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楽しむ自由、迷う自由、失敗する自由

私には娘が二人います。お姉ちゃんはもう大人。小さいころよりちょっと素気なくなりました。恥じらいを表現するようにもなって無邪気さが消えたと同時に、成長を感じたりもします。下の子はとても甘えん坊。ですが保育園ではリーダーシップを発揮して、みんなの手本になるような頼もしさがあるそうです。にわかに信じがたいことですが、お姉ちゃんのマネをしてちょっぴり背伸びしているのかもしれません。

子どもたちに無関心。よく妻からはそんなことを言われます。確かに、どんな習い事をしてもいいと思っているし、勉強が好きならすればいいし、したいと思うこと、楽しいと思うことをとことんやってほしいという願いが「無関心」のように映るのかも。関心がないわけじゃないのですが、とにかく「自由」にしてほしい。

楽しむ自由、迷う自由、失敗する自由。常に自分で決める。選ぶ。自分の責任において楽しむ。スポーツでも習い事でも、いろんなやり直しの機会を何度でも与えたい。学校、習い事、発表会。何かを終えた後は「楽しかった?」と聞いてあげたい。楽しくなければ成長しないと思うし、むやみにハードルを上げたくありません。とにかく自由に、夢中になれることを夢中に、嫌になったらやめて他のこと、興味関心の赴くままに取り組んでほしい。

なぜこんなことを書くかというと、実は今日、「ジェンダー」について考えさせられたから。勉強不足なので適当なことは言えませんが、トランスジェンダーを乗り越えて、結婚をして子どもをもつ方に出会いました。人知れず心と体の性の不一致に悩む人は思いのほか多い。我が子が同じ境遇にいたとしたらどんな言葉をかけますか?そう問われて「もちろん驚くとは思うけど好きにさせてあげたい」と答えました。自分の人生なので、自分で決めて、選んで、自分の責任において楽しんで生きてほしい。素直な感想でした。

私には「こうあるべき」というものがあまりありません。そのときどきでめちゃくちゃ変わりますし、見る人から見ると「自分がない」なんて思われるかも知れません。なので我が子に対しても「こうあるべき」なんて皆無。子どもの未来を育てたい。

失敗させないために親がいるわけではなく、成長させるために親が存在します。すぐに手助けしない。叱るという干渉をしない。100回のお説教より、一度の痛恨の経験が子どもを伸ばすと思う。親の目や結果ばかり気にしてトライしないなんてもったいない。まずは考えさせて、そして寄り添うこと。できばえよりも、子どもが自分で考えたかどうか。なにごともお膳立てしない、自分で気づく機会を与えたい。

次に子どもたちに会えるのは年末。成長が楽しみです。

久保大輔




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