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人間が非道化するメカニズムを解き明かす 注目の映画『ゲバルトの杜』『関心領域』

 人はなぜ人に、暴力を振るうことができるのか? また、人が暴力を受けているのを見て、平然としていられるのはどうしてなのか? 暴力のメカニズムをテーマにした映画は、これまでたびたび作られてきた。「スタンフォード監獄実験」を題材にしたドイツ映画『es〔エス〕』(2001年)やそのハリウッドリメイク版『エクスペリメント』(2010年)などは有名だろう。

 早稲田大学で起きた内ゲバ殺人事件の真相に迫った映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』(5月25日公開)、第二次世界大戦中のアウシュビッツ強制収容所に隣接する邸宅を舞台にした米・英・ポーランド合作による劇映画『関心領域』(5月24日)も、暴力のメカニズムを解き明かした作品として注目したい。

 ミクスチャー・ドキュメンタリー映画と銘打たれた『ゲバルトの杜』は、1972年11月に早稲田大学キャンパス内で第一文学部の2年生だった川口大三郎さんが凄惨なリンチに遭い、死に至った事件とその顛末を詳細に描いている。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した樋田毅の著書『彼は早稲田の杜で死んだ 大学校内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を原案に、第一次羽田闘争で亡くなった京大生・山﨑博昭さんを追悼したドキュメンタリー映画『きみが死んだあとで』(2021年)の代島治彦監督が映画化している。

学生紛争時の早稲田大学。暴力の連鎖がより大きな悲劇を呼ぶことに

鴻上尚史が演出した生々しいリンチシーン

 50年以上も前に起きたこの事件を、劇パートとして現代に甦らせたのは、早稲田大学出身の人気演出家・鴻上尚史だ。オーディションで選んだ若いキャストを使い、内ゲバによるリンチ殺人の様子を非常に生々しく再現してみせている。

 11月8日の午後2時ごろ。体育の授業を終えた川口さんは、次の授業を受けるために友人とキャンパス内を移動しているところだった。そこに新左翼党派の「革マル派」のメンバーが現れ、「討論したいから、自治会室に来ないか?」と声を掛けてきた。川口さんが「授業があるから」と断ると、強引に自治会室へと連れ込まれてしまう。

 川口さんは自治会室にいた革マル派の活動家たちによって取り囲まれ、針金で椅子に縛り付けられ、「お前はブクロのスパイだろう?」と執拗に責められた。ブクロとは池袋を拠点にしていた「中核派」を指し、同じように社会革命を目指しながらも革マル派とは対立する関係にあった。冤罪事件として騒がれた「狭山事件」に川口さんは関心があり、その集会に何度か顔を出していたために、中核派とつながっていると疑われたのだ。

 川口さんの友人たちが自治会室の外から「返してくれ」と頼むが、革マル派は応じてはくれなかった。女性闘士が飛び出して、叫ぶ。

「私たちは階級闘争を闘っているんだ。革命に命をかけているんだ。お前たちはそれに刃向かうのか。帰れよ」

 それでも川口さんの安否が心配な友人は大学職員を連れてくるが、事なかれ主義の大学職員は教室内の様子を確かめることもなく、「早く帰るように」とだけ言い残して、立ち去ってしまう。

 その頃、教室内で監禁されていた川口さんは、革マル派からバットや角材で全身を殴打され、息も絶え絶えになっていた。夜になり、口の固い(もともとスパイではない)川口さんに手を焼いた革マル派のリーダーが「もういい。帰れ」と言ったときには、すでに川口さんの心臓は止まった状態だった。その後、革マル派は救急車を呼ぶこともなく、川口さんの遺体を早朝の東大病院前に放置して去ってしまう。

劇パートで女性闘士を熱演したのは若手女優の琴和

スタンフォード大学の実験が暴いた人間の心理

 同じ大学に通う学生同士が、教室内で平然とリンチ殺人を行なった。なぜ、このような非道なことができたのか。それは、革マル派のメンバーたちにとってはただの暴力ではなく、革命を遂行するための「革命的暴力」だったからだ。革マル派という組織に属していた彼らには、暴力を振るうことが許される大義名分があったわけだ。

 この理屈は、『es〔エス〕』の題材になった「スタンフォード監獄実験」と同じだ。1971年に行なわれたこの実験は、スタンフォード大学の地下実験室に模擬刑務所をつくり、アルバイトで募集した一般の人たちを看守役と受刑者役に分けて、2週間を過ごさせるというものだった。

 単なる心理実験だったにもかかわらず、しばらくすると看守役側の横暴な振る舞いが目立つようになっていく。受刑者役の人たちに対する非人道的な行為があり、実験は6日間で中止となった。それ以上の実験継続は危険だと見なされた。

