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サヨナラ どうもありがとう サヨナラ サヨナラ どうかお元気で

前回の投稿の最後に書いた 10年ぐらいずっと後悔してる話 を忘れるまえに書いておきます。

2010年頃、時系列でいうとKANA-BOONがみんなに見つかる前。

だけど、ほんのすこしだけ見つかりだしたころの話。

ギャーギャーズがいて、花柄ランタンの村上と代代代の敏腕?スタッフの杉本がまだMOTHERをやっていて、AOI MOMENTはまだ桜草という名前で、そんなころの話。

高校生の頃から出てくれてた子たちが、オリジナル曲を作り出して、

僕の今までのつながりと、地元の若いバンド達のつながりが交わりだして、

なんだか小さいなシーンみたいなものが出来てきた。

「いま、じぶんのまわりで何か面白いことがおきはじめてる」

ライブハウスで働きだしてから、はじめての実感。

そんな勘違いをさせてくれるには十分すぎる、楽しい日々。

何よりも、地元バンドのライブを楽しみに遊びに来くれる常連のお客さんたち。

バンドたちが友達をかき集めただけではなくて、ちゃんと「お客さんが来てくれる」という当たり前。

いま思うとたいしたことではないかもしれないけど、誰にも相手もしてもらえず、鼻で笑われつづけた当時のぼくらからすれば、この"当たり前"はすごいことでした。

それは外からみれば身内ノリに見えたバンドシーンだったかもしれないけど、バンドシーンと呼べる芽が、この場所に芽吹きだした。

この小さな芽をなんとか大きくしたい!形にしたい!

そんなことばかり当時は考えてた気がします。

そんな頃に東京からよく来てくれた大好きなツアーバンドがいました。

VIVAROSSAというバンド。

2015年(たぶん)に解散しちゃったんですが。

当時、多い時で月いち、少ない時期でも三ヶ月に1回ぐらいはライブしに来てくれてたかなあ。

あんまり出演してくれない地元バンドよりも出てもらってました。

人も音楽もとにかく大好きでした。

好きなものを説明しようとしても、"好きだから"以上の言葉が見つからないもんです。

とにかく大好きでした。

さて、そんな大好きなバンドと巡り合ってしまたので

「VIVAROSSAを大阪で人気者にするのは俺の使命だ!」

ぐらいに、ぼくも勝手にひとりで盛り上がっちゃってて。

いち地方のライブハウスの人間に何ができるねん?分をわきまえろ!と今なら思っちゃいますが、

地元にはじめてお客さんが集まるシーン的なものができた時期と重なるように、東京から来てくれたバンドに一目ぼれしちゃった。

これは、じぶんに何かできるかもしれない!と。

まあ、勘違いですよね。

ライブハウスの人間にできることってイベントを企画することぐらいしかできないのですが、毎回、VIVAROSSAが出演してくれてた日はお客さんがけっこう入ってた気がします。

KANA-BOONがなんとなくうまくいってて (とはいえ、メジャーデビューなんて夢のまた夢なんて頃ですが)

なんとなくお客さんが集まる土壌もできてきて

ストレートに書いちゃいますけど、このときのぼくはたぶん

調子にのってました。

何も結果も出せてないくせに。

鼻が5㎝ぐらい伸びてたかもしれません。

で、その鼻はいきなりへし折られることになります。

お客さんがいるイベントに、VIVAROSSAにいつも出演してもらってました。あんまり客席がスカスカだった…という記憶がない。

いつもお客さんも盛り上がってたし、VIVAROSSA 良いバンドだよね~なんて印象もお客さんについてたと思います。

我ながら、いい仕事してるな~なんて、鼻高々です。

でも

でも

1年ほどたった時に、気づいてしまったんです。

あれ?

これ、VIVAROSSAのお客さんにちゃんとなってる?

いつも遊びに来て盛り上がってたのは"イベントのお客さん"であって、"VIVAROSSAのお客さん"ではなかったんです。

しごく当たり前。

"VIVAROSSAは良いバンドだよね~!好き!"

