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世界はつながっているー 弱い立場に追いやられている人たちほど、社会や経済の仕組みを知り、仲間と手を合わせて立ち向かい、そのシステムを越えるものをつくる必要がある ⑥

ネオリベラリズムと、公共の領域からの合法的な盗みである私営化・私有化

Capitalism(キャピタリズム/資本主義)を表すのによく使われる表現は、「個人や企業が自分たちの利益追及を目的として、プロパティーを所有・コントロールし、需要と供給という規律に答える形で、自由市場で価格が設定される。資本主義の本質的な特徴は、利益を追求するという動機」ですが、これは現在の仕組を説明するのに不十分です。
この説明は、さまざまな形で数千年続いている売買を行うシンプルなビジネス(例/家族経営の青果店や魚屋等)から、資本主義の特異な違いを説明することができていません。
上記だと、売手と買手の力関係は対等のようにみえますが、現在では、多くの分野でカルテルや独占が起きており、売手の力がずっと大きい状態です。
また、今回は深くは話さないのですが、Yanis Varoufakis(ヤニス・ヴァルファキス)さんが「Techno Feudalism (テクノ・フューダリズム/テクノ封建制)」でいっているように、大きなテクノロジー企業は、利益を追い求めるために、私たちのオンライン上での言動を収集し、(存在しない、かつ不必要な、ときによっては有害な)欲望を新たに作り出し私たちに(不必要で社会にも個人にもよいことをもたらさない)新たなモノやサービスを売りつける仕組(アルゴリズム)もできています
例えば、(作り出された)流行で、人気のあるインフルエンサーが唇を厚くするよう整形を行ったりすることで、その流行に沿わないといけない、自分の顔は間違っているのでは、という不安をオンライン上の広告やポスティングで煽り、不必要な手術を行う人を増やすことで、利潤を出しているのはテクノロジー企業(広告収入)とごく一部の人々です。
不安を煽ることで精神的にまいる人もいるかもしれないし、このサービスは社会や多くの人々にとって、なんのいいことももたらしません。
悪ければ、手術がうまくいかず心身が病気になったりする可能性もあります。
100年前ぐらいだと、庶民たちにとっては、自分たちが生きるのに本当に必要なもの(必要最小限の衣類や食料等)を買うのが精一杯のことだったかもしれませんが、現在は、私たちは、「消費者」としてのみ存在し、また、私たち人間自身が「商品化」され消費される時代となっていることにも気づいておく必要があります。
でも、気づいて、自分が「消費者」としてのみ存在するのではなく、市民として存在し、「商品化」されることを拒否することを選択することも不可能ではありません。
そのためには、まず現在の仕組に気づく必要があります。

これらの少数のテクノロジー企業は、独占的なプラットフォームをつくり、普通の人たちが作ったモノやサービスをそのプラットフォーム上で売買する際に大きな課金を行い、テクノロジー企業は何もせず(プラットフォームの運営にはほぼ労力はかからないし、社会に役立つ何かを生み出しているわけでもない)大きな利益を出しつつ、税金はほぼ払っていません。
独占状態なので、このプラットフォームを離れて別の場所で同じように売り買いをすることはほぼ不可能です。
この仕組は、封建時代の大名や領主が農民に大きな税金を課していたようなもの(=領主たちは、本来なら公共の土地であるべきものを、自分たちの祖先がどこかで私有・独占しただけで、実際に社会に役立つものを生み出す労働をせずに、農民から合法的に盗んでいるだけー法律や決まりを作るのは大名や領主)だとしています。
これは、後述する「Rent(レント/賃貸料)ː働かずに(=何もせずに)得た収入」と同じ仕組です。

George Monbiot(ジョージ・モンビオット)さんは、新たなより現状に沿った資本主義の説明として、以下を挙げています。

「資本主義は、植民地の略奪に基づいた経済の仕組。絶えず変動し、自己消耗する辺境・未開拓分野で運営している。国家と強力な私的な利益が暴力や武力の脅しを使うことにより支えられた法律を使って、共有資源を排他的な財産に変え、自然や労働、お金を蓄積可能な商品に変換する」

で説明したように、イギリスやフランス、スペインのような旧植民地宗主国は、同じレベルの武力を持っていなかったアフリカやアジア、南アメリカ等の原住民を殺したり抑圧して、資源や土地を奪いとり、砂糖やコットン、ゴムといった植民地宗主国に利益をもたらす資源を奪い、それらを栽培・加工する労働をただ同然で原住民に行わせることで、自国の経済を大きく発展させました。
「共有資源を排他的な財産に変える」と聞くと分かりにくいかもしれませんが、それまでは「公共」だった土地(=誰もが無料で使うことができ、コミュニティ―や自治体が修繕や改善をしていた)やさまざまなものの「私有化」を始め、そこにRent(レント/賃貸料)を課していく仕組を指しています。

