれや、挙げていけばいくらでも書きだせます。やってしまった後は後悔。自尊心は少しずつ削りとられていきます。自己効力感も減退しますね。
「欠乏」は処理能力を低下させると言われています。時間的、金銭的、体力的、能力的…いろんな欠乏があります。仕事、学業、余暇、そして睡眠や休養などの不足は自制心を奪う。仕事に余裕がなければ主体的な行動ができません。ついていくだけでやっとの学校では、予習や復習にあてる時間を取りづらいでしょう。精神的に余裕がなければ余暇を心の底から楽しめません。歴史的にも、睡眠不足が引き起こした事故は枚挙にいとまがありません。
太古の昔、人類は飢餓との戦いでした。今日の食い扶持を確保するために草原を駆け回り、野山で穀物を集め、そして小さな野ウサギを見つければ全力で捕獲に走ります。安定的な食を確保するために農耕をスタートさせるのはもう少し後のこと。それまではとにかく「欠乏」を満たすべく、将来の種まきよりも日々の自転車操業を優先させていました。いま、少しだけがまんすれば数日、数か月の空腹から脱せられるはず。それでも即物的な快楽を選んでしまうのは、今も昔も本質的には同じです。
貧困層の農民は除草をしないというデータがあります。何千年も昔から、農民は除草が作物の収穫高を向上させることを知っていました。ですが貧しい農民には余裕がありません。食事のこと、子どものこと、衣服のこと、借金返済。考えることがありすぎて脳の空き容量が「不足」 適切な思考が働かず、除草に限らずあらゆる基本を怠ってしまうようです。
冒頭の「わかっていてもやめられない」症候群。これも不足や欠乏がもたらしているのかもしれません。働けどローン返済でいっこうに豊かな暮らしができない。ストレスが暴飲暴食、睡眠や運動不足を引き起こすという理屈は想像に難くありません。でもこんなとき私はいつも心に唱える呪文があります。
これをしたら何をあきらめなければいけないか?
同じ時間とお金で何ができるか?
いったん立ち止まって深呼吸。トレードオフ思考を発動させます。がまんという自制心は、ちょっとした「痛み」を伴います。ですがトレードオフを怠ると大きな損失がまっていることは周知のとおり。肥満、体調不良、病気…体の疾患が負のスパイラルを招き、さらなる欠乏を増幅させるのです。
深夜のラーメンを我慢すれば、そのお金と時間で何ができるか?夜更かしする時間を睡眠にあてれば明日何がもたらされるか?近所への買い物は歩く、という習慣を身につければどんな効果がもたらされるか?運動、睡眠、食事をいかに合理的にトレードオフできるか。知恵が試されていると考えます。
今日は久しぶりに京都へ帰省。週末は家族とゆっくりします。この「余暇」を楽しむために、数週間前からコツコツと毎日のやるべきことに+5%を課してきました。そのためにがまんした時間は、今週末を心の底から楽しむための布石。明日と明後日は思いっきり布石を回収したいと思います。
久保大輔
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