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ネムレネムレの物語

民間保育園に息子を預け、わたしは産後半年で復職した。育児休業法が施行される少し前です。

息子はお布団に寝かした途端ギャン泣きするという、乳児あるあるを繰り返し、幼児期に入った。


保育園では外遊びもあり、昼間それなりに活動しているのに、絵本一冊ではなかなか寝てくれない。絵本を読みながら親が寝てしまい、息子にトントン起こされる。電灯が明るくて寝ないのかなと思い、電気を消して、即興の物語を聞かせるようなった。


モン吉とモン太のものがたり

昔々あるところに、おさるのモン吉とモン太がおりました。
2人はとても仲良しでした。
ある日モン吉は、かけっこ競争をしようと言いました。
(という具合に、うさぎとかめのお話のような友情物語を語りました。)

里山を走り、山越え谷越え。
途中モン太は何かに蹴躓き、転倒し走れなくなる。悠々と走っていたモン吉は、追ってこないモン太に気づく。鳥や虫が怪我をしてるモン太のことを伝える。
モン吉はモン太を探して、かけてきた道を戻る。
夕日が森に沈む頃、助け合った2人は、ゆっくりゴール。

2人の手には、キラキラひかるりんごがありました。
おしまい


最後は、いつもおさるの手に光るりんごが出てくるのですが、それを確認すると息子は安心したように眠りについた。

大人になってもこの物語のことはよく覚えていて、先日も『面白いから、続きを知りたくて、寝てやるものかと思ってた。』と告白された。なんちゅう子や!

毎回どこかしらアレンジしているので、寝てる場合やなかったのかもしれない。実際の季節やその日のお天気などによって、山越えや風景描写も咲く花も、登場する小さな生き物も変わる。“眠れ〜眠れ〜”と脳内で唱えながらも、わたし自身も楽しんで話ていたんだと思う。

このエピソードをNoteに書こうと、朝家事をしながら、記憶を反芻していた。
あれあれ?


記憶の鍵が外れる

あぁ。そや…

子供の頃周りは田んぼだらけやった。
水田を作る前の田んぼには、れんげ草が植えられており、子供が横になると見えなくなるほどやった。弟とかくれんぼなどした。ほんで、農家の人に怒られたんや。

小1の頃、学校は地域に1校しかなく1時間近く歩いた。通学路は舗装しておらず石ころも多く、小川や田畑に沿って曲がっていた。その道の途中に牛小屋もあった。大きな柿の木もあった。夏の暑い日はその木の下でひと休みした。雑木林もあった。学校まで間に合わなくて、その雑木林で用を足したこともあった…集団登校で、上級生が手を繋いで色々励ましてくれたこともあった。

そういうことやったか。
うさぎとかめが原型やと思っていたが、わたしの原体験やったか!
曲がった通学路も高学年の頃には舗装されまっすぐになり、牛はいなくなり、田畑も雑木林も、うんと前に住宅になっていた。頭の中を記憶の風景が駆け回る。

もうひとつ鍵が外れ

この地域へ引っ越す前は、少し歩くとある大きな川の堤防で、毎年つくしとりをした。
学校へ上がる前にこちらへ引っ越し、初夏には山でわらびとりをした。秋にはきのこ狩りもした。けもの道をよじ登り、駆け降りた。小川で小魚も捕った。父と弟とわたしとで。足の弱い母はそういう時はお留守番だった。普段のご飯は母担当だが、野山での戦利品の料理は父担当だった。

息子に山道(やまみち)、獣道(けものみち)で遊ばせてもらえたらな。故郷へ戻ったのは、そういう期待もあってのことだった。帰って間も無く、父は体調不良となり、検査入院後そのまま動けなくなっていき、半年ほどで旅立った。
父と歩いた山の入り口あたりを通ることがあった。あたり一帯が宅地化されており、その痕跡もなかった。


野生児のような田舎暮らしの経験は、記憶の底で熟成し、ネムレネムレの物語となり、幼児期の息子に語り継いでいた。不思議やなぁ。


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