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ゲイの生き辛さを知ればボヘミアンラプソディがもっと心に沁みるようになる話③

□さらっとインデックス

- 「一人前の男」という呪縛との決別 
- 世界的スターとしての名誉と男性同性愛者としての恥辱


これまでの解説はこちらから順にどうぞ!


「一人前の男」という呪縛との決別


Mama, just killed a man
母さん、俺は男を殺してしまった
put a gun against his head
銃口を頭に向けて
pulled my trigger, now he's dead
トリガーを引いたらそいつは死んじまったよ


ボヘミアンラプソディは、フレディの母親への告白でその物語の幕を開ける。ある「男」を思い切って銃殺してしまったのだと彼は打ち明けるのだ。その「男」の正体とは、社会が求める「男らしさ」の理想像であり、彼はその呪縛を断ち切ることを殺害として表現していると僕は考える。

英語には「Be a man」という表現がある。「男になれ!」という意味で、従来の性規範を表す言葉だ。日本語にも「男は男らしく」等、似たような表現がある。読者の皆も一度は耳にしたことがあるだろう。ここでいう「男」という言葉には対となる「女」の存在が強く意識されていて、「男らしさ」とは女を愛することはもちろんこと、女を主導する力であり、家庭を作り妻子を養う能力を有していることが含まれる。それを体現した者を「一人前の男」や「真の男」、「男らしい」と呼んでいる。フレディの生きた時代というのは、まさにこの「男」であることが現代以上に美徳とされ、社会的に強く求められていた時代だ。フレディはこの「男」を殺害したと告白しているのである。つまりそれは、社会の求める「男」という理想像に沿って生きることをやめ、自分自身の生き方を追求することを意味する。また、殺害方法は銃を使用していることも重要な意味を持つ。そこに彼の決意した生き方を読み取ることができるからだ。「銃(=Gun)」は男性器のスラングだ。「Put a gun against his head(=男に男性器を押し付ける)」ことによって「Pull my trigger(=射精)」し、「He's dead(=彼は死んだ)」のだ。それは紛れもなく同性愛的性行為の描写であり、フレディが社会の求める「男らしさ」と決別し、異端である男性同性愛者として生きることのメタファーにほかならない。

歌詞の冒頭でフレディは自分自身のことを「I’m just a poor boy(=俺はただの可哀想な少年だ)」と言うように、彼が己のことを「少年」と呼んでいた理由はまさにここにある。男性同性愛者である自分は社会の求める「男」から逸脱していて、決してなれない存在だ。それ故に、ずっと「男の子=少年」のままなのである。男性同性愛者として生きる自分は「半人前なのだ」という自己否定のような認識が、母親に対する告白として表れているのだ。


世界的スターとしての名誉と

男性同性愛者としての恥辱


Mama, life had just begun
母さん、俺の人生はまだ始まったばかりだったのに
But now, I've gone and thrown it all away
俺は一線を超えて人生を棒に振ってしまった


フレディが男性同性愛者として花ひらいていった時期は、クィーンが世界的に活躍するようになった時期と重なっている。まさにこれからますます飛躍していくことが期待されていた時期だ。世界各地で公演がある際には、社会的成功者として観客を大いに賑わせる一方、人目を忍んで各地のゲイコミュニティを訪れては決して人には言えないようなことに身を投じていた。世間的に見ればフレディは大いなる成功を収めた「一人前の男」だったのかもしれない。しかし、その栄光の中で彼は男性同性愛者という「不完全な男」である己を捨て去ることができず、「一人前の男」という名誉を汚した「a poor boy(= 哀れな少年)」なのだと後悔していたのかもしれない。


そして母親への告白は続いていく。次回はこちらから!

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