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祈り

祈りとは何だろう。クリスチャンであれば、祈りは私達の生活の一部であり、友人、家族、仕事、世界中の社会問題など、何でも祈ることができる。病気の人がいればその癒しを祈る。それなのに、自分の乳ガンについて、特に癒しについては祈ることができないでいた。

「これは自分の過去や心の罪の代償か」
「私を精神的に成長させるための試練か」
「辛い時に死にたいと思ったことが叶えられてしまったのか」
「もし癒しを祈っても癒されなかったら、自分も神様も辱しめることになる。」様々な思いが頭をよぎる。


しかし、聖書には癒しについて実に沢山書かれている。つい先月の教会の礼拝でも癒しに関するメッセージだった。


百人隊長がしもべの癒しを求め、イエスのところに来る。彼はイエスがことばで命じてくだされば、わざわざしもべの所まで来てくださらなくても癒されると言う。


[マタイの福音書 8:13]

それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒やされた。


であれば、私だって乳ガンの癒しを祈ってみたらどうか。教会には、非公開の祈りのグループがあり、常に教会員やその家族のメンバーについて祈っている。そのとき、今までの不安が消えていき、希望に満ち溢れた気持ちになった。祈りのグループに乳ガンであることを告白し、MRIの検査で癒されていることを祈ってくれるようお願いした。すると直ぐに沢山の人が反応し、祈りや励ましのメッセージを送ってくれた。


また、バイブルスタディグループの講師は、私のために時間を作り、共にお祈りしてくれた。全ての不安、恐れを涙ながらに注ぎだし、彼女も熱心に祈ってくれた。すると、囁くように "I healed you" (私はあなたを癒した)という声が聞こえた。私達は暫く放心状態になり、ただ神の平安に包まれていた。

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