 人間は大義名分が与えられれば、他の人に対して平然と暴力を振るうことができる。クイズに誤答した人に電気ショックを与えるという「ミルグラム実験」、しいてはナチスドイツでユダヤ人大量虐殺の計画を立てたアドルフ・アイヒマンが、イスラエルで開かれたアイヒマン裁判で「自分は上官の命令に従っただけ」と答えたことにも通じるものがある。『オッペンハイマー』(2023年)のオッペンハイマー博士が、原爆開発チームを指揮したのも同じ理屈だ。

 この内ゲバの様子を描いた劇パートを、鴻上尚史が演出した点も興味深い。鴻上が早稲田大学に入学したのは1978年で、すでに学生紛争の熱気はキャンパスからは消え去っていた。直接的には学生運動に触れていない鴻上だが、1981年に劇団「第三舞台」を旗揚げして以降、人間と人間との距離感、コミニケーションの在り方を主題にした舞台を上演してきた。大義名分や口実が与えられたことで人間が豹変する姿は、演劇の世界とも密接にリンクするものに違いない。

 また、鴻上は『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したのか』(講談社現代新書)や『「空気」を読んでも従わない』(岩波ジュニア新書)など、個人と集団との関係性に言及した著書でも知られている。

劇パートは16分ほどの短編だが、映画全体に強い印象を与える

暴力に対して無関心でいることのおぞましさ『関心領域』

 本作や『es〔エス〕』と親和性の高いのが、2023年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『関心領域』(原題『THE ZONE OF INTEREST』)だ。舞台となるのは一軒の豪邸。アウシュビッツ強制収容所の所長であるルドルフ・ヘス(アリスティン・フリーデル)とその妻・ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)、彼らの子どもたちが暮らしている。手入れの行き届いた庭園にはプールもあり、太陽光が注ぎ込み、眩しく輝いている。絵に描いたような夢の邸宅だった。

 だが、庭の奥には収容所の高い壁があり、その壁の向こう側では銃声が響き、夜になるとガタガタとブルドーザーが動いているような音が聞こえてくる。不穏な気配だけが、壁越しに伝わってくる。

 直接的に描写されることはないが、壁の内側では連日にわたってユダヤ人たちの大量虐殺が行なわれていた。美しい豪邸での平穏な生活と壁の内側での出来事の対比が、とてつもなく強烈だ。

 収容所内で起きていることはすべて把握している所長のヘスは、ある日、うれしそうに妻のヘートヴィヒを呼び出す。ベルリンへの帰国命令が下されたことを伝えるヘスだった。だが、ヘートヴィヒは「あなた一人で帰って」と冷たく言い放つ。この豪邸での暮らしをヘートヴィヒは気に入っており、子どもたちもここで育てるつもりらしい。壁の中の惨事を知るヘスにとっては、生き地獄同然の場所だが、壁の中の出来事を知らないヘートヴィヒにとっては、夢の楽園だったのだ。現実世界に無関心でいることのおぞましさを、まざまざと見せつける作品となっている。

 ヘートヴィヒを演じたザンドラ・ヒュラーは『落下の解剖学』(2023年)にも主演しており、『関心領域』と同年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞している。

 集団化した人間たちが凶暴化する恐怖を描き、ミニシアター系でロングランヒットした実録映画『福田村事件』(2023年)を撮った森達也監督を取材する機会があった。二度にわたるインタビューの終わりに「人間は環境によって獣にもなるし、紳士淑女にもなれる生き物です」と森監督は静かに語った。

 ウクライナを攻撃しているロシア兵たちも、故郷に帰れば優しい父親に戻るはずだ。外国人への虐待行為が問題視されている日本の入国管理センターの職員たちも、普段は温和な人たちに違いない。それゆえに、人間が変身してしまうメカニズムはしっかりと知っておきたい。

 人はなぜ人に、暴力を振るうことができるのか? また、人が暴力を受けているのを見て、平然としていられるのはどうしてなのか? その答えは『ゲバルトの杜』、そして『関心領域』の中に用意されている。スクリーンの中から、その答えを見つけ出してほしい。

 
『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』
原案/樋田毅 監督/代島治彦 音楽/大友良英 
劇パート脚本・演出/鴻上尚史 
出演/池上彰、佐藤優、内田樹、樋田毅、望月歩
配給/ノンデライコ 5月25日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

『関心領域』
原作/マーティン・エイミス 監督・脚本/ジョナサン・グレイザー
出演/クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー
配給/ハピネットファントム・スタジオ 5月24日(金)より新宿ピカデリー、日比谷TOHOシネマズ シャンテほか全国公開


『福田村事件』森達也監督インタビュー記事


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