ゆび研note No.31 菊池寛「父帰る」
No.31 菊池寛「父帰る」
劇団なかゆび戯曲研究会、可能な範囲でノートに残していこうと思います。よろしければいろいろなご参考に。onlineでは二回目です。
今回は、一度、柊木とは読み合せたことがある戯曲だったので、読むというよりも議論が主軸となった。この戯曲は、岸田國士にいわせれば「常識的感動」をもたらすものであるらしい。内容が気になる人は青空文庫にもあるので読んでみるといい。本文の末尾には自前で書いたあらすじも置いておく。
さて、納得がいかない、というか議論が分かれるところになると小生が思うのは、この戯曲の結末である。父親を探し、賢一郎と新二郎が狂ったように家を飛び出すところで幕は下りる。そうして登場人物たちは、「家族の絆を再確認する」。そしてそれに感動する。しかし、それでは賢一郎が語った艱難はいったい何だったのか。心中に至りかけるほどの20年の困苦よりも家族の絆のほうが大切であるといいたいのだろうか。むろん、この戯曲は1917(大正6)年に発表されたもので、舞台は明治40年頃と設定されているから、現代と価値観が異なることはいうまでもない。この戯曲を受け入れられないのは、、発表当時よりも家族の絆は弱まり、個人主義が一般化したことによる差による違和感がもたらされているということであるといえよう。しかしながら、戯曲は文学と違い、上演される可能性を持つ。今、上演するとすれば、どう演出すべきかという問いかけは、この百年で日本人の精神がどう変化したかという問題意識にもつながる。
それでは、どう変化したか。自分なりに検討せねばならないということになる。「ちくま日本文学全集」に付いている井上ひさしによる小伝が菊池寛の作風をかなり端的に示している。井上によれば、菊池寛は悩める文学青年ではなく、近代化した日本の都市に移住した「教育された大衆」という生活者にむけて書き、その結末は、いつも明るい。それは根無し草である生活者たちの「楽天的」な「そのうちになんとかなるだろう」という気風とよくあった。われわれ21世紀を生きる若者の未来は暗い。もちろん「そのうちになんとかなるだろう」と楽天的な若者がいないということはない。だが、楽天的であることよりも悲観的であることのほうが「安心」できるような雰囲気であることはないだろうか。いつでも危機に備え、大企業に就職できたとしても、そこが倒産しないとは限らないので、資格を取得するといった研鑽を怠らない者のほうが好まれる。そう感じるのは、小生に見える景色においてだけなのだろうか。
この戯曲を「誰がいちばん得したか」という観点で見るとしよう。むろん、父親の宗太郎である。父親は救済に与ったのである。最も損をしたのは長男の賢一郎である。賢一郎の立場にしてみれば、到底父親を受け入れられるはずがない。しかし、賢一郎という「個人」は家族の絆に敗北したことになる。当時の日本、いや、この戯曲では、個人よりも家族のほうが大切なのである。これとは逆の構造の物語、父が息子を救う物語が聖書にはある。いうまでもなく、「放蕩息子」である。これも結末は同じく、救済であった。この話も受け入れられない者が少なくないだろう。「敵を愛せ」、「損得勘定でしか物事を図れないのは、哀しく貧しい心である」。それは聞こえのいい説教であるかもしれないが、そう言いながらも、実際には個人を犠牲にして集団が保たれているという状況は往々にしてある。この戯曲は、そういう状況を描いている。
賢一郎という個人を犠牲にして、家族という集団を維持しようとする。現代、この戯曲をそのまま上演することに意味はあるだろうか。「そういう解釈もあっていい」というところに収まらないのが、戯曲を議論することの面白さである。「上演する」という仮定が入ることで、ある「一つ」の結論(=作品)を出さなければならなくなるからである。解釈の「多様性」を観客に委ねるのなら、作品は「一つの結論」でなければならない。では、どういう結論になったのかというと、ちょっとそれについては明かせない。お察しくだされ。
■作家情報(100字程度でまとめるとしたら)
菊池寛 Kan Kikuchi 1888-1948
香川に生れる。旧京都帝大英文科卒業。1923年雑誌『文芸春秋』を創刊。1935年、芥川賞、直木賞を創設。1942年、日本文学報国会総会の議長となり、戦後GHQによって公職追放。1948年、狭心症のため急逝。
■あらすじ(200字程度で、企画書などに書くとしたら)
「父帰る」(T6, 1917)
明治40年頃。南街道の海岸にある小都会に住む、中流階級のつつましやかな家庭。長男の賢一郎は、役所勤めをしており、20年前に蒸発した父宗太郎に代わって、一家4人を支えてきた。そこに父が、突然帰ってくる。母、弟の新二郎、妹のおたねらは父を快く迎え入れようとする。しかし、賢一郎に20年の艱難を突きつけられ、父は諦めて、家を去る。母の哀訴やおたねの呼びかけに賢一郎は新二郎とともに、家を飛び出し、父を追い、幕。
2020/6/10
神田真直
宜しければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、今後の劇団運営に充てさせていただきます。