までは、ライブを見てくれたどのお客さんもいってたと思うんです。

でも、最後のツメが甘かった。

バンドのファンにまで持っていけなかった。

「他所のライブハウスにはできないことを、俺はVIVAROSSAにやってあげれてるぜ!」

なんて、こっそり調子にのってた反動で、とんでもない冷や汗です。

最終的に、バンドのお客さんまで持っていけなかった原因

もちろんバンドのせいもあります。

バンドがもうちょっと上手くやれてれば、お客さんになってくれてたと思います。

ただ、もうちょっとぼくが早く気づいて、いろいろとアドバイスできてたら、少なくても大阪での状況は変わってたんじゃないのか?

そもそも、不器用を絵に描いたような人たちなのは、わかってたじゃないか。

これは完全にぼくのミスジャッジだったな…と。

ただ、もっと細かく活動のやり方にまで口出しするのならそれはマネージメントの領域になってきます。

そこまでライブハウスの人間として口出しするのなら、バンドと運命共同体にならないといけないんですよね。

大阪と東京という距離もあったし、当時としては出来る範囲ではもちろんがんばってたけど、関わり方がすごく中途半端になっちゃってたんだろうな…。

大阪は地方ではあるけど、一応、東京の次に人口の多い場所。それなりに押さえとかないといけない場所だと思うんです。

すごくこまめにライブをしに来てくれました。

たぶん1年ぐらい。

この1年、ぼくに付き合わせてしまったせいで、彼女たちの大阪での活動を棒に振らせてしまったんじゃないのか。

呼んだらホイホイ来やがるんですよ。良い人達だから。

悪気はなかったけど結果として、そんな良い人たちにつけこんでしまった形になってしまったんじゃないのか。

もっとうまくできたよな。

はい。

思い上がりです。

しょせん、地方のライブハウスの人間に何ができる?

自分で思ってるより、じつは何もできないんです。

なにもできないんだけど

本当に大好きなバンドだったから、何かもっとしてあげたかったな…と今でも実はたまに夢にみます。

あの頃

KANA-BOONまわりがすこしだけ盛り上がって、自分の手柄と勘違いして調子にのってたんです。きっと。

自分は何者でもないのに。

なんか新しいことが起こせるような気になってた。

…まぁ、おかげでKANA-BOONがほんとうの意味で人気が出だした時に、調子にのらないですんだんですが。

その後、VIVAROSSAはいちど体制を立て直そうという話になり、所属していたレーベルの意向もあって、大阪での活動もいわゆる市内のライブハウスに拠点をうつすことになり、ちょっと疎遠になってしまいます。

(なんとなく連絡はとってましたが)

アシュラシンドロームのドラムの大津くんが、元VIVAROSSAだったりしまして、この前ひさしぶりに話しをしてなんだかジンとしてしまいました。

…と、こんな思いもありまして、前に書いた

ライブハウスとしては 余白を残して、バンドに集客や活動を自主的に取り組んでもらう

という、じぶんの方針につながっていくのですが。

最後に。

文章のながれじょう"好きだった"と過去形で書きましたけど、ぜんぜん現在系で"好き"です。

今でも VIVAROSSA 大好きです。

MVだってまだYouTubeにあるし、Apple Musicにもいてるから聴けるやん。

活動は止まっちゃったけど音楽は残ってる。

ずっと大好きです。

でも

大阪なら例えばBIG CAT

いや、今なら梅田のCLUB QUATTROがいいな。

QUATTROのステージのほうが似合いそう。

で、満員のQUATTROの客席上段 後ろの方で、ぼくは関係者づらして大人見をしながら

あーちゃんの「いこぉかぁ~!!」って、あの客あおりを聞いて、「ふー!!」なんて歓声をあげたかったなぁ。

サヨナラ

どうもありがとう

サヨナラ

どうかお元気で


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