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パラレルワールドへようこそ

宮古島に移住して10年。

伊良部大橋ができたりマクドナルドや吉牛などファーストフード店ができたり海岸沿いにたくさんのホテルが立ち並んだりドンキができたりショピングモールができたり極め付けは宮古バブルと言われる土地や不動産の高騰があったりでここ10年をみてもかなり宮古島は変わってきたと思う。それがいいと思う人もいればなんだかなーと思っている人もいると思う。

宮古島の魅力はこの青い海だと答える人が多いと思う。

城辺への思い

先日初めて会った宮古人(みやこんちゅ)に「城辺(私の住む宮古島の中でも田舎と言われる地域)って犬は放し飼いだしゴミはポイ捨てするし初めてみた時はかなり衝撃的だったけどある意味懐かしい感じがして好きなんですよねー」と話したら「あまりいい事ではないですよねー」と苦笑いされてしまった。そりゃそうだ自分的には懐かしい昭和の感じがする城辺が好きな事を伝えたかっただけなのにナイチャー(沖縄では沖縄以外から来た人を内地の人ナイチャーと呼ぶ)が城辺をディスってるようにしか聞こえない(笑)

モヤモヤとした思い

その場はその苦笑いがオチのようになって話が終わってしまったが自分が言いたかった事はそうじゃないんだという事を後々考えてみた。そんな時「ピザ」と言うインドのスラム街の子供たちを描いた映画を見てピンと来た。

この映画に描かれている屈託のない子供の眼差し自分の思いを実現しようとする行動力。インドは今一番熱い国とされている。これから発展がどんどんと見込まれている。発展途上とは聞こえは悪いが発展が約束されているとも捉えられる。かつての日本がそうたっだように高度成長期を迎えている。社会的に急成長を遂げようとしている途中ではさまざまな問題が起こってくるもので昭和の高度経済成長の時代ではゴミ問題や人口増加または田舎の過疎化の問題も起きていたそれより経済成長を優先したための弊害だったとも言える。しかし夢は大きかった。盲目的に明るい未来を信じていた。

城辺の現状

城辺はその発展途上の時代いわゆる昭和の香りがまだ色濃く残る前記した犬の放し飼いであったりゴミのポイ捨てもそうこの狭い宮古島であっても平良という宮古島でいう中心街に人は移り住み城辺は過疎化が進んでいる。数字で見たわけでないけど(今度調べておきます)実際私の住む地域では50歳の自分が若い方でうちの近所はオジイオバアばっかりだ。

発想の転換

この現状をマイナスと捉えることは簡単だしかしこの事象を明るい未来への過程だと捉えてみてはどうだろう?発展途上という意味ではとてつもない可能性を秘めてはいないか?しかも同じ経済圏という意味では日本という歴史がいい例で同じ道を辿るかはたまたそれを参考に別の道を辿るかが選べるターニングポイントだとも考えられる。先人の残してくれているアイデアを取り入れるもよし未知の世界を突き進むもよしそう考えるとワクワクする気持ちも芽生えてくる。否定もするし、肯定もする。物事には多面的な側面が存在する。見方を変えればマイナスもプラスに変わる。

私の思い

私自身は全てにおいてハッピーを望んでいるけど今の宮古島の過度の経済発展には疑問を感じる部分もあります。ナイチャーが何言ってんるんだ?と思われるかもしれないけれど建物がどんどん建ったり観光客がどっと押し寄せるのをよしと思えない、バブルの後の衰退を知っているから。まあそれも歴史の自然の流れだと言う人もいるだろうけど宮古島に初めて降り立った時感じた時が止まったかのようなゆったりとした時間が好きで毎日広い畑の広がる大地に沈む夕陽を見ては城辺住みでよかったなーと今は感じている。そしてこれからも感じていたい。まだ間に合う気がする。

高い山がないから空が広い

パラレルワールド宮古島

そうここはパラレルワールド宮古島。世界は様々な時間軸で動いている。全くの異世界かと思いきやそれは相互に干渉しあって動いているシンクロニシティ。なるべくなら明るい未来を信じたい僕らの子供たちのためにも。

一歩外に出ればこんな星空が見られるのも城辺の良さ出来れば街灯も要らない

と、このnoteを書いたらこんな記事を見つけました。この先どうなるかなんて誰にもわからないけど今の積み重ねが未来であり時間の不可逆性は紛れもない事実。目先のことだけでなく遠い未来を見つめる事も必要かと考えます。

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