個人が情報発信できるようになり、声をあげる事によって世論が動くという事もある。

最近では「保育園問題」がまさにそう。

「保育園落ちた日本死ね」を便所の落書き扱いする政治家自身が、炎上に油を注いでいるという皮肉

あの件についての是非は置いておき、インターネットが普及していない時では考えられない事だ。情報発信の持つ力は大きい。

だが、私はどうも違和感を感じる。

それは何かというと、声をあげるにはあげるだけの事をやったのかという事。

何か現状の体制におかしさを感じた時に、きちんと手続きを踏んでしかるべき場所へ申請なり、要望をしたのかどうか。例の保育園問題は別として、最近では何でもかんでも批判をそのまま記事にする傾向があるように感じる。

例えば、子供の学校の事で何か意見を言いたいのなら、まずは学校へ直接意見を要望する。もしくはPTAの会にきちんと出席し意見をあげる。そこで他の人の賛同を得た保護者の総意ならば学校も動かざるをえなくなる。PTAの役員をやってみるとさらにいい。そういうできる事を全てやった上で記事にするのならもっと説得力が出てくる。

これは組織で言えば当たり前の事。会社など組織の制度ややり方に不満があるなら、感情論ではなく、きちんと論拠となるものを用意し、適切な場で要求していく。上司にその場で突っかかっていくのは一見カッコよく見えるかもしれないが、本当の目的は制度ややり方などの現状を変える事にあるはず。

こう言えばブログに何も書けなくなってしまいそうだが、批判をするだけの記事はどうも苦手なのでしょうがない。批判をするのと個人的な感情を書いているだけの記事はまた違う。本当に何か現状を変えたいと思っているのなら、できる事はやってみようよと思う。行動が伴っていない記事は説得力に欠ける。

こういう事を考えていた時にちょうどブロガーの友人であるチーさんのメルマガを読んで腑に落ちた。

引用すると

1人で騒いでも何も変えられない
というような事を言っていました。
これ本質だと思うんですよね。
意見を言ったり、文句を言うだけの段階は、声の大きい人が強いです。
ですが、それを本当に変えるにはそれだけではダメ。プロセスが重要で、分かっている人はそれを静かにやっています。
さらに言えば、妥協と呼ばれようが、少しずつでも変えていく。1回で全てを変えるなんて、基本無理なんです(やればやったで「独裁」なんて言われる)。
これこそが「信念」であり、事をなすという意思をもった、本当に強い人なんだと僕は思います。

この話は個人ブログで発信力を持っていた人があえて組織に属した理由を書いてあるのだが、本当にその通りだと思う。

チーさんのメルマガは読み応えあるのでおすすめです。ちなみに無料メルマガです。詳しくはチーさんのブログを参照してみてください。

アナザーディメンション→http://estpolis.com/

私はうまくいこうがいくまいが、もがきながらでもきちんと行動をしている人が好きです。

バーチャルの世界であろうがリアルの世界であろうが行動が伴わず、陰で不満や批判を漏らしたり、自分の意見を主張するために他人を見下しバカにするような人間にはなりたくないと心の底から思っています。

本当の信念を持っている人を尊敬します。

#コラム #エッセイ #ブログ #雑記

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