例えば、長年の間、川を渡る船は自由に行き来できていたところに、川の途中に位置する川の両岸の屋敷や土地を買った権力者が、その川に関所を設け、「使用料」を払わないとそこを通過させることを許さない、といった決まりを作ります。
この「使用料」は、この土地を所有する権力者によって決められ、ここには需要と供給に基づいた価格の仕組は存在しません
また、資本主義の仕組は、何か新しく社会に役立つよいものが生み出されて、そこから利益が出るはずですが、何一つ生み出されておらず、「使用料」を払っているからといって、その川にある橋の状態や、川岸の状態を保つ等の必要なサービスが行われるわけでもありません。
そのコミュニティーにとっては、失ったことだけで、いいことは一つもありません
これは、ネオリベラリズムでよく起こる、公共の場所やもの・サービス等が私営化されることとつながっています。
このRent(レント/賃貸料)の概念は、「働かずに(=何もせずに)得た収入」です。

このレントは、さまざまな分野に適用され、もともとは大衆の要望によって公共で行われていたもの(国民との合意で国民から徴収した税金を使う)が、私有化されます。
例えば病院、学校、ソーシャル・ケア、水道、公共交通機関、公園、電力やガスのネットワークや公共の土地(森や緑の空間)、図書館、収容所、地方自治体の建物等です。
日本でも国営企業の私有化は大きく行われましたが、イギリスの場合は、サッチャー元首相によって、強いネオリベラリズムのイデオロギーが適用され、水道も、小学校の校庭といったものまで、私有化のために売り払われました。
ジョージさんは、(社会やコミュニティーに必要で)共通の資源を、排他的な所有権にしている、としており、「私営化は、公共の領域からの合法化された盗み」であると明確に述べています。

ネオリベラリズムでよく聞く神話は、「利益を欲深く追い求める個人や企業は、政府や地方自治体よりもより良いサービスを生み出す」ですが、そうなっていないことは、とても明らかです。
公共サービスを私有化して起こるのは、「サービスへのアクセスがとても難しくなる」「サービスの質がとても落ちる」の二つです。
これは、「利益を欲深く追い求める個人や企業」という前提からも明らかです。
利益を欲深く追い求める個人や企業にとって大切なのは、利益を蓄積することだけで、社会や普通の人々の生活や人生をよくするためではありません。
そのやり方は大きく分けて二つです。

サービス料金を高くする、手を抜く、お金を別の場所に移動する(=サービスを行うことに必要なお金を、社長のボーナスや株主へ渡す、不必要な贅沢品を会社に買う等)、サービスに必要な施設や道具等に投資をしない

利益が出る部分のみをキープし、利益にならない部分は政府に戻す(=国民の税金で賄われる)(例/心身に複雑なニーズがある患者のケアは放棄し、政府が面倒を見るしかないようにする)

ヨーロッパの中でもイギリスの場合は極端で、かつアメリカともかなり似ていますが、日本の場合もイギリスほど極端でなくても、大きく違わないと思います。

公共サービスの精神は、「ドル箱/金の成る木」としての新しい役割を反映した名前となります。
例えば、「病院」は「ケア・ビジネス」となり、「大学」は「知識ビジネス」、大学の人文学科は役に立たない学科として軽視され「経済として生産的」だとみなされたエンジニアリングや科学がもてはやされます。
ただ、もてはやされるといっても、大学が公立であったときと比べると、予算は全く足りていません。
この結果は、裕福な人々はますます裕福になり、公共のものだった場所やサービスはどんどんみすぼらしくなり、機能しなくなります

最も広範に広がったレントは、Interest(インタレスト/利子・利息・金利)です。
これは、誰もが必要な「お金」にアクセスするために必要な手数料です。
ネオリベラリズムのもとでは、このインタレストが広範囲にわたり深く浸透し、これを「Financialisation(ファイナンシャラィゼィション)」とよんでいます。
結局は、未来からの借金で成り立っているような危うい仕組なのですが、ファイナンス業界はどんどん大きくなり、既に資本主義の仕組から飛び出て、独立した仕組になっている(=今までの資本主義は終わった)とする経済専門家もいます。
なぜなら、資本主義だと富の蓄積が基本ですが、ファイナンス業界は、富の蓄積はないところにお金が大きくファイナンス業界の中で循環していくからです。
これは、また別の機会に。

例えば、イギリスでの大学の授業料は、長い間無料でしたが、保守党サッチャー元首相の後の労働党のブレア元首相時代にもネオリベラリズムの経済政策は続けられ、授業料をどんどん上げてきました。
以前は政府からの奨学金でしたが、現在は私営ローン会社で、利子がつくために、多くの卒業生が大きくなる大学授業料ローンに苦しんで卒業後の職業の選択を狭めたり、また、貧しい家庭出身であれば、どんなに賢くても大学へ行くことを諦めざるを得ない場合もある状況になっています。
社会にとっても個人にとっても非常によくない方向へと向かい、得をしているのは、ほんの一握りの元々の裕福層のみです。
貧しい人々はさらに貧しくなり、ごく一握りの裕福層はさらに裕福になります。
裕福層はお金へのコントロールをますます増やし、このインタレスト(利子)が貧しい層から富裕層へと流れるこの仕組は、富の不均衡を作り出す原因となっています。

このネオリベラル下では、「Investment(インヴェストメント/投資)」という言葉が、一般の人々(=裕福層から搾取される社会の大多数の人々)をガスライトするために使われることがよくあります。

投資の本来の意味は以下です。

以前は存在しなかった、生産的で社会的に価値のあるものやサービスをつくりだす。

でも、このネオリベラル下では、以下に変化します。

既に存在する価値のあるものをキャプチャーし、しぼりとる
例/プライヴェート・エクィティー企業は、すでに存在する建物を買い、なんの改善も行わず、賃貸料やサービス料を大きく上げて利益を得る。
※これらのエクィティー企業はほぼモノポリー状態で、経済が悪くなり職を失った人や収入が少なくなって家のローンを払うことが難しくなった人々から、たたき売りのようにその地域の多くの家を安く買い取る→ その周辺では、家を買う・借りるには、その企業が所有する家しかなく、どんなに高くても、ほかに選択肢がない。

もちろん、後者は「投資」ではなく、「extraction(エクストラクション/抽出)」であり、本当に社会に役立つことをして稼いだ普通の人々のお金(例/看護師やドライバーやお店で働く人等)が、このレントの仕組に吸い込まれて、富裕層へとますますお金が流れています。

ただ、誰しも、自分は「Enterpreneur(エンタープリナー/(自分の進取的なアイディアや手法で富や権力を成した)企業家)」で、既にもっている(家族や先祖から引き継いだ)土地やものから利益を得ているRentier(レンティエー/不労所得生活者)とは見られたくありません。
典型的な例は、アメリカの元大統領トランプさんですが、彼は非常に裕福な家族からの資本で暮らしており、トランプさんが何もしなければ、もっと大きな富を成すことができた(ビジネスの手腕がなく、ビジネスで大きな失敗を何度も繰り返しているから)と多くの専門家が合意しています。
それでも、彼は、自分が厳しい競争を勝ち抜き、自分の力だけで財を成したと主張し続け、それを信じ込んでいる人々もたくさんいます。

ネオリベラリズムは、矛盾しているもので、厳しい競争を引き起こし、成功した人・企業だけが生き残る、といった見かけを宣伝しがちですが、実際は、既に土地や屋敷や財産等をもっている既存特益の人々のみに富が集中し続ける仕組で、「競争」というのは、まやかしです。
また、公共サービス(病院、ケア・サービス、水道、空港、銀行、鉄道等)は完全に崩壊することを許すわけにはいかないので、「投資する人・企業(=何もせず引き継いだ冨を投資している人々が大部分)」は国家によって救済されるということになります。
「国家によって救済」というのは、実際に社会に役に立つ価値ある仕事をして稼いだ普通の人々のお金から徴収している税金を充てるということです。
また、ギャンブルのような扱いでこれらのサービスを傾かせたとき(例/銀行)、職を失うのも、これらの普通の人々で、実際にこの危機を引き起こした人々は全く責任もとらず、何も失わないどころか、多くは、この危機を利用してさらに富を蓄積します。
ここからも、普通の人々や貧しい人々が、既存特益のある裕福層の間違いのツケを払っている仕組みは明らかです。

このような仕組が続いていいわけはありません。
ただ繰り返すように、これらのたまたま裕福層に生まれて既得損益を享受している人々を憎むことは、的外れです。

私たちは、このシステムを変えるよう、力を合わせて動かなくてはなりません

ジョージさんは、「私的な十分さ、公共の贅沢」という表現を使っていますが、一握りりの人々が巨大ヨットや巨大ジェットを私有してほかの人々や資源を犠牲にして環境破壊を進め、残りの大多数の地球の人々を貧しく必要な住む場所や食べるものがない状態にするのではなく、病院や教育、公共サービスや道路・公園といった場所は誰もが簡単にアクセスでき、高い水準で保ち、個人でもつのは、生きるのに十分な衣食住があるという状態を目指してもいいのでは、としていました。

現在の状況がいつまでも変わらないわけではありません。
最近では、バングラデシュの政治で20年以上にわたって統治を行い、反対派を暴力的に弾圧してきた政府のリーダーは、国民たちのプロテストにより、軍隊からの不満も高まり辞任・国外逃亡となりました。
長年、開かれた民主主義を求めてたたかってきた人たちも、この変化がこんなに急に起こるとは予測していませんでした。
多くの人々が既存特益の体制をさまざまな方向から揺さぶり続ければ、どんなに強固にみえていても、いつかは滅びます。

私たちに必要なのは、誰もが仕組に気づき、多くの人々にとってよい社会をつくるために、既存特益の仕組・体制をゆさぶることを根気強く続けていくことです。
たとえ自分自身がその変化を見れないとしても、未来に生きる人々のためになることを信じて。

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