イチゴのたね#2「無傷のままじゃいられない」
"研磨された刃は鏡のように光り輝く。
研磨とは無数の傷を細かく付け、その表面を滑らかにする行為をさす。
私たち人間も、もしかしたら光り輝くには無傷のままじゃいられないのかもしれない。"
こんにちは。大学1年生のStomuです。
突然ですが、理想の自分に対して今どれぐらいの位置につけてますか?
私はとても距離を感じます。人間常に探求者ではありますからその状態は正常とも言えますがやっぱり劣等感も少なからずありますよね。
昔の人は人が成長することを「自分磨き」と言ったりして「磨く」という言葉を使っています。人は磨くことで輝くということでしょうね。
金属とかと一緒です!
ここでその磨くこと「研磨」についての話。
研磨の方法は様々ですが、オーソドックスなのは粗い目で傷をつけたり削ったりして表面を滑らかにしていく方法です。大きな傷を与えて、与える傷を段々と小さく・細かくする。
すると金属は光を反射して輝くようになります。
傷ひとつないような輝きを持つ物たちは実は傷だらけだったということです。
昔の人はこれと人を喩えたのです。
理想の自分になる為には自分磨きは欠かせません。磨いて磨きあげる他ないのです。
その際、無傷でいることなんて出来ないのは瞭然です。
それも最初は大きな傷を負うことになります。でも努力を続ければその傷は段々と小さくなります。
そうするとやがて人は光を放つことになるのでしょう。
挫折とはよく言いますが、昔の人はそこを乗り切る為の言葉もちゃんと残してくれていたのだと私は思います。
「継続は力なり」みたいな先の分からない励ましは少々忍耐を必要とするし何より取っ掛かりにくいと感じやすいです。
しかし「無傷のままじゃいられない」と前もって構えることができれば向かい風も怖さが半減する気がします。
Creepy Nutsの「かつて天才だった俺たちへ」の歌詞でもこう綴られてます。
まだまだ天才なままの我々。
物差しで測るにはまだ早いかもしれない、傷を恐れるにはまだ若すぎるのかもしれないと勇気を貰えますね。
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