会計監査の観点で考える「統制」

 組織の「統制」と聞いて、どのようなものを想像するでしょうか。
 平たく言えば、組織が組織本来の目的を効率よく果たせるように、目的を逸脱した行為を防ぐための取り組みです。

 会社で言えば、継続的な事業活動によって利益を獲得して資金を確保しながら存続し続けるのが、その存在目的と言えるでしょう。
 そのためには、販売だけでなく材料や商品の仕入、製品の生産、売上代金の回収並びに従業員の確保と給与の支払いなど、必要な一連の事業活動が適正かつ円滑に行われることを確保しなければなりませんし、横領など事業活動から逸脱した行為によって会社の財産が毀損され事業活動が維持できなくなることも防がなければなりません。
 一定以上の規模の企業であれば外部に向けた決算報告とそれに対する第三者のチェック(=会計監査)が義務付けられているので、会計データも活動実態や会計基準に即したものであることが担保されている必要があります。
 また、経営全般の観点で言えば、上長が従業員の業務を監督したり、重要事項は取締役会で決定し社長の独断専横を許さないようにしたりするのも、やはり同じ目的です。

 このような一連の取り組みを内部統制と言います。
 15年ぐらい前の話ですが、テレビのCMでさえ内部統制という言葉が盛んに飛び交っていたのを覚えている方もいるかも知れません。
 当時は上場企業などに対し内部統制そのものに対する監査(いわゆるJ-Sox)も義務付けられるようになったことで、私の属していた監査の業界でなくても猫も杓子も内部統制といったのを覚えています。

 会計監査の現場では、J-Soxの導入よりもずっと前から、会社の内部統制をチェックすることがセオリーでした。

 そもそも上場企業は国内外の子会社も含めると1日の取引量だけでもあまりに膨大で、限られたリソースではこれらの取引一つ一つをチェックすることなど、とても出来ません。
 そのため、全ての情報を調べる代わりに全体の数値の推移や比率などを分析したり、取引の一部をサンプルとして抽出し検証したりすることで、100%ではないにせよその決算報告に相応の信頼性が認められるかどうかを確かめているのです。

 一般論として、内部のチェックがしっかりしていて不正を許さないような企業文化が生きているのであれば、その会社内で生成された会計データも信憑性が高いと考えられます。
 それゆえ、内部統制が充実している会社であれば、サンプルの件数を減らすなどある程度省力化しても監査判断を誤る可能性は低いと考えられますし、逆に内部統制が脆弱な会社に対しては、サンプルを増やしたり証明力の強い手続を行ったりするなどしなければ、会計上の重要なエラーを見逃しかねません。
 それでも必要な監査手続を実施できないのなら、その会社の財務情報が正しいのか誤りなのかさえ十分な確証を得ることができず、監査意見を出すこと自体が出来なくなることだって現実にあります。

 もし貴方が監査意見が出せないぐらいに内部統制がずさんな会社の株主や取引銀行だったら、そのような会社の株式を持ち続けたり、融資したり出来ますでしょうか?

 このことは、いかなる組織にも当てはまります。
 政府や社会全体も、例外ではありません。

 小学校の社会科で必ず習う国会(立法)・内閣(行政)・裁判所(司法)の三権分立は、まさに国の権限を分散させ、互いに牽制し合うことで権力の暴走や形骸化を防ぐという、人類が長い試行錯誤を経て辿り着いた知恵でもあるのです。

 最初に述べた企業の内部統制の仕組みも、根底にあるのは「一人に全てを任せない」という思想です。

 ではなぜ、権限が集中するのが良くないのでしょうか?
 その続きは、次回以降に続けて解説していきます。

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