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仕事をジブンゴトにするには

僕は今でこそ新規事業開発コンサルティングを行う会社の社長とかしちゃってますが、前職では普通に市役所の職員をやってました(しかも20年間)。

ずっと経済系の職場というわけでもなく、区役所の固定資産税係からはじまり、福祉や都市計画など様々な部門を渡り歩きました。
本当にごく普通の公務員としてのキャリアでしたが、良い経験をたくさんしました。
中でも一番自分を育ててくれたなと思うのは、当時大阪市でも最も過酷な職場といわれた福祉局での経験です。

その時僕が転属した福祉局(の庶務課)のなにがすごかったかというと、異動してきた職員に対するケアがほとんどなかったこと。
引継ぎも簡単でしたが、マネジャーからのサポートがほぼなく、しかも同時に係員の3/4が入れ替わっていて同僚にも聞けないという中での完全放任。その状態で迫りくる様々な仕事と格闘していく…という感じでした。
中々つらかったのですが「つらさ自慢」をしたいわけではないのです。

お伝えしたいのは、右も左もわからない若造のときに、「マイクロマネジメント」とは真逆のような仕事の任され方をしたことが後々役に立っているということです。

もちろん当時は、上司に不満を抱いてましたよ。
「あの係長は僕らが何やってるとか全然興味もないし知らないよね?」と思ってましたし(実際に知らなかったし興味もなかったと今でも思いますが)、同僚たちと愚痴を言いあいながら深夜から飲むような日々。
終電なくなってから飲みに行くようなこともざらだったなあ
(タクシー代はもちろん自分持ちですよ)。

でも、当時の「自分しかその仕事を知らない」という環境は、否応なくその仕事を「ジブンゴト」にしてくれました

自分の後ろには誰もバックアップがいないという緊張感。

思い入れや使命感をもって仕事をするマインドセット、障壁があってもそれを乗り越えたり迂回したりするためにあらゆる工夫をひねり出す思考回路。

そういったものはあの時の「仕事をジブンゴトにする」経験があったから身に着けることができたんだなと今では理解できます。

もちろん当時の上司にそんな深慮があったわけではなくてただの偶然だと思います(悪い人ではなかったけど)し、若手を放っておくことがよいことだと思っているわけでももちろんないです。
僕はたまたまそのやり方がフィットしたけど、皆が皆そんなうまくいくわけもないし、むしろ絶対やっちゃだめだと思ってます。(なので、若手の育成のためにはしっかりとケアをするべきだし「ちゃんと気にかけている」ことを伝えることやコミュニケーションはとても重要だと思っています。)

僕がそういう「完全自由放任」みたいな仕事の覚え方をしていたころって今から20年も前の話です。
今では、よいマネジメントの仕方を学ぶ機会も増えていますが、だからこそ「その仕事をジブンゴトにできる力」をどうやってメンバーにもってもらうのか、そこはすごく大事だなと改めて思うのです。

いろいろな本を読むとミッション、ビジョン、バリューが大事だとか、お互いの弱さを見せ合い高めあえる関係性が大事だとか様々な情報があふれているけど、それを読んでうまく再現できるのか、マネをしてうまくいくのか、時々疑問に思うんです。

人の心も、人が生きている活動のシーンも、それぞれに千差万別ですから、その前提を頭に入れたうえで、その時々でのよりよい解を常に見つけ続けようとする意思こそが人を成長させていく原動力もしれない…と、駆け出しのころの自分を振り返りながら思います。

答えはないけど、一緒に働く仲間には、自分の過去の経験やその時思ったこと、今望む相手への期待を伝えたりといった地道なコミュニケーションを続けながらお互いの成長を楽しんでいけたらいいなあと。

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