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「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれないことを受け入れられてきた

4年前、20代後半で感じた、一流の「あのランドスケープ・アーキテクト」になれないのにこれからもランドスケープ業界で働いていく絶望を吐き出したことがあった。今思うとあれは完全にクォーターライフクライシスで、現在も継続中である。とはいえ、この数年で少しずつその絶望を受け入れられるようになってきたので、30代前半のできごとと、今の考えを記録しておこうと思う。絶望していることに変わりはないが、時間とともに腹を括れてきた気がする。 建設コンサルタント会社の退職数年前に、新卒から約5年

    • 僕は「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれなかった

      大学院卒、27歳、職業ランドスケープデザイン、年収500万。客観的にみれば、そこそこの人生だと思う。贅沢な悩みかもしれない。でも、僕は、「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれなかった。 「あのランドスケープ・アーキテクト」は、しこたま働き、しこたま夢を語り、しこたま酒を飲む。前時代的なマッチョイズムだと言ってしまえばそれまでかもしれないが、僕らはたしかにそれに憧れた。石川初、長谷川浩己、三谷徹、山崎亮(敬称略、深い意味はない)彼らは最近の学生にとって、スターだ。以下は

    「あのランドスケープ・アーキテクト」にはなれないことを受け入れられてきた

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