スクリーンショット_2018-10-10_0

踊りたくなるファンキーな魔法ー邂逅の日のホワイト盤2枚を手がかりに(20181010)

邂逅の日のCDはたいてい突発的につくられる。手に入らなければそのまま終わりになることが多い。だからこの文章は、今自分が聴くことができる音源と記憶で書こうと思う。

彼は、1990年代からテクノ系を中心に音源制作やライブ、DJ、そしてVJをしてきた。お客さんとしても人一倍楽しむ人で、難波ロケッツや祇園マッシュルームのイベントでよく一緒になり、デイヴ・クラークのRed2やジェフ・ミルズのChanges of Lifeなんかに歓声をあげていた。ごく個人的な話だが、私はその頃から他人の音楽や選曲を好きになる上での基準があり、それを超えた人への信頼感がとても強かった。彼もその基準を越える人の一人だった。似たような遊び場にいたのだから、推して知るべしなのかもしれない。でもそれだけではないとも思う。

彼のCDは見つけたら買うようにしている。でも冒頭のような理由で、手元にあるのは2017年11月発売の「FOR M3」と2018年4月発売の「official bootleg vol.1」の2枚だけだ。恐らく最新である写楽/邂逅の音源は手に入れられていない(ちなみにこれらの一部はSoundcloudでも聞けるが、どこかが変わっている気がする)。そういえば2004年頃の音源もあるが、現在の内容とはかなり違うのでこのテキストでは割愛する。

「FOR M3」は、5曲入りのミニアルバムだ。アシッドとトライバルが融合したM1、スイングしたフレーズに細かなギミックが利いたM2、クラフトワークのような手触りの旋律にリピートのボイスが不思議な印象を残すM3、浮遊感あるシンセと鉄道のような疾走感のバランスが気持ちよいM4、聴く人が聴けばニヤリとするX-101ネタのM5。揺るぎない個性がある一方、幅広い趣向が各曲から感じられる。そしてなぜ自分がクラブではなく狭い自室(もしくは聞いているどこか)にいるのかと思う。
例えば1曲目の「SUSHING GIRL U WANT Ya!」。初めて聴いた時に「まず絶対フロアで聴くヤツでしょ!」といい意味で後悔した。なぜフロアで聴きたいかと言えば、それはもう“踊りたくなるから”でしかない。そう思うのは、どのジャンルであってもファンキーさがある時だ。ゴリゴリに固くてエッジが利いたミニマルテクノでも同じ。それはつくる人のファンキーさが繰り出す「曲に血が通う魔法」(ある層には基礎学力的に身についている)の結果だと思っている。
このファンキーさにはサブ要素も付随しており、この曲の場合はアシッドの側面が感じられる。ザ・グッドメン風のトライバル感ある跳ねたリズムが添える明るさもある。彼の直球の好みは、レーベルであればschatraxやAXISなどもう少しハードミニマル系だろうから、ここが(サポートをやっている)アシッド田宮三四郎とのリンク点になっているのかもしれない。
M2以降も規則正しいアタックや引っかかりのあるブレイクビーツ、耳に入ってくる音なのになぜかXYZ軸のある空間を感じさせるビートと多様な要素が散りばめられているが、すべてにちゃんとフロアで踊って楽しんできた人のセンスが感じられる。

もう一枚の「official bootleg vol.1」は、邂逅の日 feat. DieTr@xによるライブ盤だ。「FOR M3」に比べると、邂逅の日がマッシュアップメインの個人ユニットとして始められたものであるとより伝わりやすい内容だ。元から大ネタをいかにセンスよく一曲にまとめるかが勝負のマッシュアップと一つの流れをつくりあげるDJ、その両方の要素があるが、DieTr@xが参加することで偶然性が加わりさらに面白い仕上がりになっている。
スタートのアシッド田宮三四郎「I need DOPE I need HOPE」から写楽/邂逅「D-T-V-G」を経て「dj manhattan mutenation」までの3曲は、それぞれが時間差で現れ、豊かな動きを見せる。まるで数本の面から一つの模様がつくり出されるフィッシュボーンのようだ。そして13分頃になると「X BOUNCEEE GIRL 101」に重なる「WCEX」とomodaka「競艇甚句」のパートへと移行していく。しかもメインの流れには、冒頭の「Dang Dang気になる」や後半のクリスチャン・ヴォーゲル「don't take more」のような既存曲がアクセントとしてトッピングされる。つまり約17分のライブの中で、超ロングミックスとショートミックスの構造が二重、三重に展開しているのだ。
ボイス担当のモクタールの低音ボイスとΣpriteのハイトーンボイスは両極端ながら親和性が高く、さまざまな部分で圧倒的な威力を見せつける。実際に2人が参加したライブでは、アクセントのサンプリングとリアルなボイスが交互に現れる、より複雑でアッパーな仕上がりになっていた。こうした相乗効果が生まれるのは、二人の声の個性やリズム感が、邂逅の日の作るファンキーさやグルーヴときちんと共鳴しているからだろう。
だからこそかっこいいのだ。これを聴いて踊りたくならないなんて嘘だと思う。

改めて曲を追っていくと、曲の組み立てやミックス、ボイスのキャスティングはもちろんワード選びやネーミングのうまさを実感させられる。一つの曲のために最適な才能を見つけ出すことに始まり、リピートさせることで別の印象に変化させる言葉遊びのギミック、単語の並びや見た目にもこだわったネーミングとすべてに神経が行き届いているのだ。この上なくファンキーな皮を被った奥に隠された、この上ない繊細さ。これこそが個性の一部分を担っているのではないかと思う。

こうして書き綴ってきたことは、人によってはどうでもいい話かもしれない。これだけ踊れるダンスミュージックなのだから、ただひたすらに踊って楽しいと感じられるだけで充分だ。でも邂逅の日の音源を聞いていると、その奥に潜む「踊りたくなる」不思議な魔法の秘密がどこにあるのか知りたくなってしまう。だから私はあれこれと考える。もし同じように知りたいという人がいたらと思って、その人に伝えたいと思って書いている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?