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忘れるということ。

たしか,前に会ったのは去年の八月。そのときには,まだ単語を一つ二つ紡ぐのがやっとだったはずの二歳の甥っ子が,久しぶりに会ったら,だいぶん達者にお話をするようになっていました。

会話というよりは,じぶんの思いを伝えるのに一所懸命だったり,となりで誰かが話すのをまねするような段階。けれどもこの四ヶ月のあいだ,彼に何があったのか,と思うほどの成長ぶりに,おどろきを隠せませんでした。

と同時に,じぶんはこんなふうに,周囲の全部を,全身で,おどろくほどの速さで吸収することはもうないのだろうと思うと,なにかほんのりと哀しい気持ちになったりも。

もしかすると彼もそうなのかもしれませんが,こちらは憶えたつもりになっても,すぐにどこかに飛んでいってしまって,苛立ってみたり,初老だからね,ととぼけてみたりの始末。それだけでなく何を忘れたかも忘れてしまったり。そこまでは言い過ぎかもしれませんが,もうすでに衰えを実感する機会が,年々増えているような気がするのです。

でもそれは,もしかすると本を読むとか,映画を見るとかいった場合,必ずしも哀しい結果ばかりを生むわけではないのかも。なぜなら,忘れる,ということは,以前に読んだり見たりしたはずの作品さえも,もう一度,一回目の気持ちで味わうことができるから。

なんて。これって,若さ,それも途方もない若さを目の前にした強がり? つまりは負け惜しみ? そういえなくもないですが,今はそんなことを考えながら,また一冊の本を手にとり,新鮮な気持ちで一ページ目をめくるのです。さがすことは忘れずに。

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