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研ぎ澄ませる という贅沢

僕は新卒で広告会社に入社して、3年ほどこの業界に身を置いて社会人の基礎的なスキルはおおよそここで培った。広告会社には、多摩美や武蔵美、あんまり多くは知らないけど東京芸大とかのいわゆるエリート美大卒のスター選手がひしめき合うフロアがある。いわゆる"クリエイティブ職"と呼ばれる人たちだ。彼らは、小さい頃から「天才」と言われ、多くはその才能に見合った英才教育を受けてきたサラブレッドたちだ。

そういう人たちがいるフロアでは何が行われているのかと言うと、そこそこ(たまにとてつもない人もいる)頭が切れて気が利く営業やプランナーがクライアントからもらってきたお題に対して、一番"確からしい"答えを創り出す仕事をしている。

新作のハンバーガーを出すので、その商品が一番よく売れるCMを作ってください。
とオーダーがきたら、営業がクライアントのもとに足繁く通って
・商品のコンセプトや特徴は何か?
・目標販売数はいくらか?
・販促予算はいくらか?
・商品のターゲットは誰か?
・CMにタレントは起用するか?
・NGな表現は何か?
・どの媒体に出稿するのか?
・それも含めて提案した方がいいのか?

などなど、大事なことからつまらないことまで文字通り何から何までヒアリングしてくる。場合によってはクリエイティブの人間をクライアントに引き合わせてワークショップをしたり、市場調査をしたりすることもある。

そこで得た推奨される事と、やってはならない事を洗い出し、踏んではいけない地雷を避けながら通るべき道を探り探り、表現の方向性を固めていく。

そこまで詰めたらそこから先はクリエイティブの領域だ。

例えば、コピーライターはそのハンバーガーを食べたり、眺めたり、店を遠くから観察したり、食べてる人を想像したりしながら、その商品のキャッチコピーをひたすら書き出す。「スパイシーでチキンな食感!」とか「レッチリもびっくり!」とか「赤の惑星、襲来!」とか。知らんけど。もう少しマシなのを出したかったけど出ない。

未だに信じられないんだけど、こんな感じで(もっと高いクオリティで)思いついたコピーを本当に100とか200とか書き出す。で、クリエイティブディレクターと呼ばれる納品物に対して全責任を負う偉い人に見せる。ぱらぱらぱらっと見て「全部やり直せ」か、「これとこれかな」と言って良さげなものを選び、企画会議に持っていって「A案がなんたらかんたら、B案がはんまーかんまー…」とか言って説明し、方向を収斂していく。

コンテも、グラフィックも進め方は概ねそんな感じだ。

こういう仕事って極めて特殊じゃないだろうか?
渾身の一振りのために刃を研いで研いで研ぎ澄ますように、「あーでもない、こーでもない」「はんまーかんまー」いいながら言葉やグラフィックを磨いていく。

テレビCMやインターネット広告の投下量が「刃を振り下ろす力」であり、クリエイティブのクオリティが「刃の鋭さ」である。当然、振り下ろす力が強ければ強いほど、研ぎ澄まされた刃が鋭ければ鋭いほど、生活者には深く刺さり、一撃必殺のクリエイティブになる。そしてそれがクライアントの売り上げに貢献することになる。だからクリエイティブの人たちは不夜城と呼ばれる汐留や赤坂のオフィスで夜な夜な「あーでもない、こーでもない」と言いながら刃を研ぎ澄ます。

天才達が、文字通り泥臭く研ぎ澄ます仕事を粛々とやっている。それが広告会社のクリエイティブ職の人たちだ。アイデア一閃のスマートな人たちだと思ってたでしょう?もちろん軽い打ち合わせで出てくるアイデアや頭の回転の早さもすごいんだけど、それは氷山の一角で、その下に寝ずに作ったボツがたくさんたくさんある。

僕たちが目にするあらゆるクリエイティブは、そういう人たちの泥臭い仕事を経て世に出てきている。ひとつのCM、ひとつのポスター、ひとつのバナーを作るのにそれだけの知的労働が詰まっているのだ。それってとても贅沢な話のような気もする。

僕のような無粋で怠惰な人間は、同じ労力を2分割とか3分割して、2つとか3つ多くクリエイティブや企画を世に出した方が投資対効果が良さそうな気がするんだけど、きっとそういうことではないんだろう。

100の力を割いて、60点の新しいものをたくさん世に出す仕事、100点を目指して90点以上のものを少しずつ世に出す仕事、世の中にはいろんな種類の仕事がある。求められるスキルや素養、相応しい態度も様々だ。

しばらくしてから僕は広告会社から転職をして、100点を目指す環境から、60点をたくさん出さなければならない仕事に移った。60点の仕事を世に出すことの後ろめたさには相当苦しめられたし、正直今でも苦しい時が結構ある。そういうことって会社を変えなければ知り得なかったことだと思う。

立場を変えることで実感できることって本当にたくさんあるから、身軽に転職をするのはいいことだと僕は思う。立場を変えたことで最も見にしみて感じるのは、100点を目指せる、研ぎ澄ます仕事というのは、限られた人ができる、とても贅沢な仕事なんだってことだなあ。今となっては毎度毎度というわけにはいかないけれど、一年に一回くらいは、ああいう種類の仕事をやりたいよね。

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