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「もう一度、初めて聴きたい」

この前YouTubeでとあるアーティストの新曲MVを見ていたときのこと。

コメント欄でこのようなコメントを見つけました。

もう一度、初めて聴きたい。

これ、ものすごくわかる。

曲に限らず映画や漫画、食などあらゆる体験に言えることなのですが、
初めて体験した時の感動がMAXで、その後何度体験しても初めて体験したときほどの感動を得られないことって少なくない気がします。

そのときに、「この体験に関する記憶をすべてリセットして、もう一度初めて体験したい」と思ったりします。

僕にとって”それ”は漫画でよく起こります。

すぐに思い浮かんだのは『進撃の巨人』の第1巻。

平穏な生活に突如として現れる巨人の怖さ。
主人公の母親が巨人に食べられるシーンの怖さ。
第1巻なのに主人公が巨人に食べられるという衝撃。

中学2年生のときに初めて読んだ時に受けたショックがMAXだったなと感じます。

しかし作品の面白さという”総合点”の話になると、『進撃の巨人』は読めば読むほど点数が上がる作品だと思います。

非常に多くの伏線が精巧に張り巡らされていて、その全てが完璧に回収されて物語が終わる。

読み返してみると、第1巻からすでに「こんなところに伏線が張られていたとは!」という場面がごろごろ見つかります。

そして伏線の張り方も、漫画ならではの絵やコマ割りなどの表現技法を最大限に活用していて好きです。

それに対して、
「もう一度、初めて〇〇したい」と思うことがなさそうな対象が””です。

もちろん親友や彼女と初めて会った時の感覚を思い出してみたいという気持ちもゼロではないのですが、
それ以上に、これまで積み重ねてきた時間をすべて無かったことにするのはキツすぎるという気持ちの方が遥かに大きいです。

作品や食などの体験に対しても”いろんな時期をともに過ごした相手”として接することができると、老後になって「これがおじいちゃんが人生をともにした本じゃよ」と孫に本を紹介することができたりするのかなと想像しました。

少し一般化すると、そういう意味では”ものを大事に長く使う”という姿勢は、僕の幸福度を高める1つの要因になりそうだなと思います。

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