僕は「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれなかった

大学院卒、27歳、職業ランドスケープデザイン、年収500万。客観的にみれば、そこそこの人生だと思う。贅沢な悩みかもしれない。でも、僕は、「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれなかった。

「あのランドスケープ・アーキテクト」は、しこたま働き、しこたま夢を語り、しこたま酒を飲む。前時代的なマッチョイズムだと言ってしまえばそれまでかもしれないが、僕らはたしかにそれに憧れた。石川初、長谷川浩己、三谷徹、山崎亮(敬称略、深い意味はない)彼らは最近の学生にとって、スターだ。以下は建築家の言葉だが、「あのランドスケープ・アーキテクト」も同じ道を辿った超人たちだろう。

僕は、超人になれなかった。一年目は、そこそこ働き、同期と夢を語った。でも、二年目の今は、もう働きたくないし、夢と言っても、やれあれが欲しい、どこそこに行きたい、なんてことしか口から出ない。まだ27歳じゃないかと思われるかもしれないが、この先、資格を取り、ランドスケープ・アーキテクトを名乗る権利は得られても、「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれないのだ。 

僕は今、建設コンサルタント会社で、公園設計を専門として働いている。大学からランドスケープを学び、ランドスケープの王道である(と個人的に思っている)公園の設計を職業にした。一年目、僕はこれからランドスケープ業界でめきめき活躍していくと思っていた。夜遅くまで働き、上司に怒られながら、それでも毎日公園のことを考えていられるのが楽しかった。二年目になり、多少仕事を進められるようになってきたけど、これを続けていった先に憧れていた場所はないと、上司を見ていて感じる。これからも、これまでが再生産されていくだけだろう。大学時代の同期は、組織設計事務所やゼネコンで働き、これからのランドスケープ業界を背負う存在になる。彼らをずっと隣で見てきた僕はそう思う。彼らとは同じ場所で6年間学び、ランドスケープを語り合った。僕もそれに続いていくと思ってた。でも今の僕はどうだ。仕事を終えて家に帰り、発泡酒を一本だけ飲んで寝る。休みの日はなんとなく友達や彼女と遊ぶ。学生時代に書いたノートやメモは本棚に積み重なっているけど、働き始めてから書いたメモはノート2冊ほど。日々の業務に追われているが、成長している実感はまるでない。学生時代の夢をしがんでいるだけだ。

いっそのこともっと小さくて刺激的(にみえる)アトリエや造園会社に転職してみたほうがいいかもしれないとも思いつつ、この会社にいれば、そこそこのやりがいとそこそこの収入がある程度保証されているような気がして、踏み出せていない。なにより、この場所で結果をださなければどこにいっても同じじゃないか。

超人には、「あのランドスケープ・アーキテクト」には、なれないということを受け入れて、僕はこれからもランドスケープで飯を食っていく。「全員が三谷徹なら、この業界は成立しないよ」という大学時代に聞いた言葉を、お守りとして、毒薬として握りしめながら、この生活を続けていく。

レモンサワー2杯で吐きそうだ。

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