見出し画像

神との対話

こちらの写真は京都の永観堂というお寺の中にあるものを撮った一枚です。
永観堂というお寺は一歩足を踏み入れると柔らかな温かい深い愛のエネルギーに満ち溢れている居心地の良いところです。苔をとても大切に育てているのが分かる美しい緑のカーペットも印象的です。

『神との対話1』

源(神)はただそこに在る無限のエネルギーであった。ただそれだけでは源は自分が何者かわからなかった。そこで源は自分を知るために自分ではないものを生み出すことにした。神(源)は自ら振動し自分ではないものを生み出していった。そして神(源)の中にたくさんの光が生まれた。たくさんの光が生まれたことで源の中に空間が創られその空間の中を光たちが移動することで時間が生まれた。神が自分を知るために生み出した自分ではないものだったが全ての光たちは源の愛により生まれた純粋な神でもあった。神であり神より生まれた光たちは光り輝いていたが大いなる神(源)の無限の光の中では自分たちの光が見えず光たちも自分が何者かを知りたくなった。
神はその小さき光たちの大きな変化への希望を受け入れ相対性の宇宙を創った。そこは源から分離しているような体験ができるところで光たちはそこでの挑戦に喜び飛び込んでいった。しかし、そこは源が創造した幻想の宇宙だと光たちは知っていたので結局自分たちが何者なのかはわからなかった。なので神はその相対性の宇宙に行く時には光たちが自分たちは源より生まれた源にいる光の存在だということを忘れる、という体験を追加した。自分が何者かを忘れ本物のように感じる相対性の宇宙で光とは対照の闇を経験し自分を思い出し源に還るという素晴らしい体験ができるものとなった。神から分離して闇を知ることを通して自分が光の存在であることを思い出し再び源へと還った時に自分は幻想の宇宙を体験していたに過ぎず本当は源から一度も分離したことはなかったのだと知る体験だったが、光たちは本当の自分を忘れたので闇に苦しんだ。闇の深さに苦しみ神に助けを求める光や神に見捨てられたと思い更に深い闇に堕ちていく光もいた。けれども源は自分から生まれた光たちの真実を知っているので光たちが自分たちが何者なのかを思い出すことが出来ると信じて見守っていた。そうすることで源も自分が何者かを知ることが出来た。

これは「神との対話1」を読んだ私の想像を表したものです

そしてこれはその本📕の内容のほんの数頁に対する私の感覚です。
「神との対話」シリーズは3つから成っています。
もし興味が沸きましたなら読んでみてください。
「神との対話」関連の本は他にもいろいろありますが、私はこのシリーズのほかは「神へ帰る」を読みました。

私たちはみんな神から生まれた「神のワケミタマ(分け御霊)」、
つまり“神”です。
この物質世界は本当に生きている感覚で私たちそれぞれの人生を経験し、自分が何者なのかを思い出し、本当の自分を実現し、源に還った時
本当は源から離れたことは一度もなく(この宇宙は無限でありどこまで行っても源の愛が満ち溢れているので)ずっと源に愛され信じられ見守られていたということを思い出すための体験の場🌏です。

なんだか怪しい感じなっていたならごめんなさい🙇‍♀️

私たちそれぞれの内側に全ての答えがある、自分を信じる
宇宙は完璧に味方であり見守ってくれている。
ノデス😊
どんどん怪しくなってきたのでここでやめます(笑)

長々と書き連ねましてごめんなさい🙇‍♀️
読んでいただき本当にありがとうございます😭
ではまた。

みんなしあわせになる❗️ぜったいに❗️



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?