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オットーという男/幸せなひとりぼっち

 アマプラで新しく「オットーという男」って言う映画が見放題になったので観ました。
 この映画、面白いは面白いんですけど、ところどころ引っかかる。トム・ハンクスが意地悪じいさんで、町一番の嫌われ者なんですけど、向いに引っ越してきた夫婦の奥さんがラテン系の良い人で。

 すっかりその人のペースに引き込まれて「良い人」になる、ってストーリーなんですが。
 
 そのトム・ハンクスの亡くなった奥さんがこれまたできた人で。

 え?っていうか、何でそんなに「できた人」がこんな意地悪じいさんと「一目ぼれ」で結婚したのか?このじいさんがこれほど嫌われ者で意地悪なのは、その「できた」奥さんにも責任の一端があるんと違うんか?とか。

 思ったら止まらなくなって。

 それに、いちいちトム・ハンクスがそのラテン系の奥さんに「きみはバカじゃない」とか言うのが…。えええ?
 いや、トムさんよ。そもそもなんでその奥さんを「バカ」前提として扱ってんの?
 私がラテン系奥さんだったら、そこめっちゃ怒るとこなんですが。

 とか、いちいち引っかかるところだらけなのですよ。

 しかし、エンドロールを見てみると、原作が「幸せなひとりぼっち」っていう小説だそうで。そういえば、たしかそんな映画があったような?とか思い出しました。
 みてみると、スウェーデン映画でそういう映画があって、それをハリウッドリメイクした映画が今回の「オットーという男」だったみたいです。

 それで、そのスウェーデン映画を観たんですが。

 いや、大筋ではそのスウェーデン映画とこのハリウッド映画は同じストーリーなんですけど、ディテールが全然違います。スウェーデン映画がアコースティック音楽だとしたら、ハリウッド映画は8ビットのデジタル音楽って感じです。

 主人公のオーヴェは、実直で生真面目で空気の読めない男なんです。その何となく不器用なところに、奥さんは惹かれる。全然違和感ないです。ちゃんと主人公が魅力的です。

 で、その奥さんとオーヴェの恋愛も丁寧につづられてるし、向いに引っ越してきた奥さんは、イランからの難民出身っていう設定でしたが、そういう苦労を察する優しさも彼にはあって。だから、彼女を尊敬している、っていう描写もちゃんとあって。

 これらのディテールをすべて削ぎ落したのが今回の「オットーという男」だということがわかりました。
 
 つまるところ、これらのディテールを描くと「マイナー映画」感が出てしまう、ってことがしみじみわかりました。むむ。そうか。これらの描写って、ストーリーを追ううえでは退屈なところなんだよなあ。たぶん。

 複雑な気分になりました。映画としてはスウェーデン映画の方が数段上質だと思うけど、「オットーという男」の評判がそこそこ良いってところを見ると、エンタメとしては冗長ってことなのかなあ?

 …恐るべしハリウッド映画。と、思いました。

 

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