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イチゴのたね#3「真面目からの脱却」

"個性的であれと耳にタコができるほど街中に響く今日。
「真面目もひとつの個性だ」
そう思わなくなってからもう2年も経つ。
そして僕は真面目を卒業した。"

こんにちは。大学1年生のStomuです。

「あなたの個性はなんですか?」
「あなたらしさとはどんなところですか?」
私は時代が進むにつれてこんな質問をされることが多くなってきたように感じます。

『個性的である』という正義が、今の大人を魅了していて若者に求められている

そう感じずにはいられません。
でも誰も「個性」を教えてくれません。個性は自分で見つけなければならないみたいです。

私は小さい頃から大人の言う事をとことん聞き、大人を怒らせないお利口な子供でした。
学校でも
「Stomuさんは真面目で責任感がある」
と言われ続けてきました。
お利口であれば周りは褒めてくれたから私はそれが嬉しくて、お利口であり続けました。

しかし年を重ねるに連れて褒められなくなってきました。私の真面目はセールスポイントにはならなくなり、私の手札は尽きてしまいました。

それも当然。大人はみんな真面目でお利口なのです。だから大人なのです。

この中にもきっといることでしょう。学生時代に
「真面目で責任感がある」と言われてきた方たちが。社会はそういう人たちを「真面目だけが取り柄の人」と呼んでいます。

私は真面目であることに否定的ではありません。むしろ真面目でないと人は暮らせません。
ただ、そうであるからこそ真面目は個性ではないのです。

大人は「真面目な人」を求めてても「真面目という個性」は求めていないのです

私は個性は追い求めなくて良いと思います。なぜなら個性は他者が見つけてくれるものだと思っているからです。
自分で個性を決めてしまったらイケメンも天才も日本中に溢れかえってしまいます(笑)

ただ、個性を他人に与えてもらうまでは真っ白な人間です。普通はこれを心細く思う事でしょう。ですが、これを逆に捉えてみましょう。あなたはまだ何者でもないのです!まだ何にも縛られていないのです!誰かの為のお利口さんになる必要はないのです。そしたら真面目にこだわる必要は少しは無くなるのではないでしょうか。

綺麗な着物も最初は真っ白でまっさらな布です。
たわいもないただの布だったのが、誰かに染めてもらう事で輝きと個性を得ます。


大事な事は「誠実であること」と「自由であること」。

何にも縛られない、何にも染まらないそんなまっさらな布であれ。

そこから始まる『真面目からの脱却』

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