「内部統制」と権限の集中が招く弊害

 前回の記事で、もともと会計監査の現場における重要なファクターである「内部統制」の意義について簡単に紹介しました。
 今回は、もう少し掘り下げてみましょう。

 内部統制の根底にある考えを「一人に全てを任せない」と書きましたが、具体的に何を示しているのでしょうか? また、なぜ一人に任せることがいけないのでしょうか?

 例えば、社長が仕入も販売も支払も経理も全て行うことを考えてみてください。
 いわゆる「一人親方」や家族と数人の従業員だけで切り盛りしている中小・零細企業であれば、むしろ当たり前の光景かも知れません。

 しかし、何百・何千人という従業員を擁する会社であればどうでしょう?
 それ以外にも、株主やメインバンクといった金額的にも大きな利害関係者が多数関与している会社だったなら?

 ただでさえ経営者として重要な役割にいる社長が、会社の売上から当期の損益、あるいは資金繰りまで網羅するのです。

 現実的に言えば、日頃の業務と営業活動その他の管理まで、社長一人でこなすことなど出来ません。
 期限までに決算を締めて税務署や銀行に提出することはおろか、毎月の現金や売上の管理すらままならないはずです。

 では逆に言えば、社長が一人でできるのであれば、全部やっても良いのでしょうか?

 答えはノーです。

 なぜでしょうか?
 顧客への請求書も、売上の入金の管理も、会計帳簿の記録も、外部への決算報告も、全部社長が作成しています。
 社長以外は顧客のことも取引の中身も、会計上の処理が正しいかどうかも、誰も知ることができません。

 あなたが業績の悪化に苦しみ、何が何でも赤字にしたくない社長だった場合を想像してみてください。
 従業員たちは誰も取引の中身を理解できなければ、社長に逆らうこともできません。
 どこまで正直に売上の記録や会計帳簿の記帳を行いますか?

 仮に正直に行ったとしても、「間違ってないでしょうね?」と決算書を見ながら訝る銀行担当者に、正しいことをどう説明できますか?

 社内に設けられた内部統制の仕組みも、誰かの一手に集中させるのではなく、各担当者や部署ごとに業務を分担することで相互にチェックして、ミスあるいは意図的な不正を未然に防止するためのシステムなのです。

 ここで、営業担当者が外部の顧客と取引する場合の流れの一例を見てみましょう。

①営業担当者が契約条件をまとめた稟議書を営業部長に提出する
②営業部長が取引を承認し、稟議書に押印する
③営業担当者が物流センターの担当者に出荷指示書を送る
④商品が顧客に届き、顧客が納品書控に押印して営業担当者に渡す
⑤営業担当者が金額及び支払方法を記載した請求書を顧客に渡す
⑥稟議書と請求書の控が経理担当者に送られ、仕訳伝票を作成する
⑦経理部長が仕訳伝票をチェックし、押印して会計システムに反映させる
⑧顧客が指定された口座及び期日に代金を振り込む
⑨入金を確認した財務担当者が営業担当者及び経理担当者に報告し、それぞれで処理する

 売買取引だけで、これだけの当事者が関与していることがお分かりだと思います。
 ②や⑦のように上司が部下をチェックするだけでなく、営業→物流→経理→財務といったように横断的な部署で分業することで、例えば売上を架空計上したり商品や代金を横領したりすることを防ぐことも可能にしているのです。
 一連の手続が正しいかどうかも、稟議書・出荷指示書・納品書控・請求書・仕訳伝票・入金記録を突き合わせることで取引がきちんと実体が伴っており、かつ適正に会計システムにも反映されていることが検証できますし、稟議書や仕訳伝票に上司が押印することで確認・承認したという「足跡」を残すことにもつながります。

 会計監査の立場に立つと、上記のような内部統制が正常に機能していることが確認できた場合、検証すべき会計データをある程度省力化して監査手続を効率的に進めることも可能になります。
 逆に内部統制が一定上の信頼性をもって整備・運用されていない場合、その分だけ会計帳簿やその他の帳票類を検証する件数を増やして対応することで、相応の監査証拠を集めて適正か否かの意見を表明することになります。   
 しかしそのような場合は、監査人は途方もない事務負担を強いられることとなるし、監査を誤るリスクから監査人の方から監査そのものを敬遠されることにもなりかねません。
 極めて稀なケースですが、社内の内部統制があまりに杜撰で、なおかつ内部統制に依拠しないで財務報告が適正かどうかについて意見を出すのに必要な証拠を集めるにはあまりにリソースの制約がありすぎて、監査人が意見を表明しなかったり、監査報告書を出す前に監査人を降りたりしてしまうケースも現実に起こっています。

 上場企業のように法律上会計監査が義務付けられた企業にとって、まともな監査意見が出されないことは、レッドカードに等しい代物です。
 もちろん内部統制の不備が財務報告の不適正と直結するわけではないとは言え(ここでは内部統制監査、いわゆるJ-Soxについては割愛します)、適正な内部統制の整備・運用が損なわれると、資本市場から退場を迫られる遠因にもなれば、日頃の効率的な業務活動にも悪影響が出て、会社全体の風通しをも悪くしかねないのです。

 もっとも、内部統制も決して万能ではありません。
 と言うのも、社長あるいは特定の部署の部長など、一定の地位や権限を持つ者によってスポイルされてしまうケースがあるからです。

 例えば、社長が「ワシが取ってきた案件だ」と言って稟議書も付けずに経理担当者に自分で作った請求書控を押し付けて来た場合、経理担当者は「営業部長の稟議がないと駄目です」と言って処理を拒むことができるでしょうか?

 あるいは時が経つにつれて、各現場の担当者が真面目に前述①~⑨のような内部統制の仕組みを守らなくなったら、担当者や部長の退職によって部署内のチェックが曖昧になったり、営業と経理の業務を同一人物が兼務するようになったら、どうなるでしょうか?

 上司が部下を、あるいは部署横断的なチェックの体制がなくなることで、ますます内部統制は有名無実あるいは崩壊してしまいます。
 そこに利益を実態以上に大きくしたい、あるいは自身の私腹を肥やしたいという悪しきインセンティブが働いた場合、何が起こりうるかは、言うまでもないでしょう。

 以上、会社組織を念頭に内部統制の仕組みを解説しましたが、会社に限らず非営利団体や省庁、政党など複数の当事者が有機的に集まって体をなす組織にとって、普遍的な概念でもあります。
 それゆえ、組織が大きければ大きいほどアメリカンフットボールのように部署や役職によって業務や権限の分担が徹底され、互いにバランスを取り合う体制が不可欠であり、逆に極端に権限が集中したり分担関係が曖昧であったりするほど、組織が機能不全に陥ったり本来の目的から逸脱した行為により実害を招いたりしかねないのです。

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