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砂漠の劇場ができるまで

〜絶望からのスタート〜

これまではクリエイターと観客がそれぞれの役割を果たしていれば、ライブ型エンターテイメントという文化は回っていた。クリエイターが作品を創り、ライブで披露する。観客は現場に足を運ぶ。

しかし、そうやって遥か昔から培われてきたライブ(生)エンターテイメントという文化は、新型ウイルスによってあっという間に無になった。劇場やライブハウスといった「箱」はどの娯楽施設よりも真っ先に閉鎖された。そして日を追うごとに事態は深刻化し、終わりが見えなくなっていった。

人が生み出す熱量を観客が正面から受け止める。そんな体験がライブにはある。しかしこれからは、私たちが当たり前のように感じていた「空気感」や「グルーヴ感」などという価値観はなくなってしまうのではないか。そんな「絶望」の影が、ライブを生業にするアーティストに徐々に迫ってきている。

もちろん時代は変わる。新しい文化が生まれ、一方で滅んでいく。もしかしたら「ライブエンタメ」という文化は転換期を迎えているのかもしれない。全てのエンタメは何かしらの媒体やテクノロジーを通してしか共有されなくなっていくのかもしれない。そう思わざるをえないほど、私達の居場所はあっという間にゼロになったのだ。

しかしそうなったからこそ分かった事があった。

〜絶望から学んだこと〜

「人と会うことを禁止される」今までの人生でそんなことがなかった私は、この経験によって気づいた。

「人は人に会いたいし、話したいし、同じ時間を共有したい」

ここまで人との再会を、時間の共有を、渇望したことはなかった。どんなにテクノロジーが生み出されても、人のこの欲求は変わらないと確信した。人間が本来持っている「会いたい」という感情に気づいた私は心に決めた。それは「次、また皆と会う日が来たら、その時を最高の時間にしたい」

〜次会う時を最高の時間にする〜

この辛い時期が終わり、また今までの様に好きな人と、好きな時に、好きなだけ会える日が戻ってきたら、その瞬間は必ず最高の時間にしたい。そう思った。

「最高の時間」というのは漠然とした目標だが、私はすでに答えを持っていた。

〜南半球で見つけた理想郷〜

先ほど、答えをすでに持っていたと述べたが、最初はもっとふわふわした感覚的なものだった。それが確信へと形を変えた場所がある。前置きが長くなったが、ここからが「砂漠の劇場」ができるきっかけになる。

2020年2月〜3月中旬まで私はオーストラリアでショーをしていた。「アデレード・フリンジ」という世界で2番目の規模を誇る演劇・アートフェスだ。南オーストラリアのアデレードという決して大きくない街に、2000を超える様々なジャンルのショーがやってくる。サーカス、コメディ、映画、音楽、マジックなどジャンルは様々だ。私はその中でショースタイルのマジックバーにマジシャンとして出演していた。

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↑魔法マジックバー

フェスの出演者(アーティスト)は7000人を超え、270万人もの観客が世界中から押し寄せる。まさに街全体が劇場と化すフェスティバルだ。普段は広い公園である場所をその期間だけ仮設会場にする。そこに無数のテントや小屋、遊園地が設営される。

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私が日本から現地入りした日は、オープンまであと5日だった。設営も佳境で、至る所でショーのリハーサルも行われている。ヴェニュー(会場)を歩けば多種多様なアーティストたちが様々なコスチュームでウロウロしている。まさに非日常の世界だ。彼らの中にいて私もまた、アーティストとして第二言語の中で仕事をしていかなければいけない。ライバルだ。

しかしそのようなプレッシャーよりも、抑えきれないワクワクが遥かに勝っていた。テントができ、リハを終え、フェスは99%まで完成される。そしてヴェニューがオープンして観客が押し寄せる。この時にフェスが完成する。昨日までパスが無ければ入れなかったヴェニューは当日オープンフリーになり、老若男女、人種、政治、宗教、貧富問わず「人々」が来場する。そして各々が好きなテントへ入り、ワクワクや興奮を隠すことなくその時間を楽しむ。「まさにこれだ」と思った。

私はマジシャン、舞台人として9年間活動をしてきた。これを天職だと思っている。こんなに楽しい仕事は他にありえない。いや、あったのだ。まさにこのフェスのように「ワクワク」する時間・空間をつくることをもう一つの生業にしたいと心から思った。

そして私は5週間の滞在中に出来るだけ沢山のショーを見た。作る側として盗めるところを盗み、観客として純粋に楽しんだ。そして改めて決心した。

〜日本に帰ったらサーカスを作ろう〜

“円形” “回る”というのがサーカスの語源だ。私はこれを「肩書き人種貧富関係なく円になって楽しもうぜ」という風に勝手に拡大解釈する。ワクワクするものの集まりを、私はサーカスと呼ぶことにした。

そして仲間を集めて動き出す。突き進むしかない。

しかし、冒頭で述べたようにコロナによって道を閉ざされた。私達がリアルで活動できる場はゼロになった。

時間が無限にでき、収入はゼロになった。私が今までやってきたエンタメを全否定された気になった。妻と生まれたばかりの娘を連れて熊本の田舎に帰ろうとも思った。

そんなある日、大学の同期の中で今でもつるんでいる片岡という男から連絡が来た。彼は大学卒業後に東京に出て、映像制作会社を立ち上げてバリバリやっているヤツだ。

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「オンラインでできること、やるしかないな。できることから小さく始めていこう。全力で何か考えたい」

この連絡が、無からまた立ち上がって闘うスタートラインになった。連絡が来たその日、遅くまでお互いの知恵やアイディアを出し合った。その中で私は片岡にサーカスの話をしてみた。

「ほんまは俺、サーカスやりたいねん。けど今は無理や。自粛しなあかん。でも自粛中に思った。アーティストは仕事がなくて大変。けど、ライブエンタメをいつも楽しみに、生き甲斐にしとったお客さん達も、大変やんな。どんな思いで毎日過ごしてるんやろ」

私はやっとお客さんに思いを巡らせることができた。そしてエンタメを楽しめなくなったお客さん達のことを考えると本当に悲しくなった。そして閃いた。

「サーカス、お客さんと一緒に作ったらどうやろ。コロナが収束してまたみんなが集まれる時。そんな当たり前やった未来がまた来たらサーカスしよう。そのサーカスを、この自粛中に作っていくねん。アーティストもお客さんも関係なく一緒に作んねん。立場関係なくオンラインでアイディア出し合って作っていこうや。それやったら家でもできる。未来にやるサーカスを作ろうや!」

「それええやん!」と片岡も乗ってくれた。

こうしてまずは「未来サーカス」という企画が走り出した。

サーカスをみんなで作るには、まずはみんなと再び繋がること。そこにエンタメがあればなおよし。なのでまずは週に1回のペースでショーが観れたり、異業種の対談が見れたりする場所が必要だ。

そこで「砂漠の劇場」という架空の劇場をつくることになった。

〜砂漠の劇場誕生〜

毎週、または毎月ゲストアーティストを呼んでショーが観れるオンラインの劇場。

そしてもう一つ、サーカスを作る作戦会議をする場所。

大きくみてこの2つの企画のためにこの劇場はある。

みんなとオンラインのショーで繋がり、

みんなと一緒にサーカスを作っていく。

劇場はただの箱だ。上演する作品とそれを観てくれる人々が集まってはじめて命が吹き込まれる。劇場は作品や集まる人々によって表情を変える。私たちが作りたいのは建物ではなく場所だ。

砂漠の劇場の最終目的地は、閉館だ。この劇場が無くなる日が来るまで、人がたくさん集まる場所になれればと思う。そしてこの劇場が無くなった時には、きっとまた皆が再会し、最高の時間を過ごしているだろう。その日までエンタメの火は絶やさない